Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

内部告発

4 Comments »

基地の雑誌を片付けていた昨年の大掃除の際、こんな記事を発見してしまいました。90年代から00年代に出版されていたアウトドア系RV雑誌にインタビューを受け、30万キロ以上もの運用はどう手入れしているのかとか、なぜそんなに執着しているのかといった質問に答えています。33万2000キロと読めるので、2003年の取材でしょう。この雑誌は休刊のままなし崩しに消滅していますが、先代らすかるの最期まで取材対象にしてくれていました。

このあと、最後に先代が掲載されたときはちょうど車をロストし、今のエスクードを見つけて現地に見に行く直前の取材でした。

ま、それはいいんですがこの記事の囲みの部分。俺、次の車にグランドエスクードを候補にしているじゃねーか! てことは月まで走ったら乗り換えちゃうつもりだったのか? なにこのブレブレないい加減発言!

実際にはこの記事の2年後にグランドではなくV6の2500に乗り換えましたが、その翌年には予告よりかなり前倒ししてコンバーチブルを買い足しているので、半分は有言実行なんですけど、ほんとにてきとーなことをしゃべるもんじゃありません。いやそれほどテキトーな受け答えをしていたはずはないんですよ。だからこそこのグランド発言は今になって破壊力持ってきますねえ。

人よ命よ力を見る(それも違う)

2 Comments »

つくばーどの現在のスタイルの構築は99年、ESCLEVに至っては03年のことですから、エスクードのコミュニティーとしては後発です。一時期僕自身もSNSに身を投じたこともありますが、いつ誰がコンタクトを求めてくるかもしれないという環境を考えると、囲いの中にいてはならないと判断して会員制サイトとは距離を置くことにしました。まあその辺は負け戦の道まっしぐらですから語るべきものはありません。

だけど狼駄さんに負けてるのも口惜しいので(ばかだね俺)こちらのコミュニティーのことを示すならば、単一車種の集まりではなかったということです。それはほら、若いけどお金が無かったから。いろいろな四駆に乗るためには仲間同士で同じ車種は選ばない。という作戦です。

うちのヘリーハンセン・リミテッドがまだ武装もしていませんから、これはまだヘリーハンセンが登場した89年か、90年あたりのミーティング風景でしょう。ふーんだ、あの白狼なんかまだ名付けられるどころか最初の所有者が購入していたかどうかも分からない時代だぜ(ばか丸出し)

これもスチルが残っていないので無念ですが、この3種のほかには40やらビッグホーンやらパジェロもいました。そういう布陣だとほんとにエスクードって「場違い」とからかわれたものです。

そしてその後の我が家といえば、ミニカーコレクションじゃあるまいし、なんかもうしょーもないラインナップですよね。94年頃のものと思われますが、義弟のJA51を除いて全部つくばーど所有。しかも義弟のところに嫁いだ妹のクルマはセルボモードの4気筒だったという・・・ これだもの家内が「セダンが1台なかったら絶対に不都合があります!」と、嫁入り道具だったパルサーハッチバックをサニーに乗り換えたのは無理もありません。

 

なるほどの世界戦略

2 Comments »

年末にかわねこさんがつくばーど基地を訪ねてくださっとき、グランドビターラ/三代目エスクードのラバー製キーチェーンを土産にいただきまして、かわねこさんもラリー観戦の折に偶然見つけた出自不明の品物だというので、どんな製品なのかを探してみました。

これがあっさり見つかったので、よしよしとリンクを開いたら

ここにたどり着くわけです ←そりゃそうだよな

それじゃだめじゃん。と再度捜索を続けましたが、これに該当するものを結局見つけられず、たぶん同類品であろうこれが存在することから、イギリスからの輸入物ではないかと思われます。

既にこんなの出てるし

エスクードに限らずスズキの車やバイクは海外での評価も人気も高く・・・なんてことは今更な話ですが、現物のクルマだけでなくアクセサリーなりマスコットなりを手元に置いておきたいというファン心理がそれこそ無数に流通している。

こんなのとかこんなのとかこんなのは、みな海外の製品です。これなんかコンバーチブルだけじゃなくてハードトップもノマド仕様もある。こういうマニアックな領域を日本では鈴菌と呼んで親しみを込めながらも馬鹿にする。嘆かわしいことですわ。

 

51vs61(まあ並べただけですが)

