うーん、よく寝るなぁ。
これくらい心に余裕を持っていたいわ。
(にゃんずらは何も考えてないと思うけど)
っていうか、お前ら地震がきても気づかないで寝てるんじゃ・・・
仙台では忙しさにかまけてまともに桜を眺めることができませんでしたが、隣町の川崎町へ出かけるとまだまだ満開の名残に間に合いました。
という割には桜を撮っていませんが。これは陣取った場所のミスで、山陰になっていていつまでたっても朝日が差し込んでこないのです。ここより500m左に移動すると、午前8時の時点で桜の木々に光が当たっていました。
そういう場所は当然、地元ナンバーの人々が三脚と望遠レンズで砲台を築き、蔵王の山々をねらっています。が、この人たちがまたいい歳して素行が悪い。平気で安全柵を乗り越えていくしくわえたばこを捨てるし冷えたからってその場で〇〇しちゃうし。高級車で乗り付けて高級カメラ並べてそれかよ。
こちらはどうにかこうにか光がさしてきたところで撮るものを撮って撤収。釜房ダム管理所の近くに戻ると、こいのぼりが掲揚されておりましたよ。
我が家では縁のない風物になりましたが、これを見ると桜餅から柏餅に季節が変わるなあと感じます(いや食い物はもののたとえね)
コンバーチブル所有のたぐちさんとV6ノマド所有のkawaさんが、共に4月から5月にかけてそれぞれのエスクードを退役させることになったので、エスクード・マイレッジとマラソンクラスのお話をまとめておこうと思います。今でこそ自家用車が20万キロを走ることは珍しくなくなりましたが、それ自体は個々のユーザーにとっては日常でありながら負担であったり愛着の表れであったり少なからず『我が家の自慢』と言って差し支えないことです。
これが30万キロを越えると偉業の域。彼らが現役のうちに綴っておきたかったのは、約290台が登録されているエスク・マイレッジの半数が退役した中で、30万キロを越える個体がほぼ現役である(約1台、不動車と化していますが)ということです。事実上退役しているのは、マラソンクラスの引き金となった伝説のノマドと、うちの先代らすかるのみで8台(うち2台は連絡途絶)が現役個体。沖縄のマミポコさんに至っては沖縄本島だけで30万キロを走っているつわものです。
itoさん のヘリーハンセンとうちのBLUEらすかるは50万キロを越えており、kawaさんも50万キロで節目とする宣言。一時的とはいえそれほどの走行距離を持つエスクードが3台同時に存在するということは、以前だったら考えられませんでした。しろくまさんは既に何度もエンジンを載せ替えて個体維持するやはりつわもの。これだけ現役古参の個体がいるということは、マイレッジには登録されていないけれど、「うちのもそうだよ」と走り続けるエスクードは、もっと多いのではないかと思われます。
ところで、マラソンクラスはひとくくりに「30万キロ越え」を目標にしていただくカテゴリーですが、越えた個体はどうすればいいのかと言えば、「月と地球の片道距離を目指す」ことが第2の目標となります。さらにそこを通過してしまった場合、「もう行けるところまで行きましょう」と突然いい加減な話になっていきます。
月と地球の往復という、それはさすがに遠大すぎる話だからです。しかし、月の向こう側だと火星になってしまい、それこそ束になってかからなければたどり着きようもありません。30万キロを越えているという事実は、それでも地球帰還の可能性を否定しない稀有な存在であるし、区切りをつけるにしても誇らしげに退役してほしい個体なのです。
さて現実的な話として、人類は地球からどれ程遠くまで到達しているのか。これこそが月の裏側にあたるわけで、アポロ計画などに従事した宇宙飛行士がその際たる人々です。その中でどのクルーが最も遠い軌道を描いていたかというと、月面から約254キロ上空を経てスイング・バイし帰還した、他ならぬあのアポロ13のクルーでした。
46年前の本日(北米時間)、13号は奇跡の帰還を果しています。
しろくまさんが、地元のソウルフードであり渋いハンバーガー店だと教えてくれたので、山形での仕事の帰りに立ち寄ってみました。
その前に笑い話なのですが、山形市内の地の利には詳しくないのでナビ任せで店舗を探そうとしたら、いきなり四店舗もでてきて、どれに行けばいいのだ?状態。何々店、と表示されても、町名がわからないからどれが何処かもわからない。
そうなのです。ぷらすBLUEのナビゲーションはDVD方式初期のもので地図情報がとてつもなく古い、僕自身を車中野宿生活者に陥れるシロモノです。この「過去を投影するナビ情報」は、このハンバーガー店全盛期のもので、現在はひとつだけしか存続していなかったのです。
ところがそんなことすら知りませんから、もう検索データをくじ引きするしかなく、うりゃっと選んでルート設定したら、今度は曲がるべき路地を曲がったらその先に道路を恒久的に封鎖する鉄柵が設置してあったり、そんなだから当然新しい道に戻ってみると表示が混乱したりの珍道中。
ようようたどり着いてみると、茨城県の利根町にあるあのハンバーガー店よりは立派な店構えなれどお客は不在で店内に人もいない。厨房と距てたカウンターを見上げると、それこそ利根町の店の情景を思い出させるような有様で、よくまあ存続しているなあというのが第一印象でした。
だからしろくまさんは、渋い、と言ったのでしょう。
店のご主人はすぐ出てきてくれて、注文を受けパティを焼き始めます。定番のやつとフィッシュバーガーを頼んでみましたが、利根町のロッキーバーガーと競ったらちょっと負けだな、という大味気味です。
しかしこの味付けの秘密は、バーガーだけじゃソウルフードに昇華しないのだよという仕掛けがあったのです。
それについては、Eレイドに出題してしまったので、ここには書けません。まあだいたい想像はできると思いますが、山形市に出かけることがあったら、ぜひお立ち寄りを。