多少日時のずれはあるかもしれませんが、狼駄さんがTA01Rを手放したのが2001年のことで、それが日付から遡って2003年末にはTeam WESTWINのトライアルマシンとして生まれ変わり、この一台が呼び水となって何台かのエスクードが同チームから耐久レースやダートトライアルに繰り出され、2010年にTA51Wが走り出しました。そのデビューに至るきっかけは、ひとつの決意によるものですが、それを促したのもやはりエスクードでした。
約20年の歳月、二世代のドライバーたちによって積み重ねられてきた九州のダートトライアルでは、この10年近く、2台のエスクードが席巻してきたのですが、チームのスタンスとは関係なくレースマシン自体の高性能化やエンジンスワップが当たり前の時代となり、彼らのポリシーであった「エンジンはノーマルで」という理屈では、常勝の域にとどめられなくなりました。川添哲朗君はTA52Wを継続して走らせますが、後藤誠司君は、エスクードをスイッチする決意に至りました。
この流れはいつか来ると思っていましたが、正直言って10年近く戦ってくれたことは予想外だったのです。だから後藤君の決意を押さねばなりません。あの外連味たっぷりながら格好だけではない速さと強さを見せつけた銀色のエスクードは、しばらくの間、封印される方針です(2019年末時点)。後藤君が次に何をパイロットするかはなんとなく想像できますが、2020シーズンインまで伏せておくことにしましょう。いずれ明らかになると思うけど。
しかし島雄司監督のもとでは、いよいよ第三世代のドライバーが登場を待っています。梅津知浩君、先シーズン最終戦でお父さんが整備したというパジェロミニを走らせ、全開余って前転させたという怖いもの知らずで鮮烈のデビューを果たしました。ギャラリーに訪れていた塙郁夫さんは同乗して曰く「ブレーキングを徹底的に仕込んだら大化けする」というお墨付き(後藤君の時もそう言っていたねえ)の、その時点ではまだ17歳のルーキーです。
「彼をうちで預かり、まずは例のレジントップを卸して走らせてみるつもりです」と、島監督は構想を語ります。梅津君の走りはまだ無垢のままであり、後藤スタイルになるのか川添スタイルになるのか未知数ですが、このプロジェクトが実現すれば、はた目には「力の後藤」「技の川添」を引き継ぐVersion3に成長するかもしれません。うーん・・・こういうのをどれほどの人たちがわかってくれるかなんとも言えませんが、これはドラマです。
こういう風に書かれると長い月日エスク-ドあってのダ-ト、WESTWINなんだな
って感慨深くなっちゃいますね・・・・・
以前川添もありましたが後藤はちょっとお休み充電期間。。。
だけど、面白いですね。まさかまさか第3のエスク-ド使いが現れるとは(笑)
新たな使い手は高校三年生、4月には自動車整備専門学校へ
しかしながら現在彼は、同級生は殆どもう学校には行かなくて良い時期なのに
サボリ過ぎて補修授業の為、未だ日々登校してしています(爆笑)
僕がトライアルをやっていたどころかダ-トを走っていたのさえ
知らない小僧が弟子入りしてくるとは。。。。驚きです
昔から知ってる子でしたが、何せ若いし飽き性でヘタレと親父も言うし(酷い親)
僕もそれは分かっていたので、途中で放り投げて逃げるかと思い
とりあえず昨年1年間TDAに出場させてみて様子を見てから
チ-ムに入れるかどうか判断しようと思っていましたが
負けるたびに今の走りはどうでしたか?と毎回毎回持論(笑)を
交え素直に尋ねてくる熱い気持ちに押され昨年3戦目より
うちのメンバ-として認め、それまで小僧呼ばわりしていたのを
「チヒロ」と呼んであげるようにしました
その彼が最終戦終了後、親父と一緒にWestWinに来店し
来期はエスク-ドで戦いたいと相談に来るとは
全く想像すらしていなかったですよ
それが十年の積み重ねと、その前にあった黎明期によってもたらされるものなんですね。
これほどドラマチックなエピソードを、レースの結果以外に記録しているチームなんて、そうそうありませんよ。
これだからエスクード馬鹿をやめられない。
10数年の歳月を経てクロカンダ-トの世界では
今やエスク-ドマイスタ-とまで言われるようになりおかげさまで
ネットや雑誌にも取り上げて頂けるようになったうちのWエ-ス。
そんな川添、後藤も最初ダートの世界に足を踏み入れたときには
全く歯が立たず毎回泣いて帰った夜の焼き鳥屋のテーブルで
僕は灰皿やタバコ、ライタ-お皿等をコ-ナ-や車に見立て
説明していたのが昨日のよう。。。。
そして時が流れ今や彼らが僕の仕事机にコップやお菓子
スマホを置き、それらをコ-ナ-や車に見立てチヒロに熱弁を
奮うさまを僕は楽しんで見ている・・・・。
チヒロくんって、ややもすると島さんがE‐376を作ったころの生まれでしょう?
これから10年走ってもまだ三十路にすらならないわけで、後藤君や川添君の歳になるころには下手すりゃ僕が生きてないかもしれませんよ。
そこまで行くかどうかは本人の情熱次第にもなるのですが、振り返る以上に先のことを想像すると頭がくらくらしますよ。