ここしばらく、呼び続けているようなのですが、いつ通りかかっても「居る」ので、マッハロッドは当分の間、やってくる気配がありません。
動けるなら自分で走った方が速いぞバロム・1
全仮面ライダー大投票。なんて、仮面ライダー1号の旧バージョンしかありえないだろうという考え方が、もはや年寄りの独りよがりでした。
作品、キャラクターともに「仮面ライダー電王」が首位。残念ながら音楽のみ「仮面ライダーエグゼイド」に持っていかれましたが、電王というかモモタロスというか佐藤健の威力はすごいものです。平成ライダーとして最多出場だしなあ。
サイズから見てコマツの930Eとか980Eに履かせるタイヤでしょうか。その昔、東日本大震災復興現場で、タイヤ履いてる(まあ当たり前だけど)重ダンプを見ていたときは、ダンプ自体の巨大さに圧倒されてしまいましたが、タイヤだけの状態だと、あらためて呆れるほどでかさを感じます。このタイヤだけで、一本あたり5トン近くあるそうですから、運んでいるトラックにかかる積載荷重の方を心配しちゃいます。
これを見て思い浮かべるのは、まあ知識の範囲が馬鹿ですから「轟轟戦隊」のゴーゴーダンプなんですよ。積載用バケットが2連になっていて、これが巨大ロボ・ダイボウケンの脚部として割れて、あとの部分は胴体を担うという、複雑変形メカニックです。が、こいつってば全長30mもあって、980Eなどの2倍。ダイボウケンの右腕になるゴーゴードーザー(13.9m)あたりが980Eよりちょっと小さいくらい。でもドーザーはキャタピラなので除外です。
次に来るのがやっぱり馬鹿知識範疇で、「レスキューフォース」のレスキュードーザー。ダンプトラックのくせして何故ドーザー? というところは、この戦闘形態を見れば納得です。フロントから展開するバケットと、荷台を組み合わせて、こいつは敵をどつくばかりか噛みつきます。でもダンプ形態時の基本全長は意外に控えめな10m程度。コマツの重ダンプって、ドーザーと連結する母体のレスキューセイバー(16m)並みなので、立派な巨大メカニックなのだと再認識します。
永浦百音こと清原果耶の「おかえりモネ」が終了して、始まった「カムカムエヴリバディ」の主演が上白石萌音というのは、狙っていたんでしょうか。誰か絶対に「モネから萌音へ」って言っているに違いない。
のだけれど、実は第一話には上白石萌音は出てこないばかりか、まさかのカムカムおじさんこと平川唯一を演じるさだまさしで幕開けするとは思いもしませんで、のけぞりましたよ。
ヒロインのことを繰り返すと、「モネから萌音(橘安子)へ」ではなく、「モネと萌音の間に」二人の安子が存在します。1人目は生まれたばかりの赤ん坊で、もう1人は10歳くらいの安子。上白石はさしずめ安子三番手にあたるわけですが、子役安子の網本唯舞葵(あみもといぶき・・・読めねえっ)が、見事なまでにちび上白石な雰囲気を醸し出しています。しかもこの子、7歳くらいのときに「まんぷく」に出ている。初出演の上白石より先輩朝ドラヒロインです。
近頃は子役のキャスティングにもこだわるんですね。安子二番手が5年かそこら過ぎると安子三番手になっていくのは今週から来週の駆け足と思われますが(と思ったら二話目で登場した)、あまり違和感がない。むしろ中盤に出てくる安子の娘や後半の孫は、もう父親似なんだと納得するしかないほど近似性がない。
朝ドラは初ですが、上白石も大河ドラマで三度の出演経験を経て、いよいよ朝のヒロインに抜擢です。まだ出てこないんだけどね。
「おかえりモネ」が本日の放送で大団円となります。二転三転の急展開ではなく、割と短い時間軸の中でじれったいほどゆっくりと丁寧に、主人公の人生を描いた良作だと思います。高卒後(一部で中卒時も)から現在までの数年間の変化を、主人公自身が驚くほどいでたちも表情も大人になっている(設定上、霰と同い年)のが印象的です。清原果耶はまだ19歳。「あさが来た」「透明なゆりかご」「なつぞら」といい仕事をしています。
気仙沼の離島を故郷とする主人公は、東日本大震災の日、たまたま高校受験の合皮発表を見に行き仙台で被災したため、島における津波被害や被災者の修羅場に居合わせませんでした。家族や友人たちに対するどことない後ろめたさが、郷土で誰かの役に立ちたいという思いに変っていき、気象予報士の道を選び、お天気お姉さんに抜擢されながらも島に帰ってきます。ゆっくりやってる割にはこのあたりの、予報士としての仕事場面が少なかったとも感じますが、朝ドラヒロイン随一の地味なキャラクターでありながら、存在感があります。
