と、23歳の誕生祝にと考えていたら、霙が自ら購入してしまいました。
娘よ、そりゃあ「いま」だよ。若いうちにしか無茶はできないよ。と、思ったけど、幌エスクの存亡にかかわるので、そんなことは絶対に口に出してはならないのです。
ミニカーのついで話ですが、「つくばーどin写真展01」をアップロードしました。なんかしばらくぶりのページ作成だったせいか、ページサイズめちゃくちゃ。
と、23歳の誕生祝にと考えていたら、霙が自ら購入してしまいました。
娘よ、そりゃあ「いま」だよ。若いうちにしか無茶はできないよ。と、思ったけど、幌エスクの存亡にかかわるので、そんなことは絶対に口に出してはならないのです。
ミニカーのついで話ですが、「つくばーどin写真展01」をアップロードしました。なんかしばらくぶりのページ作成だったせいか、ページサイズめちゃくちゃ。
中秋の名月が10月というのもずれた感じがしないでもないし、今夜の月がまだ月齢にして十三。だから明日の満月は十五夜とも言いきれないじゃないのよ?
などとぼやきながら、テイクアウトで受け取った袋から月見バーガーを取り出したら、なんだかその月齢に合わせたように部分潰れで、まんまるじゃなくなってました。
暦を遡ったら、2017年も10月4日がその日で、満月はさらにずれて6日でした。中秋すなわち「7月から9月にかけての秋の真ん中」を旧暦の8月15日と定めていることや、新月から満月まで平均約14.8日という日数と、楕円軌道で動いている月の位置から、満月の日が後ろにずれる傾向があり、こういうことがしばしば起こるそうです。次に10月に中秋の名月が巡ってくるのは2025年と2028年になります。見上げる月も月見バーガーの味も、そんなに変わるものじゃないですけどね。
かつて僕よりも早く、エスクードを50万キロ台に乗せたitoさんから「終活を始める」という電話をいただき、ぎょっとしてどこか具合でも悪くされたのかと聞いたら、
「今までやってきた仕事の記録を体系化してまとめるくらいのものだよ」と、早とちりするなと言われてしまいました。itoさんは街づくりコンサルタントの仕事を長年つとめてきました。
アフターコロナの時代、高齢化の進む時代、これから街づくりはどうあるべきで、地域の交流には何が求められるのかを、ご自身の経験値と有志の意見を基に考える懇談会が、実際の立ち上げでした。だから終活的な雰囲気は全くありませんが、「長年の仕事は仕事として完結しているけど、自分と土浦や霞ケ浦とのかかわりでは、やりっぱなしなんだよ。それを何かにまとめたいの」という趣旨だそうです。
この8月、共通の知人である建築史の学者さんが亡くなり、そのことをきっかけに、自分の足跡を残して若手につないでおこうという思いが立ったのだそうですが、itoさんそんなに年老いているわけではなく、でも、こんなに早くからそういう行動を開始するのかと、やっぱり驚かされました。
もともと思い切りの速い人ということもあります。エスクードにしてもわずかの変調で迷わず修理入庫させてきたし、その変調が「これは手間がかかるな」と判断したところで63万キロで退役させたあたりも、迷いがなかったようです。
全国を駆け回っていたitoさんは、郷土(ご実家は岩手県)の茨城においても、街づくりや道路、霞ケ浦の環境など手広いコンサルティングを行ってきましたが、今後は悠々自適なライフスタイルに移行していくのでしょう。
遺せるものがあるのって、いいなあと思ったね。
とうとう動いちゃったようです。
言ってしまえばでっかい機械仕掛けの黒子が操作する人形のようなそれで、全く面白くもなんともないんですが、この大きさでやってのけたことに意味があるのでしょう。
でもあれだね。以前潮風公園で組み上げられていった風景の方に臨場感を感じるのは、これが動いたらというイメージの共有で、今回のは動くことの気持ち悪さを感じるからなんでしょうかね。
