そんなに経つのねぇ・・・
あと4日で私のトコに来てからぴったり9500日。
オイルの減りが早かったり何だり。
ちょこちょこありますが、まあ経年劣化は仕方ないわな。
問題は、あと何年走れるかだわ・・・
今年も各地でコスモス畑が満開の賑わいで、寄り道道草をしながらふと知らないことに気がつき、さてこの花はいったいいつ頃、日本に渡来してきたのか? 物心がついたころから庭先にも咲いていたけれど、コスモスというのはメキシコの高原地帯に源を発する外来種なのです。どれくらい昔の日本人が眺めていたのか知りたくなって調べ物をしました。
すると諸説紛々。おおむね明治と文久に分かれるのです。
はてさて幕末なのか維新後なのか。文久については年次も出自も記されておらず、根拠に乏しかった。幕末という記述においては、オランダ人が島津藩に提供した旨の記述があり、年号がわからない。この二説はひとくくりにしても良さそうな気がします。
明治については12年説と20年頃説が多く語られていて、外国人教師がイタリアから持ち込んだ12年説が数で優っています。20年説にはこれだという記録を見出せませんでした。が、同じことを調査した方は他にもいらっしゃったようで、こちらに概略が載っていました。
どうやら明治12年説が有力な雰囲気ですが、東京美術学校とイタリア、オランダ人と島津藩というルートの違いから想像するに、幕末説にも何らかの信ぴょう性はあるのかもしれません。いずれにしてもひ弱そうに見えて生命力の強い品種。日本の気候風土には見事に適応してしまったようで、秋の季語にさえその名がカタカナで連なっているのです。
十三夜の前日です。20日の昼からコムロさん主催の那珂川キャンプにお邪魔してきました。日付が変わるころには一足先に帰宅しましたが、そう言えば10月21日というのは、エジソンが白熱球を完成させた日です。発明されたのは1879年のことで、これにちなんで・・・なぜ後年の日本で「あかりの日」が制定されているかといえば、エジソンの白熱球に使われたフィラメントの材料が京都産の竹だったから。
那珂川サイトから見える街路灯は水銀灯、そこかしこに設営されたキャンプはホワイトガソリンのランタンと電池式のLEDライトの時代ですが、月齢12ともなれば月明りも強まっています。ランプの灯も楽しいし、月が雲魔に隠れている間の闇夜もまた楽しいひとときです。夕方警戒された雷雨もなく、嫌になるほどの寒さにもならず、持ち寄った食材でお腹も満たされました。
「インド、パキスタン方面で初代エスクードの需要が高騰していて、スクラップだろうと不動車だろうとお構いなしの買い付けが始まっていますね」
ウエストウインの島雄司社長が困惑しながら教えてくれました。彼のところのレジントップも買い手がつきそうとの話です。成約しないのは、シートがノーマルじゃないからだと。バイヤーがシートを別所で入手したら、売れてしまうでしょう。
※その件は最終的に流れています
うちも先代らすかるに乗っていた頃、直接バイヤーから声をかけられたことがありましたが、当時は東南アジアでの需要高騰でした。今回は大げさに言えばローラー作戦か絨毯爆撃かという勢いがあるそうで、メーカーストックの純正部品などにも影響が及ぶのではないかと、島社長は懸念しています。
まったくありがた迷惑な話だこと。インドあたりじゃ三代目が高級車で馴らしてるんだから、それに乗っててもらいたいもんです。
吐け、というよりは描けなんですが、観測されたガンマ線バーストの天体をあれこれつないで「富士山座」だとか「ゴジラ座」といった、天空88星座とは異なる星座を編み出してしまうNASAのイマジネーションは、なんかもう無理やりな描き方です。このリンクの一部分を見ると以下のようなことを言ってます。
ゴジラの武器は、 “熱線、” 燃えるようなジェットです。これはブラックホールおよび中性子星と関連付けられるガンマ光線のジェットに類似します。
ガンマ線バーストなので、夜空を見上げても我々の肉眼で視認できる星座ではありません。東宝では喜ばしいような反応ですが、個人的には、夜ごとあんなのに天空から見下ろされているというのは願い下げたいところです。なんかねー、近年ゴジラに対して、放射熱線の扱いが緩くなっているような気がしますよ。
古い画像なのでいつのものだったか失念しましたが、四代目が登場する少し前の、デリーあたりで開かれたモーターショーに出てきたグランドビターラだったでしょうか。LUXIONというサブネームに、当時は目が行っていませんでした。これが「ひらがな」で書かれていたらインドのスズキには相当なマニアがいたとも推測できるわけですが、アルファベット表記なので「質量0にて真空中では光速度で動く素粒子」、と、スタンダードに解釈します。今考えるとけっこう凝ったネーミングです。
スペアタイヤを排しているので、もうモデル末期の架装ものだったのでしょうけれど、よくよく見ていると、市販ベースのTDA4Wの方がシャープな印象を感じます。対してこれのコンセプトは、よりゴージャスなところへ持って行こうとしたのがわかります。
しかしこれが発表された当時、人類初の超光速宇宙艦とか第3世代型宇宙戦艦とかいう話にくっつけようとする流れは無かったのか?(今頃蒸し返すなよ)
新潟県のあるコンビニエンスストアの駐車スペースの端っこにいつでも四代目エスクードと三代目エスクードが並んでいる風景を目にするそうです。いつでも、ってところに「へえー」と思い、さすが雪国だよねとこれからの季節をイメージするのです。
その昔、那須町のとあるコンビニでは初代エスクードが4台も置いてある風景があり、これがまたその店の店員さん全員のクルマだったという逸話があります。一人が乗り始めたらどんどん乗り換えが始まったとか。現在はその店舗の顔ぶれも変わり1台もないのですが、その頃と似たような話が新潟県で聞けるとは。と行ってみたらほんとに二代にわたるエスクードが駐車されていました。
が、近所で用事を済ませて戻ってきたら2台ともいなくなっていてコンタクトできなかった。買い物して店を出たら、いつのまにか1台は戻って来て、「らいのす」の隣に並んでおりました。