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  ~懲りない傾向~

110年めの夏

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円谷英二さんが七夕の日の生まれ。というと、特に意味もなくなんとなく「この人らしいなあ」と思わせるものがありますが、戸籍上では1901年7月10日が誕生日だそうで、七夕誕生説は、役所に届けるのが後になったけれど、その日生まれている。という意味合いなのでしょう。

60年代の子供にとって、宇宙を身近なところに持ってきてくれた業績を思うと、七夕誕生説で良いじゃん、と勝手に決めつけたくなります。実際には1970年に鬼籍に入られましたが、円谷さんが生まれてから、ことしが110年めを数えます。

震度6を観測している須賀川の街は、円谷さんの故郷。震災の影響は、地震被害がそこかしこに見受けられます。建物の倒壊や湖水の決壊など、被害はかなりのもので、何が荒れ狂ったのかという惨状を見てしまうと、のんきにウルトラの散策もできなくなってしまったと思わされます。街が壊れる。そのビジュアルを仮想現実の世界として描いた円谷さんの映像には、どこで見てきたのだろうというほどリアルな山崩れや噴火、高波が織り込まれていて、子供の頃には食い入るように画面に見入っていました。それは空想の世界にすぎなかったはずなのに、今度の震災ではそのリアルな方を見せつけられてしまいました。いや、円谷さんに何の罪もないです。でも皮肉な現実がそこにあるのです。そんななか、人々は瓦礫を片付け、街を立て直そうと必死になって活動している。石巻でもそうでしたが、ヒーローたちは物言わぬオブジェでしかない。復興を遂げようと頑張っている人々の方こそ、勇敢な姿を感じ取ります。

話は変わってしまいますが、漫画家の和田慎二さんが亡くなられたとか。享年を聞いて意外と若かったことを知りました。僕らの世代じゃ、ピグマリオはもはや論外で、スケバン刑事とか超少女明日香なんかでもがっかりさせられているんですが、「クマさんの四季」だけは初版本を大事に持っています。広げたイマジネーションはとてつもなく大きかった人ながら、風呂敷をたたむのはあまり上手ではなかった。そういえば、自分で作った最初の背広が、杉あや柄だったっけ(何の話か分かる人はいるのかな)。ご冥福をお祈りしよう・・・

2 Responses

和田さんの書く後書きマンガが好きでした・・・

  • 実は途中で袂を分かった読者です。
    ほんとに風呂敷を広げるのはいいけれど、仕舞えないんだもん。そういう影響を、柴田昌弘なんかも受けちゃったよねえ。