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  ~懲りない傾向~

緊急配備10-4-・・・違う

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コメントのやり取りで当事者しか盛り上がりようのない中身ですが、新帝国WANIの財政力のすさまじさに、つくばーど基地は成すすべもない状態です。

EX合金マイティジャックなどは、つくばーど基地にも配備されていますが、実は新帝国結成以前の和爾さんから供与されたものです。このうえアンドロメダやらゴーダムやら大空魔竜やらなんて、どこの財布から買い付けろというんだ? しかもたぶんきっと、絶対にこれだけじゃない(笑)

コンテナに入れて保管してしまったので写真撮れていませんが、基地所蔵の最大級のメカニックと言えば、タカトクトイスのXボンバーくらいで、ギミックとしてはビッグダイエックスに合体する三機の宇宙戦闘メカがあるから大空魔竜同等。しかし当時、それで5980円くらいでした。新帝国だったら軽く20隻くらいは買い付けてくるのか!(ご家族ご存じなのか?って、そこは人のことは言えないんだけど、うちではオープン状態の道楽)

 

寝言は寝て言え、な「1/8計画」 

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1/32でいいよ

「ウルトラQ第17話」において、人口増加問題から人間を縮小し、用意された同サイズの特定の地区に移住させ完全管理するという「1/8計画」が描かれました。

まさか地球防衛軍がこれに呼応するとは思わなかったよ「ウルトラセブン ポインターをつくる」。全巻で100冊って、いくらかかると思ってんだよ、作ったら作ったでこんなにでかいの何処に置くんだよ(しかもケース別売)。直撃世代を狙ってのことだろうけど、「高くて買ってもらえなかった当時物」の再現だよこんなの(笑 を通り越した怒)

別メーカーの超合金魂シリーズが、定価20000円台を超えた頃からおかしくなっていると感じています。少年の心を持った大人の大半は、高度経済成長後の不景気も直撃していて、自由になる小遣いなんてたいして持っちゃあいねーんだよ(泣)

 

ひょっとするとうちの親父と同世代

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2011年4月の撮影でした

9月19日。あの死神ことサイボーグ004、アルベルト・ハインリヒの誕生日なんだそうですが、例によってこういう設定がいつ頃付け加えられたのか、あるいはこの漫画が始まった頃すでに9人分とギルモア博士の誕生日設定は、原作者が作っていたのか、よくわかりません。

ハインリヒは生年があやふやな他のメンバーと違い、東西ドイツ分裂時代というバックボーンを背負っています。だから、設定された年齢(昭和版で28歳、平成版から30歳)が絞り込め、1930年代と推定されます。え? うちの親父が1935年生まれだったよ。

ハインリヒは東ドイツの国籍だった男で、いわゆるベルリンの壁は1961年8月に打ち立てたものなので、昭和設定で言うなら28差し引いて1933年、平成設定だと31年が東西封鎖時を基準とした推定生年ということになります。彼が動物運搬のトラックに恋人を隠して東ベルリンの検問所を突破しようとして失敗、銃撃されて重体となるのは有名な話ですが、壁ができた年に脱出したかどうかがカギとなっていきます。

この後黑い幽霊団が拉致

このとき彼はシャツにジャケット姿。警備兵は冬服装備なので、8月からは幾ばくか月日が経過しているようです。恋人がノースリーブなのは、着ぐるみに入るためでしょう。この脱出準備に要した手間や時間を考えると、どんなに急いでも61年の晩秋あたりかと思われます。

まあそんな忌まわしい過去は棚上げして、石巻では彼の誕生祭が開かれています。御年88歳か90歳? 改造された時点で年齢は止まってしまったともいわれていますが。

 

そう来たか!

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彩流社という出版社から、「すべてがわかる日本アニメ史1956~2021」という書籍が出版されまして、誰が書いてんのかなと呼んでみると、特定の評論家ではなくて、アニメーション好きのライター集団が企画を立てているようです。

そういうアプローチは、ありそうでなかった。けれども、内容はわかりやすい。白蛇伝や鉄腕アトムに始まって、シン・エヴァンゲリオン劇場版:||まで、古今東西のアニメーションの、代表作品を取り上げています。

この手の本は、厭が応でも賛否が出てしまう。なぜというに、推しの作品があるかないかで、「なんでだっ」という感想を抱かざるを得ないもの。と言ってすべてを網羅しようとしたら、たぶん「アニ辞苑」レベルになってしまう。

いや、アニメと特撮だけで電話帳並みの書籍なんて、1冊くらい棚に置いておきたい気もしますが、現実にこの一冊のボリューム内では、取り上げられる作品にも数の限度がある。執筆陣も頭を痛めたことでしょう。あるいは「そんなことは織り込み済みで、もう続編書いてるぜ」ということなのかもしれません。

