Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

Team WESTWIN Warriors #080

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OM270847TDAの本年度最終戦が10月末に開催され、Team WESTWINの川添哲郎選手とエスクードTA52Wが優勝。川添選手は開幕戦から3戦すべてのレースで優勝を果たし、パーフェクトウィナーでの総合トップに君臨しました。

彼が2代目エスクードに乗り始めたのは、それこそことしの開幕戦からです。恐るべき順応性とドライビングセンス。この競技の関係者の誰が、初代ならともかく2代目のエスクードがそれほど強いと思っていたことか。おそらく誰一人想像できなかったでしょう。しかし川添選手はパジェロミニの時代から、クレバーで堅実な走りをしており、それが結果的に速さを生んでいました。

つまり、2代目エスクードは、パジェロミニをエスクードを使って拡大・パワーアップさせる戦術として推薦したものなのです。温和なデザイン、不人気の烙印を押された2代めでしたが、ばりばりのクロカンには不向きでも、この手のスプリントダートトライアルだったら、大化けというより素性の良さを発揮するのです。

もちろん、これを十二分に引き出す川添選手の才覚も非凡なものだと思います。クルマを振り回さず、グリップ重視でクルマを素直に走らせます。さらにエントリー表から瞬時に対戦相手をどのように攻略するかを判断し、必要ならば敗者復活戦からでも勝ち上がる戦法をとる。結果として現在の彼には、パジェロエボリューションでは歯が立ちません。

「来年、どう運営するか困ってしまうという贅沢な悲鳴をあげてますよ。川添君の速さは手が付けられません。来季はJXCDからパジェロエボを持ってくるというチームもあるようですが、現状では彼は、束になってかかってこられても押しのけてしまいますね」

島監督も舌を巻いているこのリザルトには、もうひとつの要素が加わった最終戦だったことが原因のようです。それは川添選手が本当に意識する強敵をつぶすための、本来ロスの大きな走りになっていた振り回しのドライブをしなくて良かったこと。100%川添ドラテクだけに特化したことが功を奏しているそうです。

その強敵と言えば、他ならないエスクードTA51Wの後藤誠司選手だったのですが、なんと最終戦は彼の勤め先の社員旅行とダブルブッキングでレース自体を欠場。というまさかのスケジュールは、実は第2戦の直後から聞かされていまして、そりゃー勝っても川添君嬉しくないだろうにとはらはらしておりました。

しかしこれ以上ない勝ちを収めたことで、川添選手は後藤選手の闘志を喚起したものと思われます。彼を止められるのもまた、後藤選手でしかないと、川添選手自身が考えているのですから。

 

芸術(?)鑑賞。

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結構ねぇ感動したよ。

結構ねぇ感動したよ。

新月サンがお世話になってるスタジオのオーナーが、市民ミュージカルの演出をなさるって聞いたんでその舞台を観に行ってきました。

出演者は全員素人サン。どんなんかと思ったら、もっと自分の住んでいる所に目を向けようよ、関心持とうよ!というお話でした。

そうそう、舞台に越谷のゆるきゃら「ガーヤちゃん」が出演してたんだけど。
ネギ(特産品)背負ったカモ(特産品じゃなくて宮内庁の鴨場があるからですって)が鍋(!)穿いてるキャラクターって・・・ブラックだなぁ・・・

ライン設定は伊達じゃない

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杉野沢線エスクードのルーフレール装備車は、ほぼ、特別仕様において設定されており、特別仕様であるがゆえに「その仕様内でミッショングレードも固定されてしまう」という仇も生まれます。クロスアドベンチャーやランドブリーズでは、ルーフレールを所望できても4ATに乗らざるを得ない。「なんで5MTがないんだ」「せめて5ATにならないものか」といった、気持ちはわかるけれど贅沢な悩みが聞こえてくるのです。この悩み事が出ると、我々の宴会では「だったらミッションをMTに載せ替えなさいよ」という極論で切り替えされるのですが、やってやれるなら、それが一番確実なのよということで、あとは手間と財源との戦いを迫られます。

ルーフレールは後付できないのか? という問題については、かつてとにいさんがTL52Wで北米仕様のルーフレールを取り付けた事例がありますが、もちろんスズキ自販ではその取付作業はやってくれません。とにいさんの場合は、町の車屋さんで屋根部材の一部を剥離させハードポイントを利用し補強も加えて取付けました。

ならば現行モデルでもそれは可能だろうと、海外ではアフターマーケットがあるのですが、とにいさんは後付の弊害を自分なりに解釈していて、このエスクードに北米仕様の装飾を施すところに主眼を置き、後付したルーフレールには「あえて荷重物を載せない」過ごし方をしています。

「ルーフレールは組み立てライン上で取付加工するパーツです。耐荷重の計算も含めて部材と車体を加工しているので、未装着車に後付するという手だてはお勧めできません」

というのがメーカーサイドの意見です。

メーカー側は、例えばコムロさんのようにがっちりとしたルーフラックを搭載するケースを想定し、それを安全に運用できるだけの強度を併せて実用化していますから、ノセルダのような重量物に、さらに林道に出かける際のスペアタイヤまでをくくりつけても、一定重量までの安全性が確保されます。

