艱難辛苦を乗り越えて、滅亡のふちから人類を救った宇宙戦艦とその乗組員を、わずか一年足らずで人類が忘れ去ってしまったり、ましてやその存在を疎んだり、そんなことをするわけ無いじゃないかと思ったのが、「さらば~愛の戦士たち」だった。なんかもう、復興と繁栄ぶりは何処か別の異星人がヤマト帰還前に介入していて、こっそり人類を堕落の道に陥れていたとしか思えないほどの、滅亡なんて無かったも同然状態でしたが・・・
そんなシチュエーションをお膳立てして人類総じてだめなやつらに仕立て上げるのも釈然としないまま、それでも白色彗星帝国から守るのだとヤマトを担ぎ出され、やつらならこの難局を打破するだろうと期待していれば、最後の最後は特攻でケリがつく。
それは、それは「明日のために今日の屈辱に耐える」という信念を貫いた、沖田十三の子供たちのやることではなかろう! と、僕はヤマトと訣別したのでした。
その後はシリーズご周知のとおり、続編のためには無かったことだらけになってしまうし、挙句には誤診の一言で沖田まで生還しちゃうし、その沖田自身がヤマト自爆のトリガーを引くという決断をするし・・・といったものづくりには閉口しながらもようやっと完結かいと思っていたのにわけのわからぬままに復活しちゃってやれやれの世界でした。
だから、今回、ほぼ戦後の人たちによって作られたヤマトがどんなテイストに行くのか、あらぬ期待を抱いていました。ストーリーを書いてしまうわけには行かないので奥歯にものの挟まった物言いになるけれど、池内博之くんが登場した瞬間、オチがわかってしまう映画なのです。なにもヤマト的フォーマットにはまり込まなくてもいいじゃん。違ったことができなかったのかなあと、切れない因果の糸を感じた次第です。じわじわと盛り上がっていって薬室充填120%まで行ったところで、思いっきり電源ケーブルに足を引掛けられて、作業中のパソコンが落ちたって気分。まあ・・・そんなことを思ったのは僕だけなのでしょう。山崎貴監督自身は子供の頃、そのオチにこそ「やられた」らしいから、こりゃ何を言ってもそうなっちゃうのね。
一言だけ。
相原、持ち場離れ過ぎ。w
ググったら、同様の記述したブログ多数。www
いやもう、ファンサービスだからと言われればお説ごもっともの脚本と展開なんですけど、それでヤマトを嫌いになった当時のゼネレーションもいるということなんですよ。
山崎監督には、あなたそのノリで来年、イデオン作ってみなさいよ。と言ってやりたい。いや、作られても見に行かないですけど。
ガンダムの実写は見たくないがw
イデオンは見てみたい気が・・・
あ、でも松山 ケンイチがアムロやるならちょっと観たいかもしれない。
しかしそんなこっちゃ、今にわが国のアニメと特撮は、リメイクものしかできなくなっちまうぜ。
ヤマトを評価できるひとつの要素は、そこに原作というものが存在しない、企画から発生したアニメだったということです。
イデオンと書くには書いたが、そんなもん作ってる場合じゃないのよ。