だけど、何度でも言いたいことが、RX78はコアブロックシステムを介して78以外のモビルスーツに換装できるというのが大きな特徴。むしろそこが最大の開発コンセプトだったはずなのです。だから操縦席が1年戦争後の全方位型になってるのはアトラクションとしても許せんし、立ったまま操作するとなったらもうモビルスーツじゃなくてモビルファイターのトレーサーじゃんかよと。ましてや近場で見るのに観覧料が4950円て、考えた奴の価値観最低。
いつまで連休話を引っ張るんだというほど、書いてることが多くなったので、二日間にわたる昼飯晩飯の話はさすがにお蔵入りせざるを得なくなりました。土産の件で完結させます。
土産と言ってもあちこち近所に買っていくわけではなく、留守を任せた霰と霙にだけ。といって何買っていけばいいのよ? でも軽井沢の街・・・は混雑しすぎでとても寄り道する気になれず(しかし林道は行ったという)
二日目に小谷村へ向かうのだからそこから大町へ行くか糸魚川へ下るか。大町方面を選んでいれば、戸隠方面に追いかけてくれたおいたマンさんや、あっちから走っていたきうさんと遭遇できたかもしれないのですが、最終立ち寄り構想だった北斗市のブル&ベアが休業日だと判明していて、糸魚川のその後を確かめに行くルートにしてしまったのでした。そのうえ翡翠狭見物で林道高浪線に分け入ってますから、まあ追いかけてもらっても発見されるわけがない(そこかよ)
ここらへんで土産の思考連鎖がようやく固定され、ヒスイ細工かな? ヒスイのアクセサリで良いよな? と目標も決定。で、それってどこで売ってるの? 新たな思考のループで、糸魚川に至る沿道の「ヒスイ」看板を眺めるも、どこもかしこも庭石か床の間に飾っとけレベルの扱いですべて通過。こうなると、まさかヒスイ海岸で原石探すわけにもいかんし(後で通りかかったらすげー混雑していた)あてになるところ一つしか知らんわで、フォッサマグナミュージアムに頼るのでした。
昔なら霰なんか「岩石採取セット」くらいで喜んでたものですが、いくらなんでも今その選択肢はねーよなと、アクセサリを見せてもらって今度はデザインで腕組み。右手のナイフ型にかなり惹かれた。霙なんかこういうのが好みだろうし。
でもヒスイったら勾玉だよねえ。二人お揃いの方がけんかにならないよねえと、これ二つくださいと左手に決まるのですが、なんか無難にまとめてしまった感があります。
題して「もん泊」。民泊のアレンジと説明すればわかりやすいのですが、長屋門は家主の住む母屋と距離感があり、よりプライベートな宿泊滞在の安堵感を得られるので、と、NPОつくば建築研究会の人々が実現目指して取り組んでいます。
長屋門というのは関東地方で言えば江戸時代に生まれた「居住・収納空間を持つ門」のことで、使用人が住んでいたので「長屋」と呼ばれたらしいのですが、江戸期は藩の許可がないと建てられなかったそうです。
その長屋門が、江戸期から昭和あたりにかけての建築として、つくば市内には217軒もあるのだそうです。多くは許可制度の無くなった明治以降に建てられたもののようですが、そんなにあるなら許可をもらえたら開催一回につき10軒くらいを探し当てるBレイドの対象にしたいなあと思ったですよ。
研究会ではそのうちの一軒、江戸末期に建てられた長屋門を「もん泊プロジェクト」として宿泊機能を有する改修へと歩を進めていて、今月27日には何人かの長屋門所有者の集いも開くとか。11月にはシンポジウムも予定されているので、勉強を兼ねて首を突っ込んでいますが、世間が狭いというか、このNPОの理事の一人に、あの630000キロを走らせたTD51Wのitoさんがいらっしゃいましたよ。
しかし「もん泊」って、固定されたイメージがビジネスモデルを狭めるような気がします。僕だったら「門ぱく」だなあ。泊、博、拍、栢(ここではかえ、かやとは読まない)などいろいろんイメージに広げていけるから。
と言ってしまったら、「いやー、もん泊で商標とっちゃったんですよねえ」と。