その日、地元にいなくて葛藤の日々を送った彼女・百音に対して、あの頃の僕は、「気仙沼に『大島』があるのかよ」くらい余所者になり立てで被災していました。仙台在住の前任者から引き継がれたのはただ一言「東北人は寡黙で腹の内を明かさない」(失礼なようだけど、本当にそう言われた)。まあ僕なんか行き当たりばったりの男ですから「そんなこと言われたって俺は俺でしかないよ」と返事をしたものの、マジかよとも思いながらの仙台赴任。あいさつ回りを終えたら震災という、百音と真逆の経験でした。
ドラマを見ながら、全く反対の立場を過ごしてきた彼女と自分に唯一、共通するものがあるなあと感じたのは、周囲が与えてくる先入観の種。それにどうやって向き合うのかが、それぞれの軸足として大事でした。同業者は僕のいないところで「しょせん腰掛の外人部隊」だと揶揄していたそうですが、二年で転勤していく国の役人とは違いましたから、居られるだけ居ようとせせら笑って揶揄など無視していたらば、東北のあちこちの人々は「そうか、お前はあのときここ(東北)にいたんだな」と、揶揄自体が逆効果になるような変化をいただくことになりました。
写真は被災一年後の気仙沼。百音の住む島は右端に位置し、今は架橋されていますが、当時は橋の袂の工事現場まで行くのに「冗談じゃねーよ」という時間を要しました。今だったら仙台から二時間で行けちゃうはず。でも、いち早く復興した街の一つだけれど、これから十年、二十年後、地元の後継者が元気で居続けてくれないと、世の中自体が先細る中、街の未来も変わってしまいます。百音と幼馴染の若者たちは、家族や地域の人々の軸足を担うことになります。
「BRIDGESTONE sole Technology(ブリヂストン ソール テクノロジー)シリーズ」、なんてものが存在すること自体知りませんでした。なんでかって言えば、ここのお店に僕が着られるサイズが無い(なさけねーっ)から、行ったことも無い。
SUVのタイヤ性能を、というところを宣伝材料にするのは良いけれど、マッドテレーンのようなパターンがなんというか使う場所と性能論も含めてちぐはぐ感。ボディの方が哀しくもビジネスシューズのままってのは、かえって履くのは厭だわ。
飯島敏宏さんが千束北男の筆名で脚本を起こした「ゴメスを倒せ!」が、まさしくウルトラとの邂逅でした。もちろん当時の僕に「邂逅」などというボキャブラリーなんかありませんでしたが、後年知る知識で、TBSからの出向として円谷プロで脚本とドラマパートの監督をこなしていた人というフォーマットが出来上がりました。先日の訃報で「金曜日の妻たちへ」が引き合いに出されていて、その番組見ていないけどまあ訃報並みにびっくりしました。
もう一つの引き合いは「バルタン星人の生みの親」。デザインは成田亨さんですが、昆虫型エイリアンのイメージを提案し、千束名義で脚本を書き、監督も務めたことがその由来です。成田さんはじめ撮影を担当した高野宏一さんも、あの「分身」を光学合成した中野稔さんも鬼籍の域。55年もの歳月ですから無理もない。サブタイトルは「侵略者を撃て」ですが、飯島さんはバルタン星人を侵略者ではなく宇宙難民としてとらえていたところが優しかった。
飯島さんは「ウルトラマンコスモス THE FIRST CONTACT」(監督)でも、暴れまわるネオバルタンに対して、チャイルドバルタンを産み出して地球人の子供たちと友好関係を結んでいくジュヴナイルを描きました。バルタン星人自身は二度目の登場から悪役の立ち位置に変化していきますが、そこは飯島さんの本意ではなかったそうで、人類だって未来においてそうならないとは限らないといった想像と警鐘を兼ねていたようです。遅まきながらご冥福をお祈りします。
ドラマ上だと宇宙歴で綴った方が適当なのでしょうけれど西暦2376年、宇宙の彼方を漂流中のU.S.Sヴォイジャーが、デルタ宙域とよばれる空間で大昔の宇宙探査船を発見します。これが2032年10月19日に火星宙域で生じた電磁空間に巻き込まれて遭難した、地球の火星探査船アーレス4の司令船でした。ヴォイジャーのクルーは、司令船船長の亡骸とともに、彼が遺したデータと「僕が集めたデータを、人類のために」というメッセージを受け取るのでした。
