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  ~懲りない傾向~

三高伝治さんの必殺?の件

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稲刈りが終わって新米がとれたという伝治さんからの電話を受け、北条米の買い付けに行ってきました。毎年、30㎏のミルキークイーンの玄米を6袋買い求め、土蔵に保管してもらって定期的に引き取りに出かけるのですが、「ことしは特に出来が良かったから、つくばーど®の行事で使ってよ」ということで、精米の5㎏をおまけにいただけました。で、今まで勘違いしていましたが、「北條」「ミルキークイン」が正しい名称だったようです。

残念ながら肉を焼く機会もカレーライスを作る予定も立たないけれど、声が上がれば玄米の1袋を持ち帰っているので、行事が出来たらそれを新たに精米します。

伝治さんはついでに「近所で売り出したハイベリーとシャインマスカット、うまいから持って行きな」と、ひと籠ほど分けてくれたのですが、帰宅して相場価格を見てびびっております。高野や千疋屋で買ったらいくらになるんだこれ・・・

お彼岸。

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持っていくのは菊ですが。

父の命日でもあるのでお墓参りは行かないとなー。
父が好きだった花ってあまり知らないのよね。
(いわゆる草花ね)
覚えてるのは蘭とシクラメンが好きで
庭に温室作って育ててた事くらい。
まあそれも私が中学生くらいまで・・・だったかな。
温室無くしたその後はひたすら庭木いじってたので
松やサツキを愛でてましたわ。

車が変わった報告もしてきます(笑)

あと一年か二年?

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沖縄のマミポコさんのエスクード、「お嬢」が、最近ブレーキとドアミラーの修理をやっていたことを聞きながら、走行距離を尋ねたらいつの間にか、じわじわと数字が刻まれていました。「月」まであと31400キロ。ちょっと走る人なら来年の今頃到達です。

「乗り出してから走ってきたのは沖縄と久米島に伊平屋島、渡嘉敷島ちょびっと、って感じです」

関八州とか東日本とかを駆け回っている僕とは、走れるエリアが限られているはずなので、それでこれだけの距離になっているんだからすごい。ひょっとして、沖縄本島って実は北海道並みにでかいんじゃないの?と思ってしまうわ。

 

キレイキレイ。

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ブシューーーーー

三連休の最終日。
薄っすら埃かぶったあおちゃんを
新月サンがなでなでしてくれました。
(自分の営業車もついでになでなで)
うーん。つやつやだぁ☆

秋   分

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昼と夜の長さがほぼ等しい二十四節気16番目の節気。ただしこれはグリニッジ平均時での日取りとなるので、9時間ずれる日本では明日が秋分の日となります。
雷乃収声 蟄虫坏戸 水始涸
らい すなわち こえを おさむ、ちっちゅう こを はいす、みず はじめて かる
7月末からのあの酷暑を思えば、なんとなく秋らしくなってきて、沿道のススキも輝き始めています。

黄道12宮上では、いよいよ僕や霙に関わってくる天秤座の始まりで、2021年は特に、2人ともこの影響を大きく受けると云われているのですが、手の甲にレンズが浮き出てくる気配も無いし、昨日、中秋の名月だったけれど浮足立つメンタルでもないです。

それにしても、これほど長期にわたってつくばーど®の行事も開かず、誰かと遊びに行くという機会も無いのは予想外の時代です。ファミレスですら秋の夜長を満喫できないのだから、ちょっとどころではなく異常。

天気のせいか道は空いてた。

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スープは好みであった。

台風の備えは前日までにと
気象予報士さんが繰り返し叫んでおられた先週末。
夜が明けたら思ったほど降らないし風も吹かないし
「ラーメン食べに行こうか」と
新月サンに連れられて佐野へ。
先日仕事で出向いた途中に見かけたので
行ってみたくなったそうな。
(その時食べたのは別なお店)
ちょーっと茹ですぎた感のある麺だったけど
まあ、許容範囲でしょうかね。

Team WESTWIN Warriors#163

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台風一過の19日、TDA第3戦が開催され、アンリミテッド、リミテッド合わせて30台の参戦がありました。台風14号と言えば、観測史上初の福岡県上陸は、何の因果か「恋の浦」を直撃。しかしレースは影響を受けず、散水車を必要とするドライコンディションでした。アンリミテッドは2位とのタイム差1秒を刻んで川添哲朗選手が優勝。リミテッドの梅津知浩君は、本戦が始まると電気系統他のトラブルが発生し、レースに絡めませんでした。

川添選手のエスクードは、クラッチやデフなど各部に稼働限界が来たそうです。今回はクラッチをどうするかで発注した部品が既に台帳落ち。ハンガースポーツの高田社長がスズキ以外のメーカー台帳から流用可能なものを割り出して取り付けています。この過程で、デフに関してはJB23の部品が使えるだろうと判断され、今後整備に移ります。

