Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

そう来たか!

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彩流社という出版社から、「すべてがわかる日本アニメ史1956~2021」という書籍が出版されまして、誰が書いてんのかなと呼んでみると、特定の評論家ではなくて、アニメーション好きのライター集団が企画を立てているようです。

そういうアプローチは、ありそうでなかった。けれども、内容はわかりやすい。白蛇伝や鉄腕アトムに始まって、シン・エヴァンゲリオン劇場版:||まで、古今東西のアニメーションの、代表作品を取り上げています。

この手の本は、厭が応でも賛否が出てしまう。なぜというに、推しの作品があるかないかで、「なんでだっ」という感想を抱かざるを得ないもの。と言ってすべてを網羅しようとしたら、たぶん「アニ辞苑」レベルになってしまう。

いや、アニメと特撮だけで電話帳並みの書籍なんて、1冊くらい棚に置いておきたい気もしますが、現実にこの一冊のボリューム内では、取り上げられる作品にも数の限度がある。執筆陣も頭を痛めたことでしょう。あるいは「そんなことは織り込み済みで、もう続編書いてるぜ」ということなのかもしれません。

僕の、あくまで僕の感想で言うと、やはり「なぜこれとあれとそれと、あと諸々が扱われていないんだろう」と思うところもあるし、重箱の隅をつつくような、記述に対する「えー?」という部分も散見されます。個人攻撃はよろしくないけれど、「はじめに」のパートを書いた人は文章へたくそだし。それでも、アニメーションの世界に関する知識と記憶が、老化によってぼけも出てきた僕の脳髄を補完してくれるところがあり、さすがに手を出さなくなったラノベ時代以降のアニメ化作品については情報を補填してくれるしで、面白口惜しく読み終えましたよ。

最後に、暴露しますと、この著者陣「アニメの旅人」のライターの1人が、元僕の部下であった、あの「いわさきさん」です。ついにプロデビューだ。

Submarine-Super99

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9月9日なので、掛け算の話でも書くかなあと考えていたところへ、「九十九は百から一を引いた『白』」などという逸話を読んで、へー、と思って、真っ白な巨大ロボット(なんでそこへ行く)といえば、先日まで「重戦機エルガイム」がBS12でやってたなあと、それで行くかと決めかけながらも、夏場に買ったまま忘れていたけっこう沢山の本やら漫画やらに気が付いて、松本零士さん(執筆時は松本あきら名義)の「潜水艦スーパー99」になだれ込みます。

僕が所有しているのは買い直した復刻版ですが、連載は前回の東京オリンピックの頃で、叔父貴が読んでいた雑誌に載っていました。小沢さとるさんの「サブマリン707」なども、だいたいそうやって内容も理解できずに読んでいた時代です。単行本は70年代になってから出ていたと記憶していますが、一巻目と二巻目の表紙の主人公が別人のようです。

当時はまだ戦争物漫画が多く掲載されていたなかで、石森章太郎さんの「サイボーグ009」と「潜水艦スーパー99」は、SFものの領域に踏み込んでおり、009にも潜水艦は移動に欠かせない道具として描かれていたほど、バトルシップよりもサブマリンという時代。今考えると、潜水艦の方が描きやすい形をしているからだったのかもしれませんが、隠密行動という場面がイメージを膨らませやすかったのでしょう。

スーパー99はいろいろ謎の艦で、全長は海上自衛隊のそうりゅう型より40mほど長い120mで、排水量に至っては同(水中)4200tのそうりゅう型に対して桁違いも甚だしい約12500t。動力もディーゼルでも原子力でもない、クリーンで無補給半永久稼働可能な99式2型LL3(アニメ版スペックは知りません)。描かれた時代がおおらかなので、世界征服を企む軍事組織ヘルメット党と戦う、日本の、しかし造ったのは民間人という、それでいいのだ、なメカニックです。だって海洋冒険SFですから。

 

