Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

野の花

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群生紅花詰草。自生しているようではなく、人の手によって植え込まれた、本来はソバ畑ではないかと思われます。少なくとも休耕畑ではない。季節が移れば一面の赤は、白い花に変わっていくのでしょう。

東北もそろそろ梅雨に入る頃ですが、ことしは春の加速度がとても速かったなあ。

早朝の虹

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虹午前6時頃ですけど、虹(べたべたな親父ギャグ)

雨上がりの日の出の直後のためか、光線が強く、太くくっきりとアーチの片側が浮かび上がっていました。もう片方のアーチの根元は、とんでもなく遠いところに見えていたので、直径という表現が適当ならば、数十キロの虹になっていたようです。

一攫千金

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烏賊様NHKの番組で見たことのある、下北のローカルイベント場。このネーミングはなんとも秀逸であります。が、残念ながら夏にならないと開場されないので、レースシーンを見物することはできませんでした。

 

鉄の人々へ シリーズ010

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jr008性懲りもなく続いていますが、次の停車駅はどこだ?

花冷えの里

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ゆき朝から東北道が通行止め、続いて磐越道も通行止めというVicsの情報にげんなりする日曜日。四月下旬の雪が降れども仕事先には速やかに到着しなくてはならず、まあどっちも使わずに行けると言えば行けるからと、国道と県道を駆使して福島県の飯館村まで走るのでした。

里の桜は終盤に来て突然の雪化粧。彩の強い桃は、より彩りを添えて街道のそこかしこに花を咲かせています。昨年の今頃はあちこちで除染の吹付洗浄が行われていたけれど、いくらかでも改善はなったのでしょうか。

見下ろせばボスポラスの夢

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tunnel仙台市内で開かれていた展示会で見た、オスマン・トルコ時代のボスポラス海峡の断面図。なんと、海底トンネルの構想図なのです。解説によれば、これが描かれたのは1860年代であるとのことで、帝国と呼ばれたこの国は衰退を始めていた頃ですが、その時代に既に海底トンネルで海峡を渡ろうという考えがあったのに驚かされます。

奇しくも、この海峡下では大成建設が横断鉄道の建設を進めていて、トンネル自体は貫通しており、ことし鉄道がアジアとヨーロッパを結ぶことになっています。オスマン・トルコの夢は150年の時を越えて現実のものになるそうです。

そしてこの国と街が、2020年のオリンピックをめぐる、東京のライバル。脳内下馬評としては、こっちのほうが圧倒的に有利のような気が・・・

おぉ・・・

2 Comments »

cutシルクハットひとつが、こんなに偉そうな風貌にしてしまうとは。

こちらは盛岡市内ですが、やっぱり床屋さん。

しかし知りうる限りで、髭を生やしたウルトラ族はいるけれど、髪の毛のふさふさなウルトラ族の人たちっていませんねえ。ババルウ星人だとかマグマ星人なんかは、一歩踏み込むとウルトラ族の血脈っぽくも見えるんだけれど、あの造形でヒーロー化させると、ライオン丸か白獅子仮面かメガロマンのあと追いになってしまう。だから今さら長髪のウルトラマンが出てきても斬新ではないのでしょう。

 

ギンガさて本家はというと、シルクハットではなく、額に輝くトライデントなトサカを持ってきちゃいました。すげー・・・この発想はもう玩具の発光ギミック前提丸出しですが、外して投げつけるのか、光らせて光線技のエフェクトパーツとなるのか。このクリアパーツは肩や脛や肘ばかりか、胸のカラータイマー周辺にも散りばめられている。

でもなんだか、スライムに取り付かれているみたいな印象が先に立ってしまうのはなんでだろう・・・

鉄の人々へ シリーズ009

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rw001すっかり出し忘れていましたが、素材は撮りためているのです。

で、次の停車駅はどこか?

春探し

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kurikoma標高は天狗の森とほぼ同じだというのに、随分と雪が残っているものです。でも遠くの森からは雪化粧は消えてきました。さらに遠くの栗駒の峯は・・・まあもうしばらく冬ごもり。

僕は岩手・宮城内陸地震のことはデータでしか知らないのですが、ここは当時の震源地にほど近いところ。昨年は宮城側の崩落現場まで行きました。岩手側でも復旧工事が続いています。自然の力には抗えないけれど、それで壊されたものをなんとか手直ししようという人の力もまた、素晴らしいものであろうと考えます。

春が来るのはもうすぐ。

テ・ピト・オ・ヘヌア

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Easter今のラパ・ヌイには森はほとんどないとも言われているし、凝灰岩にしては白っぽすぎる。しかも、西洋人が上陸した頃にはすべて倒されていたはずの像が立派に佇んでいる。

ということは・・・

霰は、テ・ピト・オ・ヘヌアと呼ばれていた頃のこの島に漂着したのか?