脚本上で毎度悩まされたであろう、ヒーローの去就をどうするか。という大人の逡巡など透かして見ることなく、ドラマから直に伝わってくるメッセージを受け止めていた童心もずいぶん老いぼれました。ウルトラマンに視点を置いていま振り返ると、一貫した「我々(地球人)の平和は我々自身で守らねばならない」って、ある意味思想だよなあと思わされるのですが、そこはまあ目をそらして、歴代のウルトラマンが遺したメッセージを80まで巡ってみようと思い立ちました。
が、いきなり、初代はそういうことを何も語っておらず、科学特捜隊の面々が自ら悟っているのです。初代と融合していたハヤタ隊員を分離する際、ゾフィーが施したか初代自身がやったか不明ですが、融合時の記憶を消してしまったのが初代の去就。メッセージを追いかけるよりも、むしろそれ自体がファーストコンタクトの終焉として、ウルトラのセンス・オブ・ワンダーでした。地球は大きな借りを作っているのですが、「貸も釣もいらねーよ」という、歴代唯一の切れ味です。
ハヤタに対してさえ正体を消し去った初代に対して180度方向転換して、自らの事情とともに正体を明かして最後の戦いに挑んだウルトラセブンは、地球滞在時に異星人女性とのロマンスらしきものも経験してのことなのでしょう。かなり女々しく泥臭いのです。しかしそれが惜別の美談として語り継がれることとなり、これ以降のウルトラマンにも様々な形で受け継がれていくのです。ここでもセブンは背中だけを見せ、自分のこと以外は特に語らず帰還していきました。
故郷の星が星間戦争に巻き込まれたことを知り、その戦いに加勢することを決意し、地球を去る旨を告げたのが、邂逅時に命を落としてしまった郷秀樹と一体化した新ウルトラマン。ただしウルトラマンの姿でなく大人の男として「ウルトラ5つの誓い」「大きくなったら」という、少年への自立を促す対話でした。宇宙と地球ではなく、個人と個人の生き様を伝える。坂田次郎という少年を通して、その言葉は同年代の少年少女に伝えられた、やさしさと勇気についての素朴な願いでした。
余談として。その後のハヤタがどうなっていったのかはほぼ語られておらず、いつの間にか初代自身が地球に来ているときにハヤタの姿を借りている図式でうやむやになっているように思います。モロボシダンがいなくなった後、彼とうり二つの(というよりセブンに姿を借りられていたことすら知らない)薩摩次郎さんが、逆にダンと間違われるようなことはなかったのかは大いに気になるところです。
「アマギ隊員がピンチなんだよ!」という言葉がなかったら、ウルトラセブンの去就の構図はとても好きになれない、メッセージすら感じない一幕でしたが、よく考えてみるとセブンの場合、別れの場面よりも地球人(薩摩次郎)との邂逅にこそセンス・オブ・ワンダーな瞬間があり、セブンこと恒天観測員340号の決意というメッセージが秘められていたのかもしれません。
上記の二人に対して、地球人として初めてウルトラの星へ導かれることになってしまった郷秀樹は、第1話ですでに死亡してしまった経緯がありますが、新ウルトラマンと一体化したことで人格や心は復活したのだと解釈しています。新ウルトラマンは初代、セブンと異なり、行きがかり上地球にとどまったのではなく、明確に地球の異変や危機に手を差し伸べる目的で「帰ってきた」ウルトラマンでしたが、彼が願いを寄せたのは坂田次郎というたった一人の地球人でした。
坂田次郎君が大人になった頃、大きくなったら入れと言われたМATはすでに無くなっているのですが、「ウルトラ5つの誓い」は彼の友人である後の防衛チームの隊長を通じて受け継がれているところが、少年(視聴者)がおっさんになってから感銘する巡りあわせでもあります。