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  ~懲りない傾向~

Team WESTWIN Warriors#162

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まずお詫びと訂正です。梅津知浩君の登場以来、前々回までずーっと、チヒロ君の名前(漢字)を間違えておりました。過去記事の間違っているところは、現時点ですべて修正済みです(たぶん)

そういえば、川添君のときにも同じ失態をやらかしていました。まったく進歩がないです。

それにしてもだよ、2001年の生まれって、その若さがうらやましいことこの上ないです。彼が生まれた日に何が起きていたかというと、宇宙開発事業団と三菱重工による国産ロケットH2の試験機1号機が打ち上げられ、成功しています。

21世紀Boyにはロケットの道が重なっているのです。

点検と称する遊び

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幾日も大雨が断続したので、裏山の林道もさぞや荒れちゃってるだろうと点検に出かけたところ、稜線の向きによっては意外とコンディションが維持されていて、もちろん「これは幌車じゃ歯が立たぬわっ」という場所もあるのですが、そこそこの散歩・・・じゃない点検ができました。

じゃあ何やってんだというと、この立ち位置に倒木があって通れないという・・・

盛者必衰の理をあらわす

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これを撮影したのは21世紀に入ってからのことですが、いわゆる「90年代のクルマ風景」を残した風情となっています。後方に駐車しているスカイラインに対して、エスクードのいで立ちは、ひと時代のそれですね。ドライブシャフトの限界を超えて車高を上げ、大径のマッドテレーンタイヤに対応してオーバーフェンダーを追加しています。あの頃こんなやつを、今の霰と同い年の女の子が運転していたんだから、そりゃかっこよかったですよ。

さよなら夏の日にはまだ早い

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達郎さんの「さよなら夏の日」について、初めてアニメーションのМVが付いてという話題が先日ニュースに乗りました。91年5月にリリースされたこの曲は、本人が高校生の頃、ガールフレンドと、ねりまえん・・・もとい、としまえんのプールにてデートしたエピソードが歌われたもので、ということはそのデートが今からだいたい50年前。レコーディングされたのが夕立の午後から20年経ってからなのですねえ。71年は置いといて、91年5月の僕は新婚でした。

長く達郎さんのファンでもありますから、この曲も大好きです。ただ、あの当時聴いていた歌詞と、30年歳くってから聴く歌詞とでは、そういうことだったのかと、帰らない夏の記憶にいくらか打ちひしがれるものがあります。掛け値なしに時間をいくらでも無駄遣いできたんだよなあという感傷。まあね、自分自身で無駄遣いできたんだからそれでいいのだし、達郎さんのデートの記憶ですから、それにつられて自分自身が夏の日々にサヨナラする義理も無いんです。

上の2点が、その91年夏の風景。そりゃもう僕のブログですから、僕からスズキエスクードを取ったら何も残らない(笑)んで、エスクードがぞろぞろ出てくるのは「またかよ」と言われそうですが勘弁してください。90年式のGoldwinlimitedは借りてきて乗ったものです。ただ、4人乗りのこのクルマでは家族総出で出かけようとすると両親或いは妹と祖母(祖父は89年に逝去)の誰かが乗れなくなるので、93年にGlimitedノマドを増車しました。

最初に乗ったHelly Hansenlimitedは、後にカタログモデルのV6‐2000にスイッチされますが、2か月後に第一子が生まれてくるというときに、わざわざハードトップのショートボディを選択するところが暴挙。しかし裏をあかせばノマドがあったし家内のサニーもあったし、ジムニーも・・・これは最初から戦力外ですが、実際にはさほど困ったことにはなりませんでした。これらは夏の、というよりバブル景気の名残りです。すべて新車で買えた時代。先のことを考えもしない。

V6のハードトップから現在の2500に乗り換えたときが、おそらく夏のピークに辿り着こうとしていた頃なのかもしれません。ノマド系の積載量と居住性(程度問題)に、メーカー最大排気量が搭載されたTD61Wが出てから8年が過ぎ、エスクードは三代目に移行していましたが、これを選択することには何の迷いもありませんでした。ショートで育った娘たちが、「助手席のシートを倒して」後席に乗り込もうとしたのはステキな笑い話です。