「JB23は意外に良い素材です。関係者間では、むしろ64がダートラでもクロカンでも使い物にならないという酷評。そういうジムニー勢とエスクードで戦うのが、うちのスタイルなんですが、チヒロのレジントップもアクリルパネルで窓を入れ替え固定してしまったので夏場は悲惨です」

島社長も帯状疱疹からの病み上がりで、クルマづくりどころではなかったと思われます。そんな事情を、他チームは待ってはくれません。1秒というアドバンテージは、川添選手の腕前と駆け引きに助けられたこともあるでしょう。他チームの車両も確実に性能を上げており、次回の協議は油断ならない状況です。

先代のいない9月

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うちは夫婦ともに両親を亡くしたので、ことしからしばらくの間、敬老の日とは縁遠くなりました。いずれ自分がそこに足を突っ込むまで、生きているかどうかわかんないし・・・と思っているのですが、いつの間にか案外近い将来になっちまってます。

歳より若く見られるのは悪い気はしないけれど、要するに中身がまだまだ大人じゃないんだよね。

 

ひょっとするとうちの親父と同世代

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2011年4月の撮影でした

9月19日。あの死神ことサイボーグ004、アルベルト・ハインリヒの誕生日なんだそうですが、例によってこういう設定がいつ頃付け加えられたのか、あるいはこの漫画が始まった頃すでに9人分とギルモア博士の誕生日設定は、原作者が作っていたのか、よくわかりません。

ハインリヒは生年があやふやな他のメンバーと違い、東西ドイツ分裂時代というバックボーンを背負っています。だから、設定された年齢(昭和版で28歳、平成版から30歳)が絞り込め、1930年代と推定されます。え? うちの親父が1935年生まれだったよ。

ハインリヒは東ドイツの国籍だった男で、いわゆるベルリンの壁は1961年8月に打ち立てたものなので、昭和設定で言うなら28差し引いて1933年、平成設定だと31年が東西封鎖時を基準とした推定生年ということになります。彼が動物運搬のトラックに恋人を隠して東ベルリンの検問所を突破しようとして失敗、銃撃されて重体となるのは有名な話ですが、壁ができた年に脱出したかどうかがカギとなっていきます。

この後黑い幽霊団が拉致

このとき彼はシャツにジャケット姿。警備兵は冬服装備なので、8月からは幾ばくか月日が経過しているようです。恋人がノースリーブなのは、着ぐるみに入るためでしょう。この脱出準備に要した手間や時間を考えると、どんなに急いでも61年の晩秋あたりかと思われます。

まあそんな忌まわしい過去は棚上げして、石巻では彼の誕生祭が開かれています。御年88歳か90歳? 改造された時点で年齢は止まってしまったともいわれていますが。

 

50年500億

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先月、カップヌードルが1971年9月の登場以来、世界規模で累計500億食の出荷を突破したとか。50年めの大記録です。自分じゃそのうちの何食分食ったかなんて覚えていません。

だけどこれを初めて食った日のことは、鮮明に覚えています。翌年、72年10月の夜のことです。

その日、親父がにこにこしながら箱買いしてきたこれを人数分リュックサックに詰め込み、お袋は家にあった水筒という水筒にお湯を注ぎ、僕は祖父に手を取られて、夜の裏山に登りました。

この夜、日本中のある程度大勢の人々は、夜空を見上げていたのです。ジャコビニ流星雨の肉眼での観測のためです。考えてみれば、流星雨やら流星群と言ったものを初めて見聞きしたのが、ジャコビニでした。

が、後に判明していくことですが流星雨の母彗星が木星の影響を受けたとか何とかで、日本においてはまったく観測できずじまいでした。そんな顛末になるとも知らず、祖母と妹を留守番に残したまま、僕らは裏山の山頂で、やはり大勢の観測にやってきた人々と流れ星の出現に期待していました。

当時、10月の声を聞くと、つくばーど基地も含めて町は夜になると冷え冷えとしていたんです。僕もセーターとヤッケ装備に毛糸の帽子。それを見越しての親父の用意したカップヌードルは、お湯が必要だったとはいえそれさえあればまさしく科学の勝利のような、暖と食欲を満たす万能ツールでした。

自宅では祖母と妹が、僕らと同じように夜食をとっていて、妹・吹雪によると「まだ4歳でしょー、覚えてないよー」ということでしたが、彼女にとっても初ヌードルだったはずです。そいうえば、これが世に出た9月18日というのがまた、祖母の誕生日でもありました。ジャコビニ・ツィナー彗星は今なお健在で、10月りゅう座流星群という公式名称がつけられています。

しかしなんだね、取手の工場の巨大ヌードル容器はすでに歴史になっているし、少し前にはカップヌードル自体のプラモデルをやったりしましたが、五十周年でも攻めています。ただ、麺(と、スープ)のミックス商品はともかく、アパレル商品やら炭酸系飲料とスープのコラボというのは、なんというか暴走企画だよなあ。と思いながら、危険な香りのする二種類をまず食ってみましたが、それほどの冒険をしているわけでもないですね。