台風シーズンの前に

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台風シーズンと言っても、最近は直撃事例が7月や8月に前倒しされてますが、突如涼しくなったらば、車中での長時間待機(そういうのがあるんです)も楽になり、その間仕事もせずに安彦良和さんの「韃靼タイフーン」を読み返していました。

第一巻が出たのが、もう20年前です。

荒唐無稽な冒険奇譚を、近未来の(執筆時が西暦2000年から2年くらいです)函館と、大陸を舞台に描く中で、都市をどうやって封鎖し戦闘状況を生み出すか、なぜそのような事になってているのか、居合わせた主人公は何の因果で巻き込まれモビルスーツを発見運命と対峙するのか。といったプロットがリアルに練り込まれていて、前半の函館編はとにかく面白いのです。

荒唐無稽が空想科学の領域に行ってしまった後半の大陸編は、初出の当時は「なんだよこれー」と思ったのですが、仕掛けの一部においては「現代を言い(描き)当てている」ところもあったりして、見直しております。しかしこれの後半戦に入る頃には「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」を描き始めているので、後半はなんとも急ぎ足です。「やめてよー」とガンダムを呪いたくなったのです。まあそれでも、「韃靼タイフーン」は4巻くらいの構成でちょうど良かったのかもしれません。

今更やっちゃあくれないでしょうけど、これとガンダムを足して二で割ったら、「巨神ゴーグTHE ORIGIN」描けるんですよ。あー、安彦さんでなくてもいいよ、トニーたけざきさんとか、針井佑さんでいいですから(それはそれで、なんかとっても失礼な言い方だよなあ)

 

 

気は優しくて黄な粉もち(不謹慎発言)

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一昨昨日から不意に、「こんなこともあろうかと」の記事が検索されヒットし続けているので、これはもしや?と嫌な予感がしていましたが、そうですか、イデ隊員役の二瓶正也さんが逝去されたのですか。

科学特捜隊のメンバーは、それぞれキャラの立ち方が際立っていました。むしろ主役たるハヤタの方が、ヒーロー然とし過ぎで薄かったかもしれない。

イデ隊員は、飄々とした三枚目のようで、技術屋として天才肌というなかなかの男前でした。そんなキャラを引き継いでのマイティジャック・・・というより戦えマイティジャックでの源田隊員なども、いい味を出していました。合掌。

日付のない墓標

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NHKが特番のために4年も張り付き、特番のための裏話特番を作ってもいいんじゃないかと言われたほどのあの映画が、Amazonプライムで配信開始されたので、劇場行ってないから観たわけです。

なんだかんだあれやこれやの批評を受けてきたみたいだけれど、ずいぶんと長い時間、時間というより歳月を費やしながらも、やっぱり初めに思い描いたところへ落ち着いたのねと。しかし、

油断してましたよ。終盤あんな曲を挿し込んでくるなんて!

もうね、この映画については完結したんでそれ以上は書くことも無いし、聞けば予告編で流してたそうだし、わかる人は3月にCDの曲目見てわかってたんだろうけれど、ここは今さら今どき今頃であっても、あれを選曲した庵野秀明さんに告げたい。

「シン・さよならジュピター」作りたくないですか?

ひょっとして、いつか使いたかっただけではなくて、どこかでそう考えてるからこその、あの曲なんじゃないか?

どっこいし・・・←「ょ」は、ゆってはならないのだが

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「ょ」まで言ってしまうと、せっかく書いたブログはおろか、PC内のメモリまで消されてしまいかねないので。

この掛け合いとオチは、あーる田中一郎健在だねえと笑わせてもらえるのだけど、逆にとさかセンパイがパワーダウンしていて、寄る年波を感じます。が、たぶんこれ、まだ1987年か88年。

