近所のスーパーは普通のバター、Y印が一種類だけ
(普通は3~4銘柄ある・・・はず)しかも「入荷が少ないのでおひとり様一点でお願いします」と張り紙が。
そしてその横に普通の三倍近い値段のバター。
発酵バターが高いのは知ってた。けど〝安く〟を売り文句にしてるスーパーにその値段のバター置いて売れるのかい?
品薄なのは知ってたけどさ。
やらまいかしてほしいこと
「スズキはコンパクトSUVのパイオニアとしてVITARAやGRAND VITARAを投入してきたが、新しい『VITARA』が新世代のSUVとして、VITARAシリーズのファンだけでなく、SUVに興味をもたれるすべてのお客様を魅了するものと信じている」
ニュースリリースによれば、パリ・モーターショーにおけるメーカー代表のコメントは堂々たる自信に満ちております。配信された鈴木俊宏副社長さんの英語も聞き取りやすいスピーチでした。明らかにモデルの世代交代を行い、現行エスクードは生産終了させ在庫整理に向かうということです。
実際、満を持して誕生する新生VITARAには、沢山の顧客が現れることを期待してやまないのですが、いみじくもVITARAシリーズのファンとしてこのリリースをどうとらえているかといえば、誰がどうまとめてこう綴るのかについては、大本営発表だなあとしか感じないのです。
スズキが1988年に欧州市場に投入した「VITARA」は、洗練されたデザインに本格的四輪駆動性能を持ちながら、日常の生活でも便利に使えるなど、都市型コンパクトSUVのパイオニアとして高い評価を持って受け入れられ、新しい市場を開拓した。
今やスズキの広報所属の人たちにとっても、これは歴史の域であろうと思います。皮膚感覚として当時を知っている人はほとんどいらっしゃらないのではないか。ただし、新しい市場を開拓したという事実は確たるものですから、いつのまにSUVにくくっちゃったんだ?という一言はスルーできます。
これに続く1998年の「GRAND VITARA」はオンロードでの性能を向上させたクロスオーバーSUVとして男女を問わず世界中の多くのユーザーに親しまれた。
たった2行でまとまってしまう2代目のセンテンス。ここにすべてが語られていると思います。しかし2代目はクロスカントリーセダンとうたわれていた。オンロード性能を向上させたことは事実ですが、クロスカントリーセダンという言葉がいつしかクロスオーバーSUVに取り換えられてしまうのは、ファン側の真理としてはさびしい限りです。初代、2代にわたってこの車が世界的に著名となったのは、ラリーレイドでの活躍であったはず。だけど、2代目はGMの意見を取り入れすぎて、少なくとも国内市場では苦戦したことも事実(まあそんなことリリースに書くわけないのですが)
2005年に発売した「GRAND VITARA」は、フルタイム4WDシステムや四輪独立懸架式サスペンションなどを採用し、高いオフロード走行性能とオンロードでのスムーズで快適な走行性能を両立させ、世界で高い評価を得ている。
これはむしろ「4輪独立懸架サスペンションを採用しながらも」だったのではないかと思ってしまうのは、初代ユーザー目線だからなのかもしれませんが、3代目はコンパクトSUVと言いながらも北米市場を意識したことがあの寸法となり、国内やヨーロッパではちょっとでかいよ、と言われました。しかも肝心のアメリカの人々が、アメリカンサイズの車を手放さなかった。最終的に北米市場からは撤収したことで、拠りどころがヨーロッパに移行しているという市場事情を忘れてはならないと感じるのです。
さて何を言いたいのかというと、SUVと括ることによって本格的なオフロード性能とは従前とどう区別されてしまったのか、そのような土台の中で生まれた新生VITARAだけれど、エンジンレイアウトや車体構造をそれまでの骨太な四駆から一変させてもなお、ここがこうだから魅力的なのだという的確な評価を知りたいわけです。
メーカーには是非、すぐにでもハンガリーから現車を取り寄せ、「営業社員向けの試乗会」を開いてほしいと思います。こんなのはニュースや記事からの情報ではだめでしょう。営業さんが実際に触って運転して、出来栄えがどうなのかを肌で知ることの方がずっと重要です。
5本目のタイヤ wolfcityさんからのメール
事務局Sさんから「ESCLEVのサーバーにログインできなくなっているよ」と言われるまで気がつかないほど、請け負ったサイト更新をさぼりまくっていたことはとりあえず棚上げして、いつ、なぜそんなことになっていたのか検証するのに時間がかかりました。
パスコードなどは乗っ取られていなかったので、プロバイダーに対して何かの申告で自ら変更したパスワードをど忘れしていたというのが真相でした。
大いに猛省・・・
そんな中、実はTDA4Wにお乗りのwolfcityさんから、林道上で礫を踏みつけサイドウォールを破損したというリポートをいただいておりまして、結果的にほったらかしてしまう不届き千万なことになっておりました。
大変申し訳ありませぬ。サイトリポートはこちら
