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  ~懲りない傾向~

100年とそれからの何度もの震災

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関東大震災から100年の歳月が流れたそうです。さすがに未経験の大地震なので、祖父母が思い出話にしゃべっていたことくらいしか知りません。僕の場合は新潟地震が最初の大地震ですが、これも子供の頃のニュースと映像でしか知りません。いくつか飛ばして阪神・淡路大震災は、仕事の応援で一週間ほど神戸に行きました。これも被災後の街での仕事なので、体験としては「未」の域でしょう。その後東日本大震災を仙台でくらうなどとは思ってもいませんでした。

ずっと以前、インターネット上に以下のような手記が出ていたことがあります。

 災害時と戦時では、かなり状況が異なりますので、今回は災害時に限定して5つの準備項目とさせていただきます。
 阪神大震災の教訓どおり、大災害時のライフラインその1は、まず水です。我が家は徒歩2分の位置に川と湧水池があるので、浄水器さえあれば水の確保は出来ます。シーガルフォーは、『料理の鉄人』で使用しているもので、泥水をミネラルウォーター以上の味に変えてくれるもの。手動装置も付いているので停電時にも使用可。
 ナイフも必須アイテムであるのは自明の理。切る開けるほじる削る、が出来る機能があれば一週間のサバイバルは可能。大都市型災害では従来の三日間でレスキューが来るという常識は当てになりません。エスクードは住居兼移動兼情報収集手段(ラジオ)。このクラス以上の重量級4WDは歩道橋の倒壊などの都市災害には対処が難しいのです。瞬間パンク処理剤は神戸のボランティアの教訓で、災害時には道路に信じられないような障害物が転がっているからです。熱源の確保にはカセットコンロが一番楽。妙にコールマン・ストーブなどを備えるよりも手軽で扱い易い。携行食糧は米軍や自衛隊のCレーションが入手できればそれがベストですが、キャンプ用のレトルト食品でもOKです。以上のものは我が家には常備されています。

この手記は、1998年1月に、作家だった景山民夫さんが書いたものだそうです。日付はわかりませんが、自宅での火災火傷で亡くなる直前のことと思われます。神戸での経験も含めてのことのようですが、大規模災害時は、被災地での建設業者(自衛隊ではありません。自衛隊が救助作戦に赴くために、道路啓開が先に行われるのです)による道路啓開作業がなされなければ、重量級どころかエスクードもジムニーも使い物になりません。それ以前に、自治体なり国土交通省の地方整備局から緊急車両認定を受けなければ、自動車自体走らせられないのが現実で、主要幹線道路はすべて封鎖されてしまいます。

関東地方の県警によっては、平常時の検問において、座席下に放り込んであるクロスレンチさえ凶器とみなされる場合があり、ナイフなどの携行は極めて危険な取り扱いとなってしまったのが現在です。幸いにも僕のエスクードが背負っている剣先スコップは、これまで咎められずに済んでいますが、平時に笑いを盗るなら「ニンバス2000」なんかを括りつけておいた方が良いのかもしれません。

ただ、東北赴任直後の被災では、エスクードが大いに役立ったことは言うまでもありません。仕事上の緊急車両認定手続きはさほど難しくはなく、燃料の心配を除けばヘドロや瓦礫をどかされた被災地にはどこへでも行くことができました。もっともエスクードでなくとも移動手段、ビバーク能力はたいていの自動車には備わっています。真冬でしたからガスコンロもカセットボンベも停電中にはライフラインとなりました。友人が持たせてくれた防災キットを、赴任早々に開封するとは思いもしませんでした。

東日本大震災は、分類すると津波による被害が地震と複合した災害でした。その危険性は島国である以上、沿岸地域においては再発の可能性を無視できません。しかし本当に恐ろしいのはやはり何度でもやって来る地震の方だと感じます。あれ以来、震度5の速報は(速報より先に体感しているわけですが)感覚の麻痺でどうということのなさを心身に刻んでしまいました。100年前に比べれば、身辺の安全性は飛躍的に向上しているからでもありますが、100年の節目に限らず、日常と防災と対災害の意識を見直さないといけないと考えるようになりました。

なんてことを書いた日には大抵閲覧する人がいないので

さきほど、無事に890000キロを刻んでまいりました。無事に、かどうかは、クルマの御老体ぶりを考えると何とも言えませんが。

 

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