っていうか・・・どけ!
いちがそこで頑張ると、永遠にご飯が出せませんが。
(蓋あけた猫缶、冷蔵庫に入れてるので・・・)
これで扉開けたら流石に降りるかなぁ。
「明日(19日)は絶対スキーに行くっ!」
と吠えてた新月サン。またしても起きて来ず(笑)
(まあ私も目覚まし止めて二度寝したけどさ・・・そこはお互い様)
出掛けないならとばかりに、遅めの朝ご飯食べた後とあるお願いをしましたよ。
「新月サンの部屋に出しっぱなしになってる、資料とか資料とか着ない服とか。纏めてどうにかしましょう!!」
ええ。何年前のかもわからない組合の総会の資料とか、研修ってどこかのメーカーに見学に行った時の資料とか。
ホコリ被って足の踏み場もございませんですよ。
纏めて束ねて掃除機でホコリ吸って。エンドレス・・・
そのうち「よし。雑誌も捨てるかっ!」と、毎月買