要は、このケースはいくらでも起こりうることで~あ、サイト更新をさぼったことじゃなくて、パンクの話ですよ~、wolfcityさんの場合は5本目のタイヤ、スペアを背負ったエスクードであったことが幸いでした。
林道、とりわけガレ場やがけ崩れで岩が崩落している場所、さらにそこが季節変わりして草や藪に隠されているような場所では、尖った礫がタイヤを切り裂くのです。自分でもやってますから大きな声で言える立場じゃないんですが、こうなる可能性はゼロではないということです。6型以降のエスクードでは、このスペアタイヤは自ら工夫して対処しなければならないわけですし。
wolfcityさんのありがたいことは、そういった部分に後ろ向きにならずに警鐘を立ててくれることと、懲りることなく林道を走り続けてくれていることです。なにがしかのリスクはあるにせよ、そこに注意し安全に走れば、林道ツーリングは楽しいのですから。
BLUE 懲りない証
地球と月の距離を走りきるという発想は、5年半を迎えた先代のらすかるが20万キロを越えた頃に思いついていました。それでもその時点で馬鹿みたいな距離が残っているのですから、当時としては壮大な話でした。でもやる気は十分でした。 月への到達は、それから3年後の2004年10月21日に果たしています。
いつの間にか10年経ってしまいましたよ。そのまま走り続けていたら、いったいどこまで距離が伸びていたことかと思わないでもありませんが、それから8年かけて2度目をこなすのは、壮大というより意地のようなものでした。
先代は新車から走らせたので、コンディションが悪くなるのも壊れるのも自分自身の運用の問題でした。最後は他人のせいで全損でしたが、あーまーど、すとらいく、とるねーどと、カスタマイズに関して沢山の仲間に協力してもらえたことが走った距離以上の記憶に残りました。
BLUEらすかるは、ご存じのように中古車を買い付けたものです。エスクードそのものが3代目に移行していたのですから、ないものねだりはできない。そんな中、先代をロストした直後にわずか1カ月で走り出せたのですから、贅沢は言えないというよりむしろ奇蹟かもしれません。
ただし、このエスクードの契約前を見た人はわずかですが、状態はすこぶる悪く、普通だったらこれに手は出さんだろうという錆の塊のようなエンジンルームでした。当然のように走り出して20万キロ持たずに(いやあれで20万キロ走ったというのがすごいんだぜ)エンジンの載せ替えに至るわけです。 それこそ意地です。へこんで泣き言を漏らしている場合ではなかったのです。
だって、誰が期待していなくとも、エスクードはそこまでやっても載り続けたい車だと主張したかったから。もしもあの時点で放棄していたら、エスクードにダメ出しの烙印を自ら押す羽目になるところだったのです。
まあこんなエスク馬鹿は僕ぐらいだろうと思っていましたが、先日、kawaさんがぽつりと「実はエンジンがおかしくなって、こりゃ乗り換えかというタイミングに、62Wの出物があったんですよ」とつぶやいていました。 「ところが主治医が見に行ってきて、『あんな煙草臭い車は客に出せない』って」という顛末で、V6ノマドは修理を施されたのだとか。いやはや喜んでいいのか同情すべきなのか・・・
BLUEらすかる。と、伊達に呼んでいますが、なぜBLUEなのかは、懲りない証という意味を込めているからです。なぜ懲りない、と意味するのかは、キーボードの絶妙ないたずらですが、こんな遍歴、笑う人はいても泣けてくれる人はいないですけどね(なさけねー)
やっちまったい
先日の青森行の際、日付が変わるまで国道を走ろうと、とぼとぼと4号線を北上していると、北上市に入ったところで中古ソフトの店を発見し、ふらっと寄ってしまったがために葛藤する羽目に。このふざけた価格は新品よりは安いけれど、どう見ても税抜き価格だよなあ。しかしDVDBOXひと箱で全話収録されていて、当時のサントラ盤音楽集もついているらしい。なんでこのタイミングで出物するかなあ(とりあえず出張宿泊費とか交通費とか持っているわけです)
いやいやいや・・・経費を着服するわけにはいかぬ。と、生活費を取り崩す僕は、どっちにしてもダメ人間。
安彦良和さんはこのアニメーションを原作・監督して「大失敗作」と自嘲していますが、僕は「巨神ゴーグ」の世界観をとても気に入っていて、ガンダムじゃない安彦さんの動画を毎週見られるってことにわくわくしていたものです。これが放送されていた頃はもう就職してたんだっけなあ。そんなわけでゴーグが30年前のアニメーションなら、僕は勤続30年めだよ・・・たぶん。
そして週末に帰省すると娘らから「誕生日のお祝いね」とこれらの品々が。
おい・・・人をなんだと思ってるんだ?(ツボにはまりすぎだろうっ)なんてことを言うわけにはいかないですね。家内は冬物のダンガリーを選んでくれたようなのですが「ごめんねー、取り寄せモノなんだけどまだ届かないんだわ」だそうです。
それにしてもよ、タカトクトイスのVF1バルキリーなんてのを買ってくれたのが、当時つきあっていた家内からの最初のプレゼントだったですが、このベクトルが世代交代しても30年変わらないというのはどうなんでしょうねえ。