八甲田側から移動して、酸ヶ湯より手前の原生林は、まだ雪室の中にあります。山菜採りの人や、この雪室のような森そのものの景色を撮影に来ている人もちらほらと見かけます(平日の夕方だから、居ないのとおんなじ)。笠松峠の少し先まで、雪室の風景は続いていきますが、蔦温泉あたりになるともう残雪はありません。
短いストレートのある草原から、ここを抜けて十和田の森まで、まだ50kmほどを走っていきます。
最初に訪ねたのが2003年の8月。このときにはストレートの終わりに立って走ってくる様子を撮影していました。2006年の7月には、前走する車の後ろ姿を撮っていました。それ以外の機会も何度かあるのですが、単独で行ってしまうと、走っている自分の車を撮影することは出来ないために、結局ただ走り抜けてしまうのです。
ほんの短いストレートでしかありませんし、ガレた林道でもないけれど、青森の街から大館の街まで133kmを走るこの国道の、青森基点側から15kmくらいを駆け上がったところがこの場所にあたります。
市街地を出て森の中を登り続け、最初に開けた場所だから、これ以降の沢山の素晴らしい眺望にも引けを取らないうえに、天候に恵まれていれば、この移動の経路なら助手席側に絶好のパノラマを見ることが出来るのです。それがどんな景色かは、行けばわかります。
天気が悪かったらどうにもなりませんが、それを読むのも遠出の楽しみです。などと言っていますが、今回はまったく偶然に、いちばん良い陽気のさなかに青森まで出張が入りました。
創業からまだ52年なので、老舗と言い切ってしまうのはまだ早いのかと思いながらも、かつて地方にあった小型の百貨店は、確かにこんな感じだったよと、懐かしい気持ちでフロアをあがっていきました。岩手県花巻市のマルカン百貨店は、小規模百貨店ながらネームバリューは全国区?らしく、今頃話題に取り上げても「だからどうした」と言われそうなところなのです。目的はこの日の昼飯、最上階の展望大食堂。実はマルカン百貨店自体の稼ぎ頭で、何度かの閉店の危機も乗り越えてきたというお話。
どんな食堂かと言えば、こんな食堂
箸で食うのが理想と言われるソフトクリームは、パジェケンさんやSIDEKICKさんから聞いていたのだけれど、その大きさに対する価格の妙は、確かにうならされます。しかしその他の食事メニューも、品数と価格を見ていると、こっちへ来たら通っちゃいたくなるじゃないかと思わされます。近くのテーブルでは、4人連れの女の子が、メガカツカレー一人前を囲んでわいわいとやっているし、ソフトクリーム目当ての家族連れや、ラーメンをすすりに来るおばちゃんたちと、表通りの閑散とした風景がうそのような賑わいです。
ここへ来る道々、「とんかつにしようか、ナポリタンでもいいか」などと、田舎と言ったら失礼ながら田舎の洋風定食を思い浮かべていたわけですが、どっちも食いたいならこれでどうだと言わんばかりのナポリカツにやられました。これにはメガ版はありませんが、これで充分だよ。
先日、山形でしろくまさんと晩飯を食っていたときにも、マルカンの展望大食堂の話題は出ておりました。が、しろくまさんによれば
「料理のことも話題ではありますが、あそこで注目すべきは、昭和の名残をそのまま現役としている、ウエイトレスのユニフォームですよ」
だというのです。かつては、その制服を着たいがために、マルカンに就職したお嬢さんたちはたくさんいたのだとか。それでも今は制服を着ていない店員もいたり(パートさんか?)、制服の店員も3人しかいなかったり、ウエイタースタイルのお兄さんがたった1人混じっていたりと、サイトで紹介されている雰囲気とは少し異なります(このサイトに出ているお嬢は、ひょっとして宣伝用のモデルなのか?)