僕の、あくまで僕の感想で言うと、やはり「なぜこれとあれとそれと、あと諸々が扱われていないんだろう」と思うところもあるし、重箱の隅をつつくような、記述に対する「えー?」という部分も散見されます。個人攻撃はよろしくないけれど、「はじめに」のパートを書いた人は文章へたくそだし。それでも、アニメーションの世界に関する知識と記憶が、老化によってぼけも出てきた僕の脳髄を補完してくれるところがあり、さすがに手を出さなくなったラノベ時代以降のアニメ化作品については情報を補填してくれるしで、面白口惜しく読み終えましたよ。

最後に、暴露しますと、この著者陣「アニメの旅人」のライターの1人が、元僕の部下であった、あの「いわさきさん」です。ついにプロデビューだ。

Submarine-Super99

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9月9日なので、掛け算の話でも書くかなあと考えていたところへ、「九十九は百から一を引いた『白』」などという逸話を読んで、へー、と思って、真っ白な巨大ロボット(なんでそこへ行く)といえば、先日まで「重戦機エルガイム」がBS12でやってたなあと、それで行くかと決めかけながらも、夏場に買ったまま忘れていたけっこう沢山の本やら漫画やらに気が付いて、松本零士さん(執筆時は松本あきら名義)の「潜水艦スーパー99」になだれ込みます。

僕が所有しているのは買い直した復刻版ですが、連載は前回の東京オリンピックの頃で、叔父貴が読んでいた雑誌に載っていました。小沢さとるさんの「サブマリン707」なども、だいたいそうやって内容も理解できずに読んでいた時代です。単行本は70年代になってから出ていたと記憶していますが、一巻目と二巻目の表紙の主人公が別人のようです。

当時はまだ戦争物漫画が多く掲載されていたなかで、石森章太郎さんの「サイボーグ009」と「潜水艦スーパー99」は、SFものの領域に踏み込んでおり、009にも潜水艦は移動に欠かせない道具として描かれていたほど、バトルシップよりもサブマリンという時代。今考えると、潜水艦の方が描きやすい形をしているからだったのかもしれませんが、隠密行動という場面がイメージを膨らませやすかったのでしょう。

スーパー99はいろいろ謎の艦で、全長は海上自衛隊のそうりゅう型より40mほど長い120mで、排水量に至っては同(水中)4200tのそうりゅう型に対して桁違いも甚だしい約12500t。動力もディーゼルでも原子力でもない、クリーンで無補給半永久稼働可能な99式2型LL3(アニメ版スペックは知りません)。描かれた時代がおおらかなので、世界征服を企む軍事組織ヘルメット党と戦う、日本の、しかし造ったのは民間人という、それでいいのだ、なメカニックです。だって海洋冒険SFですから。

 

台風シーズンの前に

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台風シーズンと言っても、最近は直撃事例が7月や8月に前倒しされてますが、突如涼しくなったらば、車中での長時間待機(そういうのがあるんです)も楽になり、その間仕事もせずに安彦良和さんの「韃靼タイフーン」を読み返していました。

第一巻が出たのが、もう20年前です。

荒唐無稽な冒険奇譚を、近未来の(執筆時が西暦2000年から2年くらいです)函館と、大陸を舞台に描く中で、都市をどうやって封鎖し戦闘状況を生み出すか、なぜそのような事になってているのか、居合わせた主人公は何の因果で巻き込まれモビルスーツを発見運命と対峙するのか。といったプロットがリアルに練り込まれていて、前半の函館編はとにかく面白いのです。

荒唐無稽が空想科学の領域に行ってしまった後半の大陸編は、初出の当時は「なんだよこれー」と思ったのですが、仕掛けの一部においては「現代を言い(描き)当てている」ところもあったりして、見直しております。しかしこれの後半戦に入る頃には「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」を描き始めているので、後半はなんとも急ぎ足です。「やめてよー」とガンダムを呪いたくなったのです。まあそれでも、「韃靼タイフーン」は4巻くらいの構成でちょうど良かったのかもしれません。

今更やっちゃあくれないでしょうけど、これとガンダムを足して二で割ったら、「巨神ゴーグTHE ORIGIN」描けるんですよ。あー、安彦さんでなくてもいいよ、トニーたけざきさんとか、針井佑さんでいいですから(それはそれで、なんかとっても失礼な言い方だよなあ)

 

 

気は優しくて黄な粉もち(不謹慎発言)

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一昨昨日から不意に、「こんなこともあろうかと」の記事が検索されヒットし続けているので、これはもしや?と嫌な予感がしていましたが、そうですか、イデ隊員役の二瓶正也さんが逝去されたのですか。

科学特捜隊のメンバーは、それぞれキャラの立ち方が際立っていました。むしろ主役たるハヤタの方が、ヒーロー然とし過ぎで薄かったかもしれない。

イデ隊員は、飄々とした三枚目のようで、技術屋として天才肌というなかなかの男前でした。そんなキャラを引き継いでのマイティジャック・・・というより戦えマイティジャックでの源田隊員なども、いい味を出していました。合掌。

日付のない墓標

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NHKが特番のために4年も張り付き、特番のための裏話特番を作ってもいいんじゃないかと言われたほどのあの映画が、Amazonプライムで配信開始されたので、劇場行ってないから観たわけです。

なんだかんだあれやこれやの批評を受けてきたみたいだけれど、ずいぶんと長い時間、時間というより歳月を費やしながらも、やっぱり初めに思い描いたところへ落ち着いたのねと。しかし、

油断してましたよ。終盤あんな曲を挿し込んでくるなんて!

