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  ~懲りない傾向~

30年

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阪神淡路大震災の記録撮影は、当時応援に行った大阪の支社にすべて置いてきてしまい手元には何もありません。記憶だけは残っていて、あとから現地にほんの少しだけ出ただけでしたが、まさかの東日本大震災を仙台でくらった折に役立つものがありました。その後神戸を訪ねる機会はなく、10年前に広島県に向かう途上立ち寄っただけですが、そのときは高速道路の橋脚が破壊され桁が落ちていた風景はかけらもありませんでした。

「震災の記憶は我々でさえ風化しますよ。それは仕方のないことで、それでは何を伝えていくのかと言えば、あの惨状からどうやって、何をやって復興を進めてきたかを重視すべきです」

昨年秋、南三陸町の町長さんにお会いしたとき、そのような話を聞かせてもらいました。阪神と淡路の人々も、そうやって30年を過ごしてきたのだと思います。今年の年賀状に、ずっと神戸の支所で仕事を続けてきた同僚が、離職した旨のメッセージを綴っていました。彼も直向きに震災の記録集めと復興の道のりを歩んできた一人です。大阪との折り合いが悪かったと聞いていましたから、やることやりきって飛び出していったのだなと感じました。

 

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