お休み中に働かされてる可哀想な新月サン・・・
だかしかし。交換する交換するって3ヶ月も放っといた方が悪い。
ウ○シュレットの停止ボタンが壊れて、止まらなくなってしまったのね。止めるのに電源ボタンを切ったりつけたり(これもどうかと思うけど)
必要最低限のスペースしかない狭いトイレで便座外したり配管外したり、新月サン悪戦苦闘。
無事にどうにか交換できましたとさ。
そして邪魔する
チビにゃず・・・
うちの掲示板に居所を書きこんだり控えめに予告を告げたりしている狼駄さんですが、連休のキャンプはお嬢二人を連れての家族サービスという本質を内包しています。
90年代には「とっぽい」(死後?)あんちゃんだった彼も、お嬢たちのことは目の中に入れても痛くない父親。そして仲が良いながらも段々手に負えなくなっているみたいです。
しかしお嬢たちが就寝となり独りランタンを前にすると、父の時間を持て余し気味となるのも、わかる気がします。この辺、もちろん口出し無用ですが、うちとは子育ての仕方が違っていたからかもしれません。
まあそんなわけだから、持て余している時間を少し分けてもらうために、冷やかしに行くのです。残念ながら彼とは一緒に野宿をしたことはなく、まともなキャンプ時間の共有だけれど、お互い野宿経験時代を過ごしている者同士ですから、そんな記憶を呼び覚ましてくれるといいなと。
善き父であることはそれ自体が素敵なことです。でも、日常に追われて牙を無くさないでよ。という暗示もかけに行く。それが冷やかしの真髄。
4月22日の夜に、古くから交流のあるエスクード仲間が今尚定期的に、オフラインミーティングに限らず様々な機会でコミュニケーションを続けていることを書きまして、
さすがにまだ4代目のユーザーさんは登場していませんが、いずれ誰かが・・・とつぶやいておりました。
その「いずれ」が、わずか8日後に形になってしまうのだから、世の中万事塞翁が馬なのかもしれません。そろい踏みしたエスクードは右から初代、2代目、3代目2台と、新型の4代目です。おそらく世界初(笑)。スズキの歴史館にだって並んでいないと思われます(あっ、大きく出ちゃったよ)
「つくばーどでなければできないことです。今夜やらなくてどうするんです」
と、フライドチキンをかじりながら雑談しているさ中、cyber-Kさんが提案し、同席していたSIDEKICKさん、狼駄さん、コムロさんも意気投合して実現しました。さすがに基地の庭では整列させられないので、明りのとれるところまで出かける必要がありましたが、話が決まったら行動の速いこと。山を降りたらもう先に出た4台の姿なんかどこにも見当たらないという。
モデルチェンジと変革を遂げながらも、現時点で28年のエスクードの歴史が凝縮した瞬間です。あー、家内を口説いて修理の終わったコンバーチブルも持ってくればよかったと多少の後悔はありますが、足りなかったモノやもっと広がりを持つバリエーションを考えれば、それは後の楽しみにとっておけばいいのでしょう。
これは布石です。インターネットを通してこれをご覧いただけた歴代エスクードのユーザーさん。いつか、どこかでお目にかかりましょう。そういう機会を模索し、何かの形で提供していきます。
しかもこのあと、伊達まで走るという(開いた口がふさがらない・・・とは言えない)ので、手負いのBLUEらすかるを主治医に預けて、乗せてきてもらいましたよ。
いやーだって、突然来やがるんだから、遭うと労働ですよ。
春分の後の最初の満月の日の次の日曜日。と、ややこしい設定がある上に西方と東方とでは使っていた暦が異なるため、人によっては3月27日を唱えるイースター。東方正教会だとそれは5月1日が、ことしの指定日になっています。
とはいうものの、うちは仏教だから玉子に絵の具を塗る習慣もないんですが、先日のお茶の時間にこんなもんが出てきたので、これは茶菓子なのか?と首を傾げたですよ。
でもって本当はここでようやくBLUEらすかるの復旧話につなげてて行こうと思っていたのですが、まさかのショック抜けという二転三転の故障入庫でそれどころではなく、薪拾いは・・・まあ別の車で往くことになってしまいました。
うーん・・・下りの傾斜がまったくわからん写真になってしまった。
岩手軽便鉄道の駅として設置された綾織駅が、国鉄路線としてスタートしたのがちょうど80年前。この駅に初めて訪れたのが、無人駅化された直後の、その年の5月でした。乗り鉄でも撮り鉄でもなかったので、夜通し車を走らせて北上江釣子インターから山越えして遠野盆地に入り、明け方ここへたどり着いたのでした。あやおり、という旧村名のひびきだけにつられてやってきたけれど、それを示すものと言ったら駅くらいしかないというわけで、出迎えてくれたのが齢経た桜の木です。
当時すでに齢経ていた桜は、まあもう無いだろうと33年ぶりに立ち寄ったら、さすがに勢いは衰えたようでしたが、まだ健在でした。正確な樹齢は知りませんが、ひょっとすると国鉄駅となった頃にはもうここにあったのではないか。あとで聞いたら樹齢はわかりませんでしたが、やはりテングス病にかかり危険な状態だったものを手入れされて持ち直し、切り倒されずに済んだということでした。うん、それはちょっとうれしい。だけど満開になる前だったのは、うまくいかないものです。
綾織とは近所にある光明寺に伝わる、天女が舞い降りて織り込んだという伝えのある曼荼羅に由来するそうで、境内の桜は見事な満開でしたが、日暮れてしまって写真は撮れず。来週こっちに来る予定はないし、遠野の花見はタイミングが合いません。この界隈は国道沿いの自転車道に連なる並木道の方が有名。昔は連休明けてからが満開のピークでしたが、ことしはもう見ごろになっているはず。ここに至る花巻はピークを過ぎており、遠野より東の三陸沿岸はほぼシーズン終了しています。