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  ~懲りない傾向~

「ほぼ」週刊エスクードを作る 01

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年末年始の騒ぎで着手の遅れた下手の横付きを始めました。「作る」などと生意気なことを書いていますが手先は元来不器用ですし眼もついて行かなくなっているので、まともなものは完成しないと思います。そのうえラジアントレッドマイカの車体色をマイアミブルーメタリックⅡ「に、できるだけ近い色で塗り替える」程度のことを「作る」なんて言っちゃっていいのか、な話でもあります。でも素体はTD11W、ここも可能な限りTD61Wに仕上げるのは不器用には辛い作業です。

早速サーフェイサーを吹いたのですが、まずこのマスキングの雑なこと。ヘッドライトやテールランプ部分はもう指先が動かせず霙がやってくれました。そこだけは完璧な防護になっていますが、あとの自分でやった部分はなんだこれな体たらく仕上がりです。

しかもですよ、僕はこの石膏っぽい状態が結構好きで、早くも「これでいいじゃん」な気分。ずーっと昔、「DX‐Xボンバー」を購入したらば赤だったんですよ。赤いのは母艦に搭載されている合体ロボ・ビッグダイエックスの方で、母艦であるXボンバーはつや消しの白なのです。そこで白基調のサーフェイサーを吹いたらなかなか良い仕上がりになってしまって・・・という過去がありました。蛇足的に言うと「レンズマンの宇宙船ブリタニア」には、グレー系のサフを使ったらこれまたうまくプラスチック感が消えて、塗装に至らない経験を多く過ごしています。

まあ、この記事が「ほぼ」週刊ですから、第二回目以降があるかどうかわかりません。それくらい雑でいい加減な作業をしているということをご了承ください。

湾岸MIDNIGHTの人になる

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早朝から机仕事をこなして昼から外仕事に出るという環境のため、日中じゃ考えられないようなスカスカの首都高都心環状線を使って都内に出入りしているのですが、入社以来(転勤三度して半分はいなかったけど)過ごしてきたビルがどうにも老朽化で都合が悪くなり、2月に転居が決まったようです。候補には今使っている駐車場を踏襲できる、いいじゃねーかのビルがありましたが賃料が高いと断念したらしく、港区から離れることに。

新しい社屋(と言ったって相変わらず店子ですが)の場所と近場の駐車場を確認せねばなりません。まったく、今どき地下駐車場も地上の駐車場も無いようなビル借りるんじゃねーよ、駅からも遠いじゃんと社長に文句言いましたよ。でもって、どうせならルートも変えるかと小菅で6号線には入らず、湾岸線からアプローチする道順を組み立てております。豊洲あたりから東京タワーが見えるのがいいし、勝鬨橋を渡るのもいい。ただ駐車場が遠いんだわ。

兄ちゃんは今年還暦な兄弟戦士

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1985年はバイクに乗って戦うあのヒーロー不在の頃でしたが、企画面で原作クレジットとしてかかわった石ノ森章太郎さんが「兄弟拳バイクロッサー」を世に送り出しています。キャラクターや小道具大道具を見れば、これはもう玩具企画が先行していることが分かりますけど、石ノ森ネームバリューは棄て置けないものだったのでしょう。主人公の一人、兄・水野拳は1965年の元日生まれで、本年還暦を迎えています。弟・水野銀次郎が乗るバイクを担いで砲撃する力持ちです。

放送局の違いからなのか、この二人は類型的にメタルヒーローと思われるのだけれど、そのシリーズには取り込まれていません。前年前作の「星雲仮面マシンマン」も同様でした。母艦があり戦闘車両と戦闘バイクがあり必殺武器のバイクを担いでしまうギミックなど、そうそう悪くもないアイデアだったと評価できるのですが、町内ヒーローというスケール感や悪役の扱いで、さほど人気は高まらなかった。ブルマー履いてタイツのような脚部が、僕は嫌いでした。40年前の本日登場。

電線が無い方がいいこともある

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百里へ降りていく訓練の機体が続々と横切っていくんですが、そのたびに車を路肩に停めて窓からスマホを出しているようではまあ間に合わないものです。一機ずつ着陸コースの軸線がずれていくので、三機目と四機目をスルーして、たぶんこのあたりだと待ち伏せ状態で五機目を狙ってこの有様。

何であるんだ電線(笑)

昨年、風花さんの夕景に「高圧線消したら怪獣が出てこられなくなるからだめっ」とコメントしてますが、電線が無い方が良いこともあるわけです。猛省しつつこれを消すのですけど、僕のスマホにゃそんな機能付いていない。いまどきМSペイントですよ。でもそれすらなかった昔は、電線消すのに外注したら「一本5000円」かかってました。Windows95が手に入ってからずーっと、11になってもまだPhotoshopが無いままそうやって泣きながら電柱電線と格闘しているのです。

