先日、ウルトラマンの日をどうにもお茶を濁す形で扱ってしまったので、やり直し。
7月10日がその日に充てられているのに、放送開始日の17日はほとんど話題にならないのが不憫であります。10日はウルトラマン前夜祭という形で、公会堂で開かれたお披露目イベントが生中継され、事実上ウルトラマンがブラウン管(そういう時代なんだもん)に姿を現したことで、ウルトラマンの日という栄誉を与えられています。聞けばこの日は、戸籍上の円谷英二さんの誕生日でもあるそうで、諸々妥当だよねという記念日として、逸話自体は有名なもののようです。
なぜそのようなことになったのかも有名なエピソードで、前番組であるウルトラQの最終回が放送中止の憂き目にあうことが事前にわかり、ウルトラマンの放映第1話「ウルトラ作戦第一号」は、予定通り17日で待機し、円谷プロとTBSとで苦肉の穴埋めをするため、お披露目イベントを企画するに至ったそうです。
しかしこの第1話も撮影順で行くと2番目あたりの話数で、撮影初弾は第2話として放映されている「侵略者を撃て」。そのような入れ替えは珍しいことではないのですが、ウルトラマンの黎明期はごちゃごちゃとした喧騒の中にあったようです。
それを言い出すと、ウルトラマンの初稿での名前がベムラーで、これは決定稿時点で第1話に登場する怪獣の名前に変更されたことも因果な話題です。そしてこのM78星雲宇宙人は、科学特捜隊のハヤタ隊員によって初めてウルトラマンと名付けられるのです。それが1966年の7月17日の出来事でした。
・・・あっ、ウルトラマンというネーミングは10日のイベント時点で明らかになってしまっているという突っ込みはこの際不許可です。それよりも、後に初代ウルトラマンと呼ばれるようになった彼ですが、もうすぐ生誕半世紀となるにもかかわらず、彼の本名がいまだ謎のまま。ウルトラセブンもそうなんですけど、いずれそこにも企画の手が伸びていくのでしょうかね。