達郎さんの「さよなら夏の日」について、初めてアニメーションのМVが付いてという話題が先日ニュースに乗りました。91年5月にリリースされたこの曲は、本人が高校生の頃、ガールフレンドと、ねりまえん・・・もとい、としまえんのプールにてデートしたエピソードが歌われたもので、ということはそのデートが今からだいたい50年前。レコーディングされたのが夕立の午後から20年経ってからなのですねえ。71年は置いといて、91年5月の僕は新婚でした。
長く達郎さんのファンでもありますから、この曲も大好きです。ただ、あの当時聴いていた歌詞と、30年歳くってから聴く歌詞とでは、そういうことだったのかと、帰らない夏の記憶にいくらか打ちひしがれるものがあります。掛け値なしに時間をいくらでも無駄遣いできたんだよなあという感傷。まあね、自分自身で無駄遣いできたんだからそれでいいのだし、達郎さんのデートの記憶ですから、それにつられて自分自身が夏の日々にサヨナラする義理も無いんです。
上の2点が、その91年夏の風景。そりゃもう僕のブログですから、僕からスズキエスクードを取ったら何も残らない(笑)んで、エスクードがぞろぞろ出てくるのは「またかよ」と言われそうですが勘弁してください。90年式のGoldwinlimitedは借りてきて乗ったものです。ただ、4人乗りのこのクルマでは家族総出で出かけようとすると両親或いは妹と祖母(祖父は89年に逝去)の誰かが乗れなくなるので、93年にGlimitedノマドを増車しました。
最初に乗ったHelly Hansenlimitedは、後にカタログモデルのV6‐2000にスイッチされますが、2か月後に第一子が生まれてくるというときに、わざわざハードトップのショートボディを選択するところが暴挙。しかし裏をあかせばノマドがあったし家内のサニーもあったし、ジムニーも・・・これは最初から戦力外ですが、実際にはさほど困ったことにはなりませんでした。これらは夏の、というよりバブル景気の名残りです。すべて新車で買えた時代。先のことを考えもしない。
V6のハードトップから現在の2500に乗り換えたときが、おそらく夏のピークに辿り着こうとしていた頃なのかもしれません。ノマド系の積載量と居住性(程度問題)に、メーカー最大排気量が搭載されたTD61Wが出てから8年が過ぎ、エスクードは三代目に移行していましたが、これを選択することには何の迷いもありませんでした。ショートで育った娘たちが、「助手席のシートを倒して」後席に乗り込もうとしたのはステキな笑い話です。
その娘らが、若葉マークを付けて走り出したのが、奇しくも91年式のコンバーチブルであることは、本ブログではもはや書き残したことも無くなってしまいました。30数年、初代にしか乗っていない変人な僕です。それは、そこに真夏のような何かを感じ取ってしまったから。でも、達郎さんの歌とは違って、僕にはまだ「直4の2000に乗っていない」という続きがあるのです。じじいになってもそれは、夏の日々の、ってことなんだけど、果たして縁がありますかどうか。
ところで、アニメのМVもいいけれど、それ以外のМVにも味があります。誰かと思ったらどんぎつねさんじゃないですか。別のカバーの女性ボーカルの声色は、なんとなく秋の気配を感じさせます。それともうひとつ、かわねこさんがこの話題が出てくる2日前、「さよなら夏の日」というタイトルでブログを書いています。なんという先見性。タイトルは狙ってのことですよねえ。
先見性とはお恥ずかしい限りです。
北海道は文字通り、早々に夏が終わって寒くなってしまったので。日が落ちるのも早くなってしまったのも、実感します。
わたしも山下達郎さんは、40年来の大ファンで、ずっとライヴも観に行っています。つい先日、アルバムARTISANの30周年盤が出たばかりなので、ブログタイトルはご推察の通り、いろいろ狙ったものです。「さよなら夏の日」を聞くと、放浪の果に、北海道に定住し始めて、なにもかもが新鮮で楽しかった、若かりし当時を思い出します。(笑
高緯度の町には、夏の留まる日も短いという風情がありますね。
コロナ禍の産物が、ライブやコンサート収益を得られなくなった音楽業界に「Japan・citypops」の発掘という一石を投じたことなんですが、これに周年が加味されると無敵のコンテンツだと思います。
あの曲の舞台になったとしまえんといえば、先週の読み切り究極超人あ~るにも出てきちゃうし、あちこちで偶然の一滴がしたたり落ちてきた気分です。
実は生まれてしばらく、あそこの近くに住んでいたらしいのです、僕。