51vs61(まあ並べただけですが) はコメントを受け付けていません

本日店頭発売となるスーパースージー98号に、TD51Wと61Wの対決記事を・・・と思ったのですがそんな時間は無くて並べただけの、やる気あんのか筆者! などと言われそうなお話を掲載しています。

51Wオーナーの二階堂裕さんは、ブログにて河川敷を走らせた感想を短く述べていますが、レースじゃあるまいしその速度はやっちゃならないだろう(笑 やってないでしょう)

今回、両車の性格の違いをまとめるにあたって、違うところはエンジン形式しかないんだよねと、舌っ足らずな記事になっているのですが、スーパースージー側のメイン企画がジムニーの歴代エンジン変遷で攻めてきているのが、二階堂さんと打ち合わせもしていないのに偶然のすり合わせとなっています。読み手の立場から見ると、このジムニーの全エンジン紹介というのは形式やメカニズムの点から言っても、ここ数回の本誌の企画のなかでも読むところがあるなと感じました。

エンジンの異なる51Wと61Wの特徴と言えば、軽巡洋艦と重巡洋艦(さすがに戦艦とまではいかない)の違い。トルクが上がっている分、瞬発力のある直4に引けを取らないV6、2000cc時代のように回さなくても走る2500というV6の完成度があります。しかしフロントヘビーさからは逃れようもなく、トータルで扱いやすい51W、はまったらもとへは戻れない61Wというところでしょう。

本音を言えば直4はショートに、V6をロングに、という車種体系にしていたら、何一つ悩むこともなかったのですが、この折衷案のようなTA11Wの存在もあり、ショートのV6も捨てがたい。これに1600シリーズも混ぜこぜだったわけですから、確かにユーザーはどれを選べばいいのか困ったことでしょう。

ひょっとするとの世界ですが、2代目へのスイッチがあと2年ほど先送りされていたなら、51W系の進化はもう一歩何かあったのかもしれません。それがより乗用車化の道を辿ったとしても、2000らしいトルクの出方あたりにスポットが当たっていたような気がします。

 

 

 

人よ命よ始まりを見る(それ違う)

4 Comments »

史上初のエスクードミーティングかもしれない(この日付の数日前に林道ツーリングがあるので)、狼駄さんがエスクード仲間を1か所に招いてミーティングを企画した第1回目から、20年が巡っています。これがあの「ネギまみれ」誕生のときでもあるそうです。97年には3回のミーティングが開かれていました。ここから2年程度で多くのユーザーさんが個人サイトを立ち上げ、メーリングリストのクラブが成立し、当時のモンスターにもエスクードのクラブが結成されていきます。

モンスター、スズキスポーツによるクラブとメーリングリストのクラブを別にすれば、この頃インターネットで情報発信していたエスクードの交流は、いわゆるSNSに頼らず(そういうのが無かったしね)個人の熱意と努力で運営されていたことが注目すべき展開です。しかもオンラインの活用は告知と経過報告。主たる活動は「ちょっと行って会って来よう」というオフラインでの企画が成果をあげました。

これがあったからこそ、あとが続いたのです。無論歳月の経過とともに乗り換えた人もサイト閉鎖した人もありますが、続いているところは続いている。エスクードという素材が代替わりを繰り返してユーザー層が変わり、巷にあふれる情報量とその入手手段も激変した今、交流の持続に意味があるのか? といった評もありますが、逆に言えば誰にも「不要」とは言えないのです。

それは重苦しい? そうでもありません。なんせ好きでやっている面々ですから、エスクードのユーザーさんがやってくればいつでも「ようこそ」と手を振ってくれます。

ところでこの頃のつくばーど基地といえば、TA11WとTD01Wの2台体制第二陣が敷かれていたのですが、なんとその写真が残っていないばかりか、かなり意外な風景が記録されておりました。

いいのか?こういう布陣を公開しちゃって(笑)

ブライトレッド5なんて持ってないし

4 Comments »

現在使っている眼鏡は近視によって必要となり度を合わせていたのですが、これをつけたままだと手元の細かい作業がやりにくく、眼鏡をはずした方がまだまし。

自分では老眼出てきたかなあと感じていたので遠近両用も作ってみたものの、使いにくい。

てことはまだ近視のままなの俺?