いま見られるのは紺色の冬服バージョンですが、なるほど、これを見ずしてなんのマルカン展望大食堂と、考えさせられます。いやほら、メイド喫茶のようなものを想像しちゃいけませんよ。こちらは直球で食堂の制服なのですから。同時にふと思ったことは、こういったスタイルを踏襲している、地方都市の小規模百貨店は、ここ以外でどのくらい残っているのだろうかということでした。仙台だと藤崎という百貨店にマーガレットというファミリーレストランがあるようですが、行ったことのないうちに震災でフロア自体が閉鎖されているのでした。
震災渦中にこういうことを書くのはどうかとも思うのですが、2500万年ほど昔には、福島市のあたりは海底だったという説明を受けても、ピンとこないです。
陸地として隆起してくるのは100万年前で、その後50万年くらい前までに、福島盆地の原型が形成されたという、なんともダイナミックな地球史。信夫山はその際に隆起の状態のまま残って、現在も257メートルほどの山体を保っています。
この一連の陸地の変動を、このあたりでは「大徳坊という大男が造った山」という形で民話に伝えています。
大徳坊というのは、関東で言うダイダラ坊のことと同じでしょう。超古代にあっては、あっちこっちで山造りをやっている、雲をつくような巨人のことです。大規模な貝塚のあるところにも、彼が食い散らかした(失礼)跡という伝承がありますが、つくばーど基地の近所には、ダイダラ坊の足跡と言われた池がありました。雲をつくわりには妙に小さな池ではあったし、あの池の大きさから考えられる身長はせいぜい30メートルってとこだったのですが、おそらくルーツを同じものとする伝承が、福島市にもあったことを知り、訪ねてみたら見事な桜の山でした。
でも例年なら、こんなに簡単に展望の高さにある駐車場まで上がれたり、楽に駐車できたりはしないだろうと、自粛も含めたうえでの、福島市に来ている観光者の数が減っていることが想像できました。もっとも、福島はこれからが果樹園の開花シーズンで(1週間くらいは早かったのよ)、福島飯坂インター近くから福島西インター近くまで続くフルーツラインや広域農道は、下旬以降が華やかになる。6月からはサクランボをスタートに、秋口まで果物の宝庫となる。今すぐでもイチゴは買えるなど、おいしいモノ三昧ができるところです。
人出の少ないのは現地にとってはたいへんなことなのですが、今だとのんびり散策できるかもしれません。桜は・・・来週ではちょっと遅いかもしれませんが、花の季節は始まったばかりです。
昔、東武東上線の志木駅(あそこって埼玉県志木市かと思ったら新座市なのね)からちょっと歩いた住宅街に、「詩季」という名前の喫茶店があって、数年ほど前に閉店したと聞きました。
この店には最初の一人暮らし時代、東上線の大山駅まで歩いて行って列車に乗って珈琲を飲みに行っていたことがあります。でも珈琲というよりは、その店の看板だったのか定番だったのかまではわからないのですが、ホットサンドを目当てにしていた部分も大きかった。特筆すべきホットサンドなのかというとそうでもなくて、ハンバーグサンドの具などは、あのマルシンのハンバーグそのものだったりしました。
それでもわざわざ電車に揺られて喫茶店に行くという変な趣向をかきたてるお店の一つではあったのです。その当時は住んでいるところに車を置いておけるような環境でも懐具合でもなかったしね。
その東京時代にしか通わなかった名前と同じ字面の喫茶店を、盛岡の駅前で発見することになろうとは、思いもよらぬことで、しかしその佇まいから見ても、小耳にはさんだ「詩季無くなっちゃったよ」というあの店が、岩手に越してきているはずはないなとも確信しながら、店のドアを開けたのでした。案の定、古びた調度品やカウンターのお店が、ここ数年で開店したのではないことを物語っていましたが、このお店の看板メニューがホットサンドであることには驚きました。すれ違ってしまったけれど、なんとなく再会したような、そんな気分で、ツナメルティーサンドとやらを注文したのが、ほんのひと月前のこと。もう一度出かけてみたい盛岡ですが、本日はかなりすれ違って山形から羽田へ向かいます。