1995年から7シーズン約170話ちょっとの大河ドラマ規模で描かれたテレビシリーズ、「スタートレック・ヴォイジャー」の後半に出てくるエピソードです。アーレス4自体がまだ打ち上げられていないちょっと未来の話ですが、本編の時間軸はさておき、火星を舞台にするドラマの時代がどんどん近づいています。
U.S.Sヴォイジャーは、トレック初の女性艦長が起用されていて、このキャスリン・ジェインウェイ艦長が大胆な指揮官であると同時に頼れるおっかさんとして奮闘しながら、7万光年という銀河の彼方に漂着し、再び地球を目指す物語です。
現実の21世紀じゃ、キャプテン・カークを演じたウイリアム・シャトナーさんが齢90にして遂に宇宙に行って帰ってきたそうですから、宇宙は気長に待ってくれているってことですね。
ルパン三世part6が始ま・・・っていなくて、6は6なのでしょうけどepisodeは0扱いの「時代」が放送されました。要は、71年から長きにわたって次元大介の声を担当してきた小林清志さんの番組引退に寄せて、敬意を表したシナリオ作りをやったと。ちょっと異例な特番ではあります。ただ、画面では特に年老いてもいない主要キャストで、50年前を引き合いに出してくるような演出や作画って、知恵が浅い。どうせやるなら、本当にあれから50年経った彼等でやるべきです。
そうは言っても、小林さんの次元は時としてルパンなんかよりも魅力的な存在でしたから、降板のニュースの後、その姿を見られるのは幸運だったのでしょう。声色はさすがに聴いているのが辛いほど衰えてしまっていますが。
あとを継ぐのが大塚明夫さん。初代の石川五右エ門をおとーちゃんがやっていたという縁は語るまでもない有名な歴史です。そちらのepisode.1は16日深夜から。怪盗なのか悪党なのかケチなコソ泥なのか、いずれも作りにくい時代になりました。なにやら前日にはファン投票上位の歴代エピソードを金曜ロードショーでまとめて放送とのことですが、それを超えるのも作り手次第です。
世に産み落とされた初代の姿は、その組織が作り出していた他のグロテスクな改造人間とは一線を画した、華奢ながら精悍ないで立ちでした。そこから追随された二代目は、初代を踏襲しながら各部の強化を図り、世にアピールしやすい姿となりましたが、コアなファンにとっては初代の鮮烈なイメージが強く、二代目を蹴落としていくのです。この二代目の地道な活躍によってブランドは継承され、双方のいいとこどりで、似て非なる三代目の登場を果たします。けれども時代の趨勢で、それらの性能は別の方向へとブラッシュアップされ、すっきりした四代目へと変貌しましたが、物語後半で姿を消しました(復帰するけど)。ということは、まだ見ぬ五代目にはさらなるデバイス頼りの設計思想が重ねられるような気がしてなりません。そこを乗り切れば、六代目で再びオフロード思考へと回帰するかもしれません。
スズキエスクードを四代にわたって乱雑に体系化すれば、それは70年代に既に予言されていたのです。1号と2号なんて、このあと再改造されるから姿は同じで中身(主にエンジン)が変わるし、ショッカーライダーテレビ版は偶然にも6人で後の「3号」を加えれば(4号は無視しますよ)グランドエスクードの乗車定員となります。三代目、四代目もマイナーチェンジは果たすのですが、基本的には歴代の変遷と仮面ライダーの変化は似たような路線を踏んでいます。
というわけで、来年登場と言われる五代目は、ある意味正念場のモデルなんですが、Xライダーくらい初代に回帰してくれないといやだなあと、大半の人が・・・思っちゃいないか(汗)。そのパターンで行くと、災害が多発したりみたびアウトドアライフが見直されたりで、手堅い進化のジムニーとは異なるオフロード趣向への脱皮が六代目で行われながらも、世界情勢がこれをあまり評価せずに次の代へと橋渡しされる。
しかしスズキにそれほどの短期間で古いものを捨てた新車開発ができるのか、2040年以降の人口減少と環境悪化の中で自動車が生き残れるのかがなんとも言えませんが(どうせその頃生きちゃいないよ俺)、Sマークを高らかに掲げた電気自動車の一ブランドとして成長してくれれば、七代目の可能性はゼロではありません。問題は八代目ですが、空を飛んじゃうので技術的にあり得ないことじゃないとはいえ、さすがに保留しときます。九代目や十代目となると80年代に入っているので(八代目はかろうじて七十年代に始まっています)、もはやこじつけるにも先のこと過ぎてイメージできませんが、そもそも仮面ライダーの変遷とエスクードの歴代から次期モデルを想像するような馬鹿者は他にはいないです、これだけは確かな話。