 

それはさておきブライトレッド5なんて塗料は持ってませんよ。できるだけ近い赤を塗ったけれど黒ずむ。失敗したわといろいろ考えて上塗りせざるを得ませんでしたが、ガンダムマーカーの赤を使ったことは機密事項です。黒に至っては、まんまブラック光沢です。

鳥の両翼車の両輪

2 Comments »

対でなければ意味を成さない。双方揃って初めて機能する。まあ自動車の場合は最低4つ無いとだめだし、5本目のタイヤが必要なのかもはや不要の時代なのかを議論してしまうのですが、鳥も車も哀しいほどにシンメトリックな姿かたちで進化してきました。車の両輪は、鳥の翼が空を求めるように、地面が無くてはならない。地面が車を求めていないと論ずる人々もおりましょうが、そこは容赦してほしい。

ところで、鳥は酉。犬猿の仲である申と戌の間にいて両者をつなぎ「とりもつ」干支であると、誰かが唱えていました。素敵な語呂合わせです。これまでやってきたことを次の年に手渡していく、そんな1年にできたらと考えています。

本年はスズキエスクード誕生から29年め。まさしく取り持つ1年として走り続けたいと思うのです。

Feliz Ano Novo!

8 Comments »

滅多にないでは立場がない

滅多にないでは立場がない はコメントを受け付けていません

エスクードがカラー8頁も扱われること自体、しかもそれが「あの」←かなり失礼と承知で「QURIOUS」が取り上げるのは、確かに滅多にないことです。下手をするとこの雑誌の読者層からは、何故だ? などと言われちゃうかもしれない。そこまでコンプレックスを抱え込む必要もありませんが、確か第9号でもオフロード性能をちょっとだけ紹介されていたはずで、それでもちょっとだけだったのです。しかし今月リリースされた第12号は、これまた違った意味でびっくりです。

経緯を明かせばこのエスクードは同誌編集部を兼ねるカマドさんが引き取ってきたもので、これをどうしたことか二階堂裕さんが買い取ったことによって、掲載の実現へと動き出したとのお話。二階堂さん曰く

「状態は悪くないし車検もたくさん残っていたから。それに安かったしね」

安かったっていくらしたんですかと尋ねてはあります。恐ろしくて書けません。

そりゃー買うわなぁ、という破格で二階堂さん所有となったエスクードが「うちのじゃないです(笑)」にて突如現れたTD51W。二階堂さんがエスクードを所有するのは3度目になりますが、まさかのこの車体色ですからまさしく滅多にない(一次ユーザー時代はともかく、今は51W、61Wともに、意外と中古車として出てこない色なのです。)ことだってんで「野鴨屋的珍事」に至ったのが最近。来月7日にリリースされる「スーパースージー98号」の連載のための取材でした。

記事を一読すると、そこは四駆道楽専門誌です。どれくらい辛辣に一刀両断されるかとびくびくしましたが、ダメなところはダメなりに、優れたところもきちんとフォローしてくれていて、この雑誌でこれだけ評価してくれるのはちょっと嬉しい。リアサスの構造であるとか、下回りに残したオフロード車としての考え方であるとか、多少の室内の窮屈感を訴えながらも小型車サイズとして合理的なコンパクトさであるとか。テンロクの車体に対して無意味な拡幅ではないとか。

仮に、ですが、これで61Wと乗り比べてもらう機会があれば、11WのV6が直4と入れ替わったトルクの細さについて、61WのV6が雪辱を果たしていることも理解していただけるのかもしれません。まあそれでも同誌が言うようにV6の2500は少数派であることは違いありません。ただひとつ、このエスクードの29万キロちょっとの走行距離が、~ランクルあたりでは珍しくないが個人所有のエスクードでは滅多にない~というのはエスクードを知らない人の意見です。

BLUEらすかるは棚上げするとしても、29万キロごときで何言ってんの、という現役初代乗りは他にもいます。三代目が20万キロ台に届く時代、初代乗りは、このサイズ、コンセプトをこよなく好いているのです。いやそれよりね、結果的にボツになったけれど2009年に一度、うちのエスクードで撮影やってるじゃないですか(笑) このときまだBLUEらすかるは25万キロくらいだったけどさ。62万キロを越えたいま「滅多にない」と言わては、うちも立場が無いのですよ。

 

20年の風景

20年の風景 はコメントを受け付けていません

96年式のBLUEらすかると、まあデビューは昨年ですが事実上今年になって市場に流通するようになった4代目。

もちろんこの間、二世代の進化があるわけですが、20年の開きというのは大きいなあ。知らない人には同じ名前のクルマだなんてわかんないね。