その娘らが、若葉マークを付けて走り出したのが、奇しくも91年式のコンバーチブルであることは、本ブログではもはや書き残したことも無くなってしまいました。30数年、初代にしか乗っていない変人な僕です。それは、そこに真夏のような何かを感じ取ってしまったから。でも、達郎さんの歌とは違って、僕にはまだ「直4の2000に乗っていない」という続きがあるのです。じじいになってもそれは、夏の日々の、ってことなんだけど、果たして縁がありますかどうか。

ところで、アニメのМVもいいけれど、それ以外のМVにも味があります。誰かと思ったらどんぎつねさんじゃないですか。別のカバーの女性ボーカルの声色は、なんとなく秋の気配を感じさせます。それともうひとつ、かわねこさんがこの話題が出てくる2日前、「さよなら夏の日」というタイトルでブログを書いています。なんという先見性。タイトルは狙ってのことですよねえ。

 

 

真似る 向日葵は無いが電線とトウモロコシはある

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うちで乗っていた89年式の01Wでヘリーハンセン・リミテッドは、当時知り合っていなかったコムロさんに目撃されているらしいですが、この頃エスクードに乗っている知人は、よりによって僕より早くこれと同型を買った一人と、数年後にGoldwinlimitedノマドに乗り始める風花さんだけでした。

なんだよ、全員限定仕様だったのかよ。

そして「エスクード買うなら絶対にノマドがいいぞ」と、風花さんに教え込んだのは僕ですが、彼女がその通りにノマドを買ったあと、うちでは「ヘリーハンセンからV6ハードトップ」に乗り換えたという。

そうだよ俺はショートのエスクードで子育て二人やったんだよっ

まだまだ先のことだよ たぶん

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28万キロです。間違いないはずです。だけど先だって「7ぞろい」をやったときから、ひょっとしてこれを買ったときの7万キロちょっとというのは、実際には17万キロちょっとの見誤りだったんじゃないか(なんせ個人経営の車屋だったし)? という疑問がいくらか湧いているのです。

5桁メーターの困ったところはこれですね。

この、まさか38万キロじゃないよねの件については、もう仕様がないので28万キロカウントで進めていきます。この車体で月まで届くかどうかは、車体よりも人間の方でちょっと考えにくいしねえ。

とはいえ手入れの一つもしなくてはと、これを買ったときの本体価格を凌駕する予算で二層コーティングを施しましたよ。

一周回ってきた因果な一品

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Twitterの世界でなにげに見かけてしまった、スズキエスクードのミニカー。たいていの人ならば、

「どこに目をつけてるんだ!これがエスクードなものかっ」

と一蹴するでしょう。

まあ実際そうなんですが、この黄色の四駆のミニカー、90年代にも「審議以前の問題ですよね?」と話題に乗っていたことがありました。当時はそれでも、海外物の情報も少なかったこともあって、四角いヘッドライトのジムニーってあるのか? いやジムニーにしてはボンネット長すぎるなどと、割と困惑しながらも「これは違うよ」と、エスクードではないという結論に至ったのです。要するに昔の中国製製品なんてものは、それがジムニーの間違いだったとしても、技術的にレベルが低くてジムニーとさえ言いにくいのでした。

30年も経って、再びこれと巡り合うとは因果なものです。今ならさしずめ「これこそが次期モデルの理想形」などと言われちゃうのかもしれません。が、そういう期待感もこれにはないでしょう。話は跳びますが、かつてはイギリス版のエブリイ、キャリイに「RASCAL」と名付けて販売したメーカーもあって、うちのエスクードに付けられた愛称の原典はそれか? という誤解を招いたこともありました。逆に「そんな名前のスズキ車があるのか!」とびっくりしたものですが。

そんなわけで比較してみれば一目瞭然で、そもそもエスクードのフェンダーは初代、二代目にわたって前後ともブリスタータイプであり、この時点で「別の車種」と判断できるのです。四角いヘッドライトといっても、エスクードのそれは歴代、純粋な正方形でも長方形でもありません。しかし知らない人たちには知らない情報。それが知らないままに流布され拡散されてしまうのは、情報過多の時代になっても変わらないようです。だけどまだ売ってんのね(販売メーカーには現在、ラインナップはありません)

