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  ~懲りない傾向~

家族の肖像

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1991年当時、いや最近まで、この遊牧民一家は三世代を表現していると思っていました。いずれ家督を継ぐ長男親子と、孫の成長を見守る祖父。そして、やがてはひとつの家庭を築き、楽曲の文化に秀でていくであろう次男が勢ぞろいして、長男が新たに迎えた家財道具としてのエスクード・ノマド・・・

と、思っていたのですが、なんだか「そうではない」のではないかと、ふと感じるようになりました。

 

言わずもがな、エスクード・ノマドは5人乗りの小型車で、その乗車定員をあらわす家族構成は、最大5人まででなくてはならない。だから彼らは・・・ちょっと背丈からみて01エスクは窮屈かもしれないけれど、理にかなっている・・・はずだったのです。しかし三世代の家族を描こうとするとき、5人の構成ははたしてこれでいいのか?と、あるとき思い込んでしまいました。

この家族には、女性がひとりだけ。当時、質実剛健であったかどうかはさておき、とりあえず四駆のはしくれとしてアピールすべきエスクードなので、男所帯であることには別に不都合はないのですが、そうすると、この家族にはグランドマザーが不在となっており、なぜ不在なのか(この写真を撮っているのがおばあちゃん。というのは無しね)を考えると、ファミリー層への売込みをしようというノマドのイメージにかぶせていくのはどうなんだろう? と感じました。

それは考えすぎかもしれないのですが、家長である祖父の伴侶は既に鬼籍に入っているという印象が、ちょっといやになったのです。

よしんば、写真を撮っているのがばーちゃんだとすると、家族構成は安定した人数となりますが、構造上の乗車定員はオーバーです。それはそれで、車の商品イメージに影を落とします。それから些細なことですが、お嫁さんか娘か、この女性が家長の肩に手を乗せて寄り添う構図を、ばーちゃんは寛大な心で見ていることになるけれど、娘であるならともかくも、嫁はこういうことはしないであろうと。男の子が家長の孫であるなら、この女性が男の子の母親でしょうから、彼女は男の子の肩に手を乗せてあげるんじゃないかと思ったわけです。

家長の娘のところに婿入りしたのが一番背の高い亭主の彼であったと仮定すると、外から来た人間として、外来の文化であるエスクードを持ち込んでいるイメージがわいてきますが、そういえば彼の衣装だけは他の家族とは雰囲気が異なる(ただしこの遊牧民たちの衣装は、どこの国のどの地方の・・・といった特定のものではないというお話もあります)。そのあたりの解釈が妥当だとは思いながらも、まだグランドマザーの件を解決できません。

そこで感じたのが、グランドマザーは、家長にとって次男誕生のあとに亡くなってしまったという前提は避けられず、実はこの女性が家長にとっての後添え、実は男の子は家長の三男なのではないかという、ぶっとんだ考え方をするようになってしまいました。家長と女性だけが、衣装の色彩に共通のコーディネートをしていることも、その理屈付けのひとつです。第一、彼女と長男の立ち位地よりも、彼女と家長のほうが距離感が近い。せめて長男が彼女の肩か腰にでも手を当てていたらそうは思わなかったのに、長男の両手は楽器と杖?でふさがっているのです。

さてどうしたものか。いや、どうしたものでもないのですが・・・

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