1月1日から3日の朝は、元日は特にこれという番組を見ず、あとの2日間は箱根駅伝の中継を見ながら雑煮をすする正月の毎年です。始まっちゃいましたね2024年。先月あたりは「あっという間に年の瀬になったねえ」などと言ってましたが、新調されたばかりのカレンダーを見ると「先が長いなあ」としか思えないです。雑煮は作るものの、餅を搗く習慣は途絶えて久しい。臼に向かって杵を振り下ろしたのは20代の頃だもんなあ。
しかし今年は元旦から能登地震の発災でテレビ放送はすべてすっ飛び、あまつさえ大津波警報が発令されるに及んで正月気分ではいられなくなる年明け。今回は被災者ではありませんが2011年の3月に引き戻された感覚です。あの時も何もできなかったし、今度だって何の役にも立たない自分です。
能登には一昨年出かけて、輪島にせよ珠洲にせよ大なり小なりのご縁をいただいたり面白おかしく過ごしてきたばかり。それらの被災地をテレビ越しに傍観することしかできないのはもどかしいものです。石川や富山のエスクード乗りとは交流が絶えていますが、新潟のきうさん、ふっじいさん、おいたマンさん(失礼、掲示板で書き漏らしてました)、looplineさんなどとは連絡を取ることができ、杉野沢の空飛ブウサギからも無事の声を聞くことができました。
そうして居眠りをして2日の夕になったら、羽田で機体衝突炎上だと。旅客機の乗客乗務員すべて脱出できたというのは奇跡を呼び込む乗務員の避難誘導の賜でしたが、海保の機側に犠牲者が出てしまったことは痛恨事でした。本来なら新潟への災害支援物資を空輸するはずだったというのに。
忘れていなくても災害はやって来る。備えは無駄にならないけれど、防ぐことができない現実に「防災」って言葉はなんなんだろうとあらためて思わされます。