焚いた白米に餡子を乗せて食うという献立自体が理解しがたかった「ぼためし」ですが、茨城では一般的な彼岸フードで、子供の頃には強制的に食わされて嫌な思いをしたものです。霰が生まれたとき、第一子には生後三日目に「みつめのぼたもち」を母親に食べてもらうという縁起行事がありました。これも郷土風習だったようです。餅やパンだと平気なのに、なんでご飯だと「ええっ!」と引いてしまうのかは、もう僕自身のメンタルなので仕方ないですが。
写真は親父の葬儀当日に作った「ぼためしわらじ」。三十五日法要でもやるようです。本日が親父の三十五日。あの世で針の山から谷底に落ちないようにという滑り止め効能があるとのことなんですが、なにそれ針の山って地獄行き確定なの?と思いかけたら、「浄玻璃の鏡」が現世での行いを全て暴く、閻魔大王の審判が没後三十五日目に行われるためだそうです。針の山ごときで滑落しちゃうと極楽へ行けないので、遺族が考え出した対処方法なのでしょう。
それにしても、理屈は理解できても、飯に餡子というのが、地元民ながらちょっと何なのかよくわからない風習・・・