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  ~懲りない傾向~

昭和30年代の空想宇宙観

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jx-1一説によると3年ほどずれがあるとも言われていますがとりあえず1979年9月29日、宇宙省による土星探査計画の先端ミッションとして、富士山麓の発射基地より、外惑星航行ロケットJX-1・隼が打ち上げられました。

このロケットは39人もの乗組員を要し、小型探査機カプセル1号を搭載していますが、意外とスペックはわからないというか、覚えていません。が、これほど(たぶん)高性能のロケットなんですが、土星付近で黒色矮星の存在確認にミッションを変更したがために、その矮星、ゴラスの引力にとらえられ燃料を消耗しゴラスへ墜落してしまいます。

その後、隼のもたらした探査情報によってゴラスの質量や軌道が計算され、地球との衝突というカタストロフが現実のものとなっていくのが、1980年の国際社会が受けた騒乱でした。

「妖星ゴラス」が封切られたのは1962年のことで、この時代としては上記の導入部分から「地球に人工的な推力を与えて軌道をずらしてしまう」というクライマックスに至る展開とは、とんでもなくセンスオブワンダーな仕掛けでした。なにしろ、我が国に宇宙管轄の省があるばかりか、土星に有人探査を送り込める技術があって、しかもいざとなったらウルトラマンが・・・という片づけ方をしないだけでも、人類の科学技術に期待や夢が乗せられていたのです。

地球にエンジンをくっつけるという一見大ぼら吹きな(まあホラには違いないのですが)設定は、現実の70年代に入ってから、桜多吾作さんが描いた「マジンガーZ」の中で、マグマを熱源とした推力を使って地球の自転速度を変え天変地異を起こして侵略するという、ブラッシュアップされたアイデアにも活かされます。

80年代になると、ゴラスどころかもっとすさまじいマイクロブラックホールが太陽との衝突コースに・・・というSFも誕生してくるのですが、哀しいかないずれもキワモノだとかとんでも作品的な扱いにされることの方が多く、宇宙を舞台にするとどこかで一線を引かれてしまうことと、役者さんにさせる演技側の問題が、パニックやスペクタクルのすごさをスポイルさせてしまうのかもしれません。この手のジャンルで受け入れられたのは日本列島が沈没するやつくらいじゃないでしょうか。

でも洋画の世界はそういうのを大真面目で面白おかしく作ってくる。そこが悔しい・・・

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