三陸沿岸道に面して開設されている道の駅三滝堂にて、巨大なクワガタムシ・・・の形をしたパンを購入しまして、その大きさもさることながら造形の妙に、食っていいものかどうか賞味期限ぎりぎりまで悩むこと悩むこと(笑)
どうやらインスタグラムの世界ではファン層もついた有名な菓子パンのようです。角からレーザーとかばらけて鎧になるとかはしません。
と粋がっても内視鏡とポリープ取りのあとの体内の違和感というか不快感がもうたまらんと、土曜日の未明に駆け出し、夫婦して「ひとっ走り付き合えよ」などと能天気なことを言って、あの「銀河鉄道の夜」を食いに・・・いいのか今こんなもん食っちゃっての日帰り弾丸をしでかしました。だって術後に処方された薬がただの胃薬なんだもん。銀河鉄道の夜は、叉焼とメンマがグレードアップしました。もちろん胃薬はちゃんと服用しましたです。
「体調がいいならあと一か所どこかに立ち寄って、ゆっくり帰った方がいいよ」
と言われて、薄い記憶を絞り出したのが石ノ森萬画館の開館十九年祭・・・ではなく! 石ノ森章太郎ふるさと記念館の開館二十周年企画展。てことで種山高原から沿岸を回って登米市へ。
衝撃の事実が発覚し、うちの奥さん、ゼロゼロナンバーサイボーグ九人のうち、顔と名前が三人しか一致しなかったと!。どよーんとしょげられてしまったので、これは元気づけねばなるまいと、登米市から仙台市を飛び越して山形市の「グランロック」に連れて行き、晩御飯(僕はさすがにサラダとお茶)とパイアラモードをごちそうしてゲージ回復へ。
「そう言えば、ピグモンどうしているかなあ」
などと唐突なことを言い出すので、山形市から米沢経由で栗子トンネルを越えて東北道に乗り換え、磐越には回らずそのまま須賀川の松明通りを目指すわけですが、夜にあれを見たら怖いだろうなあと思っていたのが、背中から眺めるとなんとも哀愁が漂っています。
普通、ここでタイムアップしてどこかに泊まるものなんでしょうけれど、うちは普通じゃないのでそのまま南下へ。
途中でコンビニにてお茶を買い駐車場の隅っこで仮眠し、国道で水戸を目指し、測ってみたら全行程約1200キロ、22時間で戻ってきました。青森と秋田に足を伸ばせなかったのは無念でした。胃の辺りがすっきりしたのは、たぶん胃薬の効果ですよね。
帰宅し車を降りようとしたら、オドメータが面白い数字になっていましたよ。
医者にかかる前に読んでいました「8マンvsサイボーグ009」。両者、原作者が「幻魔大戦」においてどちらが真の原作者なのかのトラブルを引き起こした経緯があるだけに、平井さんも石ノ森さんも、あの世で「こりゃー困ったカードだねえ」などと苦笑いしていそうな連載開始です(と思っていたら、桑田二郎さんまでもが鬼籍に入っちっゃた)。ついでに言うと、地底帝国ヨミ編で009を心中完結させているファンの神経を逆なでしそうな第1話という感じです。
しかしまあ、「8マン」って書くと、なんだそれは?と読み違えたらかっこ悪いネーミングなんですが、「エイトマン」と表音すると、それなりにかっこよく聞こえるのは、もう僕なんか刷り込まれた世代だからでしょうかね。
009は009で、この前はデビルマンと共演させられるし、それ以前にもスカルマンと対峙させられるし、完結しきれていない分好き放題いじられています。今回、一見8マンと絡むようでいて、プロットの後ろの方に幻魔大戦の最終ステージが待ち受けているような気がしてならない。
・・・まさかなー、途中で平井陣営から「犬神明」が出てきちゃったらどうしよ。そんな大盤振る舞いはないでしょうけど、そんなことになったら、つり合いを取るために石ノ森陣営でも誰か出さなきゃならんよね。
もう51年も前のこととなります。人類初の月着陸を果たしたアポロ11号のクルーが、地球帰還を果たしたのが7月24日。このミッションは、月面着陸はもちろんのこと、無事に帰還したという点が後世に残る最大の偉業だと思います。翌年の春、大阪万博に連れて行ってもらい、我慢に我慢を重ねて行列を並び、「月の石」というのを間近で見物しました。それから半世紀・・・うわぁ、半世紀だってよ、15年かけて自分のクルマの積算走行距離でおなじ数字を刻んだわけです。
実際、2度目の往路だってできるかどうかわかりませんでした。だから、先代らすかるで月を目指していたころは、もっと訳が分からない衝動で走り続け、途方もないことを始めている自覚もなく、夜空を見上げては月を探していたのです。還ってこられなかった最初のミッションは失敗です。無駄になったのかもしれません。今、僕が持っている記録を、いつか誰かが乗り越えていくでしょう。と、期待半分「できるものならやってごらん」半分です。帰還は生半可じゃないね。