イギリスのマン島TTレースと言ったら、1961年のホンダ・・・を取り上げるのが定石ですが、私ゃスズキの車に乗っている人間なので(なんか了見が狭いなあ)、63年のスズキRM63で50ccクラスの優勝を遂げた伊藤光夫さんを持ってきます。
当時はまだ、マン島TTがオートバイレースの世界選手権に名を連ねていました。だからこそホンダも、戦後の技術力アピールとともに名を馳せるべく、59年から参戦し、61年に優勝を果たすわけです。スズキは1年遅れの参戦でした。写真は伊藤さんのマシンではなく、デグナーの乗機(型式がひとつ古い)
スズキは前年、この年にわたって、マン島TTでは50ccクラスの優勝をもぎ取っており、選手権でもメーカー、個人タイトル両方を獲得しました。スズキのライダーとして、というよりも、日本人初のマン島ウィナー。ものの本によると、このあと日本人のWGP優勝は77年の片山敬済さん(ヤマハ 350ccクラス)まで出てこないらしいうえ、マン島TT自体が76年いっぱいでWGPから外されたため、伊藤さんの記録というのは、ただひとりの「WGPマン島TTウィナー」として刻まれています。あっ、念の為に、日本人初のWGP優勝者は、61年西ドイツでの高橋国光さんです。
伊藤さんの記録が刻まれたその日が、63年の6月14日。この年、誘拐や暗殺、刺殺といった殺伐とした事件が多く、マン島レースのニュースが流れていたのかどうかは、それ以前の推して知るべしな話題だったかも。ホンダはトラックのT360やスポーツカーのS500を、東洋工業はファミリアをリリースし、高度経済成長が世の中を変えつつある頃でした。