しかし今回の読み切りでは、鰯水くんが活躍するので、作者のスタミナはそちらに全注されているのかもしれません。

だけど最近のノートパソコンて、熱暴走しなくなりましたね。現在使用中の11号機、ファンがエラーで作動しないけど、白熱化しないもんなあ。←するか

というわけで一読。そろそろ新盆に備えて基地の片付けに戻らねば。やれやれ

どっこいしょ・・・・ あ゛

この記事、「昨日読んだ」とおっしゃる人がいるかもしれませんが「気のせいです」もう呪いの言葉言っちゃいましたから。

それよりも、どうやら「究極超人あ~る」の新刊が出てくる日はそう遠くないようです。単発読み切りはまだ続くみたいです。

超越者と人間が融合する

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マーベルコミックのファンの人々に告げたいのですが、面白かったけれど、これは正史じゃないですよ。「ウルトラマン」というフォーマットを利活用した、斜め上解釈のアナザーストーリーです。

そこを押さえておかなければ、逆に許せなくなってしまう。でも、そこを認めればなかなか面白いのです。

新たに、と断りを入れるべきなのは、物語の冒頭が1966年ながら、展開は一気に2020年に移り変わっています。その歳月には、現代において活動している怪獣であったり防衛組織の部隊変遷であったり、いろいろな仕掛けが風呂敷というかトートバッグの中にまだ隠されているようです。ふーん、マーベル作家ってこういう風に考えて地球人と異星人のコンタクトを描くんだ。「原典」直撃世代にとっては大いにショックなプロローグでした。

日本語版劇中では「超越者」(ULTRA)、「人間」(MAN)という呼び方をします。和製英語化?した「ウルトラマン」が、僕らの中には刷り込まれています。何もかもがスピード化し始めた高度経済成長期、この名前は水のように浸透したのだけれど、あらためて「彼」を「超越者が来てくれた!」と呼べるかと考えると、全然スマートさがない。「ULTRA・MAN」と呼びならわせる文化からの、ウルトラマンの名乗りを見せられると、不思議な感じがします。

それにしてもプロローグの時点で既に新解釈のシリーズ化を示唆する物語の描き方は、その必要があるのか? なぜよ? と言わざるを得ないひん曲げ方です。ティザーの段階から登場していて、ものすごく違和感を感じていた左図のパイロットが、まさかの人物でどえらいことになってしまうというのは、禍根を残さなければいいのですが、かなりやりすぎ。その割に今回、ハヤタとコンタクトする宇宙人が「自称」ウルトラを名乗っちゃうあたりはちょっと軽い・・・

そんなわけで、彼等「超越者」は地球の暦で何世紀も前から、地球人種の「自律と進化」を見守ってきた一方、何者かによるエネルギーの負の放射によって副産物たる「怪獣の凶暴化」が始まり、いずれ負の放射はその星を滅ぼすという危機から、進化に期待するのですがいろいろあって「どうもそれは困難だ」とも判断しています。しかし、この物語におけるハヤタは、なればこそ命と力の主導権を自分に委ねたうえで、その自分自身を守ってほしいと申し出ます。

ここら辺のプロットには、なんとなく「ウルトラマン80」あたりまでの基礎設定が埋め込まれている気がしますが、円谷プロ側、というより日本の文化がどのようにアメリカの文化と接触してこのコンタクト劇を描くに至ったのかは大いに興味があります。いやもう「超越者」は正論とはいえ理屈っぽいし「人間(ハヤタ)」もまた超越した事象に対応するため必死。こんなにも沢山の対話の余地があの瞬間にあったのかと、膝を叩くばかりです。

50年前の現実

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翌週のこのシーンが(衝突はしないけど)気持ち悪くなってしまった

71年7月30日の夜、少年たちは厭な予感を胸中に抱えながらも、新聞の番組欄とは異なるテレビ放送の緊迫感をブラウン管から感じ取っていました。

この日、岩手県雫石上空で旅客機と自衛隊機が衝突事故を起こすという大惨事が発生し、テレビ各局とも一斉に、報道枠の特別番組を流していたのです。結果、この日の「帰ってきたウルトラマン」も放送が休止となり、少年たちはがっくりと項垂れ、チャンネル権は大人たちに奪われてしまったのでした。