アフターマーケットでも耐荷重設計くらいはやっているだろうと思うのですが、

「メーカーのライン作業は伊達じゃないんです。残念ですけど後付というのはやめといたほうがいいです。申し訳ないことに、2400のエンジンに5ATも物理的に組めません。ミッションが耐えられないのです。ならば5MTを設定して、というのは・・・確かに正論ですよね」

伊達ではないレベルの補強作業を施す工程があるため、特別仕様という限られた枠でしかルーフレールは取り付けられないようです。うーん、痛し痒し。だけど初代モデルにあったようなオートエキスポのキャリアシステムは、補強どころか部材で屋根パーツを挟んでねじ止め、という、そんなんでいいのか? というポン付けパーツだったのですが・・・

人混みごみゴミ

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まずは腹ごしらえ(笑)

まずは腹ごしらえ(笑)

お休み中にビックサイトへ行ってきました。

最初は土曜日に行く予定だったのに、公式サイトの混雑予想を見て「・・・土曜日はメチャメチャ混みそうだから、日曜日にしよう」と言う人が。
まぁいいんですけどさ。

そして日曜日。11時頃現地に着いたら駐車場が余裕で停められて拍子抜け。(結構奥の方に誘導されたけど)
中に入ると普通に歩けて、これまた拍子抜け。
メーカーさんのブースで話を聞いたら「昨日は(人出)多かったですよ」って。それでも例年よりは少なかったとか。
・・・景気ってホントに上向いてるん?

人が少ない。

人が少ない。

遂に浸蝕

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浮き1フロントグラスの内側が突然曇り始めたので、いくらか雨水が流れ込んでいると思われます。フロントグラス上部に数か所の塗装の浮き。給油口にも発生。

こうなるよりも早くフレームが錆による穴あきを経験しましたから驚きはしませんが、目の当たりにすると、遂に来たかという心境です。

まさに間抜けな話ですが、これの処置修理のためBLUEらすかるをドック入りさせることとなり、ぷらすBLUEで仙台へ出かけます。頼むから雪、降り出さないでおくれです。

訪   問

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上越中央1日の記事のタイトルがどうして「一路妙高へ」ではなく「上越へ」だったのかというと、いわゆる孫請け仕事でESCLEV事務局から命ぜられた取材にて、上越市のスズキアリーナ上越中央にお邪魔し、店長の山本さんにインタビューをしていたのであります。

この取材にあたり、最初のアポイントメントは10月の半ばに長岡市にある同店の自販本社さんにコンタクトしたのですが、電話で応対してくださった常務の手塚さんがとても親切な方で、ものの5分で取材の了承を取りつけていただくことができました。しかしながら8月に取材ができていればというタラ、レバな展開で、

「彼は先月、エスクードからソリオに乗り換えちゃいましたよ。それでもよろしければですが」

どひー・・・ とは思いましたが全然かまいません、ぜひにと、取材が実現しました(まさかその後、ふっじいさんに指摘されるとは思いもしなかったよ)

山本店長さんは、2年間ですが6型のクロスアドベンチャーに乗っておりました。上越地方の雪道を走っていたご経験を伺い、エスクードのインプレッションをまとめる取材にご協力いただきました。

「仕事柄、上越高田から長岡や妙高などあちこちに出かけますが、積雪時の北陸道や上信越道で轍を乗り越えてレーンチェンジするのはは怖いものです。エスクードは50対50に極めて近い重量配分や、直結四駆にもできる走行性能の安心さがありました。大事なことは、乗り手が気付かないまでもそういったサポートが安全さを維持させていることです」

1時間ちょっとの訪問でしたが、ここでは書ききれない様々なお話を伺えました。

つくばーどin妙高高原XⅠ

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tb妙高高原118月の開催を中断しながらも、大勢の参加者に恵まれました。すっかり忘れていましたが、空飛ブウサギと出会ったのが10年前の8月でしたが、妙高高原をつくばーどの行事に組み入れたのはその年の11月で、なんだそうだったのかと(主催者がそんなんでどうする)きっちり10年めの開催を果たすことができました。

詳細は帰宅したら加筆します。

とりあえず今頃は宴会の真っ最中。

 

斑尾林道11月1日朝の上越地方は雨。うわーやられたーというどんより天気ではありましたが、きうさんとたちばなでとんそばを食っている間に雲が流れ、薄日が差してきたので一安心。今回に限り集合を午後にしておいたのは正解でした。

日暮れまでに林道を走り切れるかどうか。まあ日が暮れても林道は走れるんですが、晩飯の前に風呂にも入りたいですから、ふっじいさんのスバルサンバー4WD林道スペックを船頭に、妙高市から毛無山、沼ノ原湿原を走りつないで斑尾山の山腹を目指します。紅葉は最後の彩りを残した風景。もうじき雪が降ってくるでしょう。稜線から日本海が眺められるくらいの標高まで駆け上がり、斑尾山に取りついたころには夕暮れです。

