マニアでしょ?と言われても否定する必要がないほど特撮番組も映画もアニメーションも好きな僕ですが、そういう人生にどこでどのように転落(おいおい)の一歩を踏んだかといえば、当然、受動的なファーストコンタクトでした。それが1964年の7月です。ピンポイントに19日ではなかったと思いますが、叔父が(後にウルトラを押し付けてくるあの叔父ね)彼の父親、つまり僕の祖父に言われて新潟地震のグラフ誌を町に一軒しかなかった本屋に買いに行かされ、そのとき貰った小遣いで一緒に買ってきた週刊少年キングなので、要因は19日にあるのです。
この少年キングに掲載されていたのが「サイボーグ009」の第1回目で、おそらくこの雑誌を偶然にも読んでしまったことが009との出会いを通した、SFとの邂逅です。他の連載はほとんど覚えていませんが、戦中派である親世代からの刷り込みによる「0戦はやと」は記憶にあります。
よもや。ね、それがスタートラインになって震災の直前に原作者の故郷である宮城県に転勤して、現在に至るウルトラ以上の長い年月、009を遠かったり近かったりの場所で読み続けるなどとは、幼稚園にも届いていない小僧に予感できるわけがありませんが、そうなってしまいました。この間、日本におけるSFの定義づけにもいろいろあったらしいですが、現実を超越して科学的にも空想できるあらゆるジャンルは、全部SFとして飲み込める資質を持ちえたような気がします。
しかしこれも肯定論で言うことですが、どんな人間に影響されるかで人生のある程度は塗りこめられているなあと、自分の叔父について思うのです。彼が「0戦はやと」や「少年忍者部隊月光」を読んでいなければ、我が家には少年キングが山積みになることもなかったのです。
でもって、珍しく定時で仕事を終えてパソコンを切り替えてみれば、完全新作・三部作のニュース。
もう勝手にやってください。な設定とデザインですが、こりゃもう同人誌レベルだねえ。
RE:CYBORGの使い回しなら、まだその方がよかったですね。
今時、あんなお面貼り付けた様な003…。
いやきっと、iPhoneの小さな画面で観たからあんなだった、と思いたい。
まあ、劇場で観る事は無いでしょうけど。
003のファン層もおぢさんだけで息絶えさせるわけにはいかないのでしょう。
だけどフランソワーズって「美人な姉ちゃんっ」という感覚で偶像化されてきただけに「萌える妹キャラ」というのは斬新ですよ。
しかしこれ映画館というのは釣りにしてもひどい。ソフトでまとめて見て、の内容ですよねえ。