もうね、この映画については完結したんでそれ以上は書くことも無いし、聞けば予告編で流してたそうだし、わかる人は3月にCDの曲目見てわかってたんだろうけれど、ここは今さら今どき今頃であっても、あれを選曲した庵野秀明さんに告げたい。

「シン・さよならジュピター」作りたくないですか?

ひょっとして、いつか使いたかっただけではなくて、どこかでそう考えてるからこその、あの曲なんじゃないか?

どっこいし・・・←「ょ」は、ゆってはならないのだが

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「ょ」まで言ってしまうと、せっかく書いたブログはおろか、PC内のメモリまで消されてしまいかねないので。

この掛け合いとオチは、あーる田中一郎健在だねえと笑わせてもらえるのだけど、逆にとさかセンパイがパワーダウンしていて、寄る年波を感じます。が、たぶんこれ、まだ1987年か88年。

しかし今回の読み切りでは、鰯水くんが活躍するので、作者のスタミナはそちらに全注されているのかもしれません。

だけど最近のノートパソコンて、熱暴走しなくなりましたね。現在使用中の11号機、ファンがエラーで作動しないけど、白熱化しないもんなあ。←するか

というわけで一読。そろそろ新盆に備えて基地の片付けに戻らねば。やれやれ

どっこいしょ・・・・ あ゛

この記事、「昨日読んだ」とおっしゃる人がいるかもしれませんが「気のせいです」もう呪いの言葉言っちゃいましたから。

それよりも、どうやら「究極超人あ~る」の新刊が出てくる日はそう遠くないようです。単発読み切りはまだ続くみたいです。

超越者と人間が融合する

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マーベルコミックのファンの人々に告げたいのですが、面白かったけれど、これは正史じゃないですよ。「ウルトラマン」というフォーマットを利活用した、斜め上解釈のアナザーストーリーです。

そこを押さえておかなければ、逆に許せなくなってしまう。でも、そこを認めればなかなか面白いのです。

新たに、と断りを入れるべきなのは、物語の冒頭が1966年ながら、展開は一気に2020年に移り変わっています。その歳月には、現代において活動している怪獣であったり防衛組織の部隊変遷であったり、いろいろな仕掛けが風呂敷というかトートバッグの中にまだ隠されているようです。ふーん、マーベル作家ってこういう風に考えて地球人と異星人のコンタクトを描くんだ。「原典」直撃世代にとっては大いにショックなプロローグでした。

日本語版劇中では「超越者」(ULTRA)、「人間」(MAN)という呼び方をします。和製英語化?した「ウルトラマン」が、僕らの中には刷り込まれています。何もかもがスピード化し始めた高度経済成長期、この名前は水のように浸透したのだけれど、あらためて「彼」を「超越者が来てくれた!」と呼べるかと考えると、全然スマートさがない。「ULTRA・MAN」と呼びならわせる文化からの、ウルトラマンの名乗りを見せられると、不思議な感じがします。

それにしてもプロローグの時点で既に新解釈のシリーズ化を示唆する物語の描き方は、その必要があるのか? なぜよ? と言わざるを得ないひん曲げ方です。ティザーの段階から登場していて、ものすごく違和感を感じていた左図のパイロットが、まさかの人物でどえらいことになってしまうというのは、禍根を残さなければいいのですが、かなりやりすぎ。その割に今回、ハヤタとコンタクトする宇宙人が「自称」ウルトラを名乗っちゃうあたりはちょっと軽い・・・

そんなわけで、彼等「超越者」は地球の暦で何世紀も前から、地球人種の「自律と進化」を見守ってきた一方、何者かによるエネルギーの負の放射によって副産物たる「怪獣の凶暴化」が始まり、いずれ負の放射はその星を滅ぼすという危機から、進化に期待するのですがいろいろあって「どうもそれは困難だ」とも判断しています。しかし、この物語におけるハヤタは、なればこそ命と力の主導権を自分に委ねたうえで、その自分自身を守ってほしいと申し出ます。

ここら辺のプロットには、なんとなく「ウルトラマン80」あたりまでの基礎設定が埋め込まれている気がしますが、円谷プロ側、というより日本の文化がどのようにアメリカの文化と接触してこのコンタクト劇を描くに至ったのかは大いに興味があります。いやもう「超越者」は正論とはいえ理屈っぽいし「人間(ハヤタ)」もまた超越した事象に対応するため必死。こんなにも沢山の対話の余地があの瞬間にあったのかと、膝を叩くばかりです。