Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

使い出があるのに使えない(笑)

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ハサミ、マスキングテープ、付箋、クリアファイル、ジップロックパッケージ、ホチキスと・・・入れ物そのもの(下の写真)

ペヤングソース焼きそばが誕生50周年なんだそうです。そこに着目した宝島社がまるか食品と共同開発。ムックの付録についておりました。入れ物なんか昔ながらの蓋付き仕様(スチール製)です。

まるか食品でも50周年記念で味付けバリエーションを展開するようですが、メガ盛りパッケージなどで話題をさらってきたペヤングは、この付録ではレギュラーサイズの半分くらいのコンパクトさで、カバンに入れてもかさばらない大きさ。クリアファイルとジップロックをどう使いこなすかはユーザー次第です。

まあ使いであるけれどこれ、使うのもったいない(笑)

そばを焼く、という調理方法を根底から変えてしまった、厳密には焼きそばではないインスタント麺が、現代において残している改良点は「湯切り」による熱湯の処分でしょうか。それさえもどこだったかのメーカーは「それでスープを作って」とスープ用粉末もつけていたと思います。各社しのぎを削ってます。ペヤングに続いて明星一平ちゃんも30周年、こちらはからしマヨネーズという切り口が我が家に受けていて、シェアの奪い合いが続いています。

 

月並みに墜ちる

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「機動戦士GundamGQuuuuuuX」の仮想戦記ぶりは劇場公開版に遅れてテレビ放送でも展開が進み、いくらか鼻につく部分もありながら面白おかしく観ていた方がいいのだと腹をくくったわけですが。

 

 

結局のところ、シャア・アズナブルってキャラは、いじり倒すべき存在であることに1ミリの狂いもありませんね。

←20年くらい前に撮ったやつが、ゲルググ設定の変化でいまになって使えるようになるとは・・・

 

これをダメ押しに加えとこう。

ああ。この赤い彗星の正体についてはつっこまないでくださいよ。

標高531m

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その高さがシンボルとして扱われ、札幌市に所在する藻岩山は5月31日に記念日を持っています。札幌振興公社が運営する「札幌もいわ山ロープウェイ」が制定者で、翌日に藻岩山の山開きも行われるという時節に合わせてPRイベントも展開するそうです。なんといっても藻岩山から見おろす札幌市の夜景は、函館市に並んで絶景の眺めです。とか言いながら、僕がそれを見てきたのは2003年のことで、かなり疎遠にしてしまっています。

近年の脳内藻岩山イメージは、FM放送のMRSこと藻岩山ラジオ局。原作漫画の連載はもうすぐ10年になりますが、アニメ版、ドラマ版も後追いで制作されるなど人気を獲得していると思います。残念ながら双方、原作ストックの関係から短い話数で完結してしまいましたが、奇しくも引き起ってしまった北海道胆振東部地震がいずれの連載・番組でも扱われ、自分でも経験した東日本大震災で、ラジオ放送にずいぶん助けられたことを思い出します。

「波よ聞いてくれ」には破天荒さやキレの良いハチャメチャさがまず出てくるのですが、レコーディングディレクターが風の音を録りに行く藻岩山眼下の風景、地震の影響で札幌の停電が描かれた藻岩山からの闇夜とそこに放たれる電波に乗った声など、印象に残るシーンがあります。アイヌの人々はインカルシペヌプリと呼び、その眺望を活かした見張り台として歴史を刻んだほど、都市部(現代の)と近接した立地は、うちの裏山に位置する天狗の森ともよく似た親近感があります。

初回視聴率30.6%のほんの一瞬

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といって、こんなシーンがあるからその視聴率が出たわけでも何でもありません。しかもですよ、このシーンの二人は主要登場人物ではあるものの主役ではありませんし、彼らが乗っていたのは右端にちょっとだけ映っているランドクルーザーの方です。画面を引き締めるための右下のオブジェに過ぎない演出上のインサートなんですが、まさかこの番組にエスクードが見切れているとは思いませんでした。この第一話が流れた番組は1996年。型式も排気量もわかんないですね。

さてこの番組は何だったでしょうか?

 

←こっちが主役

時差で逃げ切るアポロ10のこと

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1969年5月22日21:29:43 UTC。アポロ10号が着陸船を近月点15.7km、遠月点112.8kmの軌道に乗せ、月面からの高度47,400フィート (14.4km)まで接近させました。このミッションで司令船に「チャーリーブラウン」、着陸船に「スヌーピー」と名づけたら「ふざけてんのかお前ら、威厳というものを考えろ」と叱られたことから、7月に月着陸を果たす11号には司令船「コロンビア」、着陸船「イーグル」なんて、いかにもアメリカらしいけどつまんない命名がなされています。

この話を昨日外してしまい、しまったと思いながら日付を考えるとUTC。つまり国際単位系 秒に基づく協定世界時なので、これを東京の時差に置き換えると23日06:29くらい。おぉ、こじつけりゃどうにかなるじゃん。というわけで実はアポロ10の月面最接近、司令船と着陸船の相性については過去にそれぞれ触れているんですがもう一度取り上げることができます。といっても記事で扱うのはアポロ10のというよりスヌーピーのことです。

「PEANUTS」のコミック版においては、このビーグル犬は1969年3月14日付け連載で「アポロ11よりも早く月に降り立っている」のでした。”地球のいきもの”史上初の快挙と言えるかというとそれは違っていて、ジュール・ヴェルヌが1865年に 「地球から月へ」を執筆していて、これをもとに1902年、ジョルジュ・メリエスが「月世界旅行」を映画化しています。スヌーピーに「僕はロシアに勝った」なんて言わせちゃうところがあの時代のアメリカです(最近もか?)

それでもアメリカの代表的な宇宙開発「アポロ計画」と、アメリカをたぶん代表する漫画の一つである「PEANUTS」とのコラボレーションは、今のかの国を見るよりもおおらかさやユーモアや夢や希望にうまいこと風刺を乗っけた表現です。アポロ10では「どこそこに勝った」なんて言わせていないし。遅れている「アルテミス計画」では、再び彼らを火星に連れて行くというアイデアも動いているそうですが、さてあの大統領ちゃんとやってくれるかどうか。

稀有壮大なシリーズへの入り口

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三機のゲットマシンが組み合わせ合体するというゲッターロボの荒唐無稽さは、マンガとアニメーションならではのギミックでしたが、最近では一部差し換え等を加えながらそれができるようになっていますし、どこかに片づけて発掘不可能になってしまってますが、オリジナルのデザインをきちんと守り、それぞれ精密ドライバーでねじを緩めパーツ展開しさらに締め上げるというゲッターロボが、30年以上前にありました。

ネット注文の時代ではなく、どうせ売り切れだろうと電話したら買えてしまって5人を超える諭吉さんを放出したことがあります。それはさておき、この変形と合体がゲッターロボの真骨頂でありながら、原理についてはさっぱりわからず、結果的に「ゲッター線による量子分子レベルの生命進化と変貌」のような話に動いて行き、いまだにゲッターロボ自身が変貌し続けている稀有壮大極めたとんでもないスーパーロボットとなっています。

ここまですさまじいシリーズになるとは思いもしなかった1975年5月15日。ゲッターロボは初代が退役し、Gと呼ばれる新型にパワーアップを遂げます。ここが壮大なシリーズ化の幕開けですがこの段階ではまだその片鱗も見られず、あくまでも早乙女研究所の持つロボット開発技術が全面に出ていたと思われます。

Gとして最も優遇されたのは、ゲッター3の後継機となったゲッターポセイドンの意匠でしょう。2からライガー、1からドラゴンへのモデルチェンジ以上に、デザインの一新と2足歩行ロボへの変更が行われました。賛否が割れたかどうかは知りませんが、ゲッター3にはタンク形態という異形性があったため、それが失われたことは残念だと感じます。

 

ところで作品も番組もガラッと変わりますが、2025年5月15日というのは、「宇宙兄弟」の第一巻で描かれているドラマのスタート地点です(同作品は2008年に連載開始)。この日、南波日々人が月着陸ミッションのクルーに選抜され記者会見が行われ、その中継を見ながら彼を中傷した上司に頭突きを食らわせ会社をクビになったのが兄の六太。現実世界が彼らに追いつきました。こちらも壮大なスケールで物語が少し未来を走っています。

様々な視点で語り継がれる25周年のクウガ

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今年が放送25周年だということもあるのでしょうけれど、「仮面ライダークウガ」に関して時折、そんな視点で取り上げてくるんだと思わせる話題を目にします。MotoMeganeといえば日本自動車工業会が母体のバイクメディアですから、へー、自工会なんかが仮面ライダークウガに触れるんだー。と、ちょっと感心。トライアルライダーとして活躍する成田匠さんへの取材は、バイクメディアならではの切り口です。成田さんはクウガの撮影当時、バイクスタントでクウガを演じていました。

もうひとつのエピソードは、クウガに登場する警視庁開発の次世代白バイという設定のトライチェイサーに対して、国内のメーカーではなくスペインのガスガスが作っていたバンペーラを採用したのも成田さんで、これは当時から有名なお話でした。

記事はその部分については流してしまっていますが、トライチェイサーを走らせての撮影エピソードは、読んでみて当時の面白苦労さがよくわかります。トライアルの選手権と掛け持ちで撮影ですから、どちらのステージでもケガなどできなかったでしょうし、どちらも緊張感張りまくりだったんだろうなあ。

ほぼ戦わないロボット

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それは皆無というわけではなく、忘れていたものを思い出すと割と居たのですが、すべてを取り上げられないので二つに絞ります。そのひとつめは「ヨコハマ買い出し紀行」に登場した「アルファ」とその同系列のロボットたち。彼女世代のシリーズになるとナノマシンをも凌駕する人工素材がふんだんに使われ、見た目には人間とほとんど変わらないながらも、黄昏の時代と呼ばれるヒトの滅びゆく世界にあって気の遠くなる年月を暮らしていきます。

その話は尺の問題もあるので今回は書きませんが、同様に人類がさる事情から地球を放棄して100年は経過した世界で、オーナーから託されたホテル運営を続けるロボットたちの漫画が、「アポカリプスホテル」の名でアニメ化されていました。ここに活躍するホテリエロボットのヤチヨは、なんとなく「ヨコハマ~」のアルファをイメージさせるキャラクターです。こちらのバックボーンも終末のその後ものという辛辣さを含んでいますが、今のところ戦わないムードです。

 

ぼくのなまえはヤ・・・←違

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「未ル わたしのみらい」というアニメーションは、あのヤンマーが企画制作するロボットもので、どうやら制作陣も物語もオムニバス方式で展開しているようです。未来から送り込まれたと思われるロボットが、それぞれ異なる舞台と時代で人に寄り添い窮地から救うため、武器は持っていないけれど戦う(戦うというニュアンスはちょっと表現として微妙かもしれない)お話。だから左の宇宙デブリ回収屋の娘もその一回限りしか出てこないし、絵柄も次の話では全く変わってしまうのです。

一貫しているのはМIRUというロボットだけ。なのですが、土台をそれだけ作りこんでいるのにつまんない造形のやつが出てきて、それこそなんでもやってのける。ヤン坊マー坊天気予報が始まった少し後の時代には、高性能のはずなのにあまり役に立たないロボットが、別に戦う必要もなくホームドラマに溶け込んでいたんです(ヤンマーとは無関係ですから引き合いに出すのもあれですが)。現実のトラクターなんかが妙にかっこよくなっているのに、こんなロボット全然良いとは思えないのよ。

「未ル」は根本的にロボットが出てくる世界観が昔のそれとは異なるので、現代のセンスが最先端を目指すのは当然のことです。だから物語の展開にも今風の社会問題や環境との対峙が描かれるのもありです。ひたすらロボットのデザインが未来志向のようでチープなんじゃないかと言いたいだけです。だいたいがこんなロボットにいきなり出てこられたらビビります。番組違うけど、見る者の心理的影響も考慮しなくてはいけないのでは。

60年代にホームドラマでロボットを仮想体験しているから、それはもはや老害の記憶だろうと言われるかもしれませんが、ボロット(左)やロボコン(上)をデザインした人々は、未来社会でロボットが人に寄り添う風景を考え、コミカル要素でアプローチしていると思うのです。武器を持たないとアピールしても、МIRUも結局は(人を守るために)戦っちゃうではないか。そろそろ戦わないロボットに舵を切ってほしい。

 

セルフパロディーな風景

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3年ほど前、本栖湖から南部町へと国道を下っていた時の話を書いていて、「ゆるキャン△といえば、各務原なでしこが南部町から本栖湖まで自転車で来ていたけど、その距離とこの標高差、化け物だね」とその感想を述べています。

そしたら原作者自ら別の「mono」という漫画でセルフ突っ込みしているのね。なでしこの脚力については、「ゆるキャン△」内で所以を描いていますが、そんなもんじゃすまないのが甲州いろは坂なんですが。

「mono」、「ゆるキャン△」ともに地域は違えども同じ山梨県を舞台とするため、作者にとってはセルフパロディーを繰り出せるうえ、読者やファンにはそれが楽しい場面にもなると思われます。

この漫画はまだ読んだことがありませんが、アニメ版の方で知りえた風景でした。「地獄の弾丸聖地巡礼スタンプラリー」とは、「mono」世界で「ゆるキャン△」(まったりキャンプ)がアニメ化されるといった展開に基づいています。

アニメ版では第三話でこの話が出てくるのですが、ときどき「知っているキャラ」(によく似た、ではなくもう確信犯)が、見切れるどころか「居る」。巷のSNSでも放送直後にあちこちでこの話題が上っていました。昔は「地球連邦軍МS部隊に鉄人28号がまぎれている」「バルキリーのミサイルがバドワイザーやタコチューハイ」とかありましたがそういうのはアニメーターの悪乗り。対してこちらは堂々とセルフパロディーができるフォーマット。良し悪しではなくそこに違いがあります。

ところで、「ゆるキャン△」では登場していた日産ラシーンに似せてしまったラシーンユーザーを何度か見かけましたが、「mono」ではパオが出てくる。高値になっている中古車価格がさらに跳ね上がってしまいそうな予感があったりなかったりです。さすがに大洗界隈で戦車に乗り出し、百里あたりでファントム飛ばしてしまう人はいないんですが、セルフパロディーを超えた描き手読み手の一体感が、あfろさんの漫画にはあるようです。