まさかの邂逅

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正月休みのこと、雫さんの実家に年始に出かけたら鎮座しておりましたよフロンクス。ソリオバンディッドを娘の葉月に譲り、X-Beeに乗っていた母親の文月さんの新車だそうです。

「一応、四駆ですよー」

亭主である雫さんの実弟くんは何一つ知らなかったとか。

いや僕もここまで彼女がスズキ派だとは知らなかったわ。先月手元に来たというから、けっこう早い段階で注文していたに違いない。

マスカーワールド(仮面の世界ではないよ)

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大雑把な部分は自分でやりますが、ヘッドライトやテールランプのような微細で複雑な形状のところは、もはや目がついて行かないし指がごつすぎて太刀打ちできないのです。

年末に作業して休みの間に完成させるつもりでしたが無理だなこりゃ。という窮地はやはり霙が救ってくれます。あとは期間にこだわらずのんびりやります。

それにしても1/43スケールで流用させてほしいパーツというのはまず無いですね。そんなサイズの模型自体が無いんだから。仕方なくタミヤの1/35で加工できそうなものを、これまた直感ヤマ感で選んできます。98%は使わないままジャンク行きです。最大の問題は、頭の中のイメージを再現できるだけの器用さが無いってことなんです。

アイドリングでスタート

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この年末年始休日には大いに助けられました。年が明けてからぶっ倒れていたら暦通りに仕事始めを迎えられなかったかもしれません。再診察があるので今週半ばに1日休みをとります。

月は満ちている時期なので、体調は上向きだと思いますが、パーシャルアクセルで働こうと思います。

 

ところで、固定ページもろともデータベースが破損し過去記事が消失しました。管理者のりんもんさんが残っていたバックアップデータによって復旧してくれまして、固定ページはバックアップ外の日付だったので要点のみ再掲しております。2月2日、あたご天狗の森の「ATAGО FORESTHOUSE」カフェにて新年会を開かせていただきます。振舞うのは豚汁と塩むすびです。もともとつくばーど®と豚汁には浅からぬ縁がありますので、「あのとん汁」ではありませんが月遅れ新年会にはちょうど良い趣向を実現できます。つくばーど®冠なので車種にエスクード縛りはありません。ぜひご参加ください。

乙巳(きのと・み) 成長と結実へ

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干支で云うところの巳年の2025年は、暦と方位学的に「乙巳(きのと・み)」に当てはまるそうです。発展途上を示す「乙」と、植物が成長しきった様を意味する「巳」の組み合わせは、辛抱し続けてきたものがそれぞれの人々の歩み具合に応じて成果を見出せる年回りになるのだとか。それぞれの歩みというところで、僕の場合の極めて情けなくも「それしかないじゃん」な事象は、スズキエスクードとの出逢いと長い道のりの始まりに遡れる気がします。

なぜというに、僕がエスクードを手に入れ最初の1台に乗り始めたのが1989年。この年は己巳(つちのと・み)で、巳年だったのです。「己」は田畑のような自然界を喩えており、このときの「巳」には、夏の始まりがあてがわれていました。振り返ってみたら象徴的で、乗り換え乗り継ぎはあったにせよ、36年にわたって初代エスクードにしか乗ってこなかったことには、このような迷信じみた裏があったようなのです。36と言えば、「約数を9個もつ最小の数」で、次は100だそうです。。

エスクードMilage2025が始まりました。

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みんなのエスクードの積算走行距離を加算して火星まで行こうという、聞いて呆れる見て笑われる「エスクードMilage2025」が元旦より始まっています。2006年にスタートしてから300台を超える参加をいただき、現在、目標となっている2003年の火星大接近(約5600万キロ)まで約1100万キロくらいに近づいています。本年はSuuuさんとTA01Wさんがカバー写真を提供してくれました。アンカーにはうちのが使われています。さあ今年も淡々と距離を伸ばしていきますよ。

「帰ってきた」って書こうとしたら随分類似題名使ってた

2 Comments »

お騒がせの年末年始でしたがどうにか「お帰りできますよ」の診断が出て、退院してまいりました。寝不足極まって腹も減って、それよりも点滴させられまくりで風呂に入れなかったので、まずは浴槽に沈みましたよ。元日恒例の裏山の神社への初詣と、菩提寺への年始は、雫さんと娘らが代参してくれました。神社も高齢化と人手不足で、初詣の祈祷は深夜は行わず朝6時からに短縮したらしく、近所の氏子さんが教えてくれていたので事なきを得たとか。

しかし今年に限って大事な場面に(いやもう来年も代参してほしいくらいめんどくさいのよ)当主がこないという事態に、「何事か」と、どこへ行っても心配されたとか。あー・・・これもまためんどくせー釈明を迫られるよあとで。悪事じゃないけど音速で拡散するから田舎の情報伝達は(まあ自らブログでばらしてるんですが)。娘らはそれぞれ正月から出勤のスケジュールをやりくりして、家族全員が団欒できるよう退院を待ってくれていました。感謝の年初め。