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  ~懲りない傾向~

世に盗人の種は尽きまじってわけでもないんだけど

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「閃光のハサウェイ」って小説は、あの当時にガンダムシリーズものとして読んだ後味がとても悪い物語でした。機動戦士ガンダムが、単なる子供向けのロボットアニメじゃないのよ、という主張は散々聞かされわかっているつもりでも、主人公が反体制派のプロパガンダであってもかまわないとしても、やっぱりガンダムに乗り込む人物が、戦争(それ自体嫌なんだけれど)と無縁の場所で要人暗殺の急先鋒となる。ってプロットに納得できるわけがないのです。

マフティー・ナビーユ・エリンことハサウェイ・ノアは、ネオジオン紛争時にいろいろと呵責をため込んだんでしょう。その屈折から暗殺者へと身を投じていくプロセスは、ちょっと小物ぶりが鼻につくし、小物ゆえに最後の最後は撃墜され投獄され処刑される、という扱い。それがすごく厭で、あの当時、従弟に頼まれてオリジナルのガンダム小説を書いたときに、Zガンダムの際にはフラウ・コバヤシのおなかにいた子供を男の子と決めつけ、この子が14歳になった宇宙世紀を舞台に、「戦争はやらず、宇宙災害と対峙するガンダム」を書き出したことがあります。

これがちょうど、閃光の~の半年くらい前の時代設定でした。

僕は素人だしガンダムの関係者でもない、いわゆる「俺ガンダム」を書きかけただけなんですが、俺ガンダムならばこそ、絶対に閃光の~よりも面白い。なんでかといえば、「逆襲のシャア」で人々が英雄を失った疲弊の時代に、なんでまたハサウェイのような陰鬱なやつを見せつけられなければならないのか。てな思いで、世のため人のためのガンダムを、独り立ちしようとする少年を、大人はいかにして見守るのかというテーマで書こうとしたからです。

書きかけのまま何十年も経っちゃいましたけど(ネットの海には、書きかけのパートがまだ漂っています)、まあ外野が遠吠えしても完成してなきゃケンカにもなりません。悔しいから、このガンダム映画は絶対に観ません。

 

 

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