3度目だ 間違いない・・・と思う

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7のぞろ目は、3度目となります。でもご周知のように、オドメータが5桁ですから、2度目と3度目は「頭にもう一つ」数字が乗っかります。

とりあえず調子は悪くないからいいけど、時々「ほんとにこれ3度目か? まさか4度目じゃないだろうな?」と思わんでもないのですが。もしも4度目だったとしたら、これほど呑気に月軌道までリーチがかかった事例もないですね。

仮に、前に乗っていた人がごく一般的な乗り方をしていたとするなら。91年からのこれを記録簿上すべて追跡できないんですが、04年くらいで手放していて(と想像前提ですが)、僕が見つけた中古車店で2年ほど埃をかぶっていたので、距離計算的には間違いない。と・・・思うんですけどねえ。

まあどうってことは無いんです。今はうちの幌車だし。

 

Team WESTWIN Warriors#161

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筑波サーキットにおいて27日に開かれた「フォーチュンSEVスーパーカップ」に、ウエストウイン所属の若手ドライバー、梅津知浩君が参戦しました。主催者と交流のある、熊本の4’sFACTORY・森川金也社長が「チヒロがやる気満々なので連れてきちゃった」と、横浜の深野さんと3人でチームの半分を編成、あと3人とは現地でコンタクトし6名で「チームSEVフォーチュン」を組み上げました。

感慨深いですよ。かつて川添哲朗君が千葉まで来てくれたことがあり、それに続いて遂にチヒロ君が利根川を越えてきた(なんのこっちゃ)。しかも台風まで呼び込んじゃう破天荒ぶり。小雨によって昨日までの猛暑は何処へ行った? と思わせるほどの涼しさ。加えて練習走行時にはレインタイヤを履いていたのに、「合羽を売り切ったら空が明るくなり一時的に雨も止んだ」と、オフィシャルサイドが全車スリックに換えてしまい、第一ヒートは再び降り出した雨の中のスタート。

カートレースは4度目、筑波は当然初めてのチヒロ君は「どこをどう走ったらいいかわからんです」「(開幕から時間が押していて)コースを歩けないのが不満です」とつぶやくものの、それも修行だと黙々と準備してコースに出ていきます。「雨の日のTDAと同じような挙動だから」とは森川さんの指示。「今日はもうチヒロ1人に任せちゃおうか」などと周囲を笑わせます。しかしレースは間に昼食をはさんだ2ヒート制の6時間耐久です。

と、書けるのはここまでです。僕自身が客先から呼び出しを食らって、チヒロ君の1回目の出走からピット戻りを見届けたところで中座しなければなりませんでした。コース上のラストショットは、ホームストレートエンドに作られたシケインを越えて第1コーナーに侵入する際、スピンしてエンジンストールしたところ(そんなの撮るなよ)ですが、つまるところ、果敢にアタックしていたということですね。このあとはチヒロ君からの報告電話から。

「午後は快晴になって面白いほどグリップが回復したドライコンディションで、こうすればこう動くかな? といった思い通りにカートをコントロールできました。一時はトップを走ってたんですよ」

最終順位は17チーム中5位。即席編成チームに初遠征(前夜、ホテル内でケータイの充電ができずコンビニ探しで寝られなかったらしい)ですから、まずまずの結果です。

Team WESTWIN Warriors#160

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ちょっと話題続きで遅くなってしまいましたが、TDA第2戦の結果。

リミテッド 優勝 和田選手、2位 森川選手、3位 武田選手。4位に梅津知浩くんが食い込んでいます。
アンフィニ 優勝 和田選手、2位 川添哲朗選手、3位 金子選手、4位 谷選手。

川添君の二代目エスクードに対して、他の車両がどんどん性能を上げていて、それを乗りこなすドライバーも一昔前とは異なる高レベルぞろいだそうです。

それでも川添君によれば、「まだ52Wの性能を全部使いきっていません」とのこと。後半戦に向けてどんな引き出しを開けてくるか楽しみです。

さてチヒロ君ですが、本日、筑波サーキットで予定されているカートの耐久レースのためにやってくるはずなんですが、サーキットカレンダーに何も載っていない・・・ コース2000じゃないからかなと思った(コース1000を借り切りにしてらっしゃる)一方で、今日って台風が東北乃至関東直撃なんですけど、6時間も耐久やるの?