昨年は崩落修繕工事で通行できなかった斑尾山の路線は、前半が快適、後半が藪林道になっていました。夏場も藪がはびこりますが、そのまま立ち枯れた草木をかき分け進みます。初代の車幅はあまり影響なしですが、3代目だと草木をなぎ倒し、です。とりあえず藪を避ける迂回ルート班と、藪漕ぎ班に分かれて妙高市へ戻り、杉野沢のペンション・空飛ブウサギに宿泊。

すると、

「一人多いぞ、13人分あるっ」

というまるで萩尾望都の漫画みたいな食事の支給の展開もあったりなかったりで、風呂と晩飯と宴会で夜が更けていくのですが、その辺の写真はありません。

杉野沢林道明けて11月2日、流れ解散の後、杉野沢林道へ向かう残留組は、それぞれのペースで笹ヶ峰牧場を目指します。前夜の雨が影響した水たまりだらけのルートは、夏のころから荒れ始めていて、目視確認で路肩が崩落しそうな場所が2か所、法面が崩れそうなところも2か所。この冬の積雪次第では来年は通れないかもしれないと、川を渡る橋の袂まで走ります。

夏以降、乙見峠のトンネル補修工事で小谷側へは抜けられないらしいので、杉野沢線だけのツーリングで解散。ひとまず無事にミーティングはお開きとなりました。詳しくないけどサイトレポートです。

 

と、その前に・・・

 

夜会?一路妙高高原からつくばーど基地へ帰還すると、少し時間を置いて教授さんがやってきました。

「どうも妙高とは縁がなくて、出かける用事がかぶるんです」

それは仕方ないです。体は一個しかないので。というわけで、教授さんはTD51Wのスタッドレスタイヤを調達するため、先日BLUEらすかるが履くジオランダーを剥した16インチアルミホイールを引き取りに来てくれたのです。急きょ、つくばーど基地茶の間夜会の設営でした。

一路上越へ

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とん汁大小主催者の都合で一旦中止としたつくばーどin妙高高原XⅠでしたが

「やんないの? やらんでどうするのっ」

と叱咤激励をいただき、三カ月遅れでどうにか開催が叶いました。

そんなわけで新潟を目指すのですが、ここでまた主催者の事情により、たちばなのとん汁は各自で堪能し来てくださいな、変速的な集合であります。僕自身も土曜日には食いに行ってる時間がなさそう。

密閉容器をどこかで調達して、テイクアウトしちゃおうかなあ・・・

ぶんぶんぶ~ん

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このコならカワイイんだけどねぇ。

このコならカワイイんだけどねぇ。

とは言っても毎年我が家に居座る足長サンではなく、ミツバチっぽい(真相は・・・?)胸元がモフモフしてるし、足短い(笑)し。
今だと花も少ないのかな?姫蔓蕎麦の花をせっせと移動してましたよ。
お隣のウッドデッキにいくつも咲いてるバラの花の方が、蜜沢山あるんじゃないの?

精霊流転

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halloween元をたどればケルト以前に、ハロウィンの原型のような文化は存在していて、それは東方からやって来たらしいという。ものの本によれば、始まりがシリアに在ったヘレニズム時代のセレウコス朝シリア王国の首都あたりだと云います。それって後のシルクロードの出発点じゃないか。

すべての聖人と殉教者を祝う習慣が、一部の宗教的な儀礼であるペンテコステと呼ばれる聖霊降臨のあとの最初の日曜日を諸聖人の祝日と定義していました。この習慣が西欧に伝わり、諸聖人の日となり、その祭祀が始まる前夜が、ハロウィンの起源。ペンテコステというのは原初は、春最初の収穫を感謝する農耕祭でした。

ペンテコステに聖霊降臨がくっついてしまったため、一部の宗教色が強く残り、農耕という祭事の方が薄れてしまったところに、ハロウィンの誕生と変質が秘められているようです。しかもその昔は5月に行われていた感謝祭がどこぞの大聖堂に聖霊降臨を祝う小聖堂が祭られたあたりから「それを記念するんで諸聖人の日は11月の1日ね」とシフトしてしまったので、復活祭後50日目の聖霊降臨祭とも分離し、50番目というギリシアの言葉であったペンテコステも意味を失っての西方拡散であったようです。ヨーロッパの一部には農耕祭としての風習が残る地域がありますけど、8世紀以降のハロウィンはどんどん変化していったようです。

すると何か? この祭りで闊歩するお化けやモンスターなど得体のしれないものたちこそが、諸聖人たちのなれの果て? その辺のことは勉強していないのでわかりませんが、日本あたりじゃ20世紀末に流行りはじめた文化なので、もはや宗教も農耕もどうでもよくなってます。

実はその宗教的観点からハロウィンが流行していなかったり、意図して行わない地域も、世界の各所にあります。そのひとつに中東が上げられるのは意外です。シルクロードの出発点、セレウコス朝シリア王国の首都アンティオキアは、中東の西の方に在った都市だったのですから・・・