何ががっかりだったかって、予定されていた番組のサブタイトルが「ウルトラセブン参上!」ですもん。ゾフィーと初代という構図をずっと以前に見ていたとはいえ、「別番組のウルトラ戦士が共演」というシークエンスは同シリーズでは初めてだったのですから。

セブンは恒点観測員から出世していたんでしょうか。なかなか偉そうなのです。

1週間後にこの放送は成されましたが、見てみたらセブン参上前に郷秀樹がマットビハイクルに乗り込み(駐車場所も郷の居所もそれでいいのかという突っ込みは、当時は考えなかった)走り続けるカット割りの長いこと。これは嬉しい演出でした。

しかし、ベムスターも新ウルトラマン初の宇宙怪獣でありながら、いきなり宇宙ステーションを食いつぶすところが全日空機事故とイメージが重なり、宇宙で亡くなった梶キャプテン夫人への弔問に赴く加藤隊長の姿にはっとさせられ、マットアローが迎撃する際の距離感に事故を連想させられたり、その頃社会で何が起きていたかを刷り込まれた感がありました。なによりウルトラセブン、出てきてそれだけか! というところに拍子抜けさせられたんですけどね。

歴史を語れないとは珍しく真摯な一言

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それはその通りだと思います。50年もの財産の食いつぶしばかりやってきた歴史は語れませんよな。

スーパーヒーロー戦記。ここんとこ5年に一度のお祭り騒ぎで定着した、全部乗せ企画。だけど今年に限ってはオリンピックよりも価値観を感じます。もっともオリンピックや緊急事態宣言や連休やらに阻まれた仕事でそれどころじゃないんだよ。

しかしアカレンジャーの隣にいるのが初代の旧1号風仮面ライダーというのはちょっと新鮮です。

禁書開封による世界の混ぜこぜ設定だそうですから、その初代の旧1号風に並ぶ2号が新2号風というのがこの際残念です。手足の白線が細いのって、昔から好みではないのです。全部乗せといっても「諸般の都合でこの場に居ないサブライダー」もありそうな布陣だし・・・

50年とか45年の象徴といえば、採石場の戦闘も外せないのです。

ここまで集結されるともはやどれが誰だかわからんくなっちまいますが、それを察知してか、「かなり先頭切って駆け抜けている野球仮面」の意欲には脱帽です。この場面で既に1号ライダー(迎撃態勢に移っているわけですが)むしろ腰が引けてるように見えちゃう。

さて封切りと同じ22日に発表があったそうですが、この映画のポスター(リンクの映画公式サイトトップページ)に、ちゃっかりと登場している「次の仮面ライダー」。悪魔と契約してライダーの力を手に入れるというフォーマットは、キバとバンパイアやウィザードと魔法使い、ゴーストと霊界に近いけれども、悪の中から生まれる正義の味方をやるからには、もうひと捻りくらいあるんでしょうか? まー相変わらずデザインは大暴走ですが・・・

新しいものが何もない

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新しいもの、に期待しすぎかもしれませんが、監督の坂本浩一さんは「ティガのリメイクやリブートではない」という。その言葉通りに、ウルトラマントリガーの始まりは「仮面ライダークウガのリブートみたい」にしか思えませんでした。

とはいってもまだ始まったばかりで風呂敷も広げきっていないから、このあと加速していくのでしょう。

だけど成り切り玩具と武器を売らんかなな構成と、不細工そうなメカニックと、「ウルトラマンティガにおいて、世界平和連合がどういった経緯で組織されたのか」という人類の意志の根幹の部分を無かったことにしたのかうっちゃりかましたのかの、ダサい名前の戦闘的防チームと、かっこわるいユニフォーム。

何より変身装備に銃(何を言おうが殺傷武器)を組み合わせるというセンスの無さで、テンションはダダ下がりの一週間でした。おまけにウルトラマンのタイプチェンジに用いるのがカートリッジ(GUSTハイパーキー)って「仮面ライダーWのリブート」ですか?

でも明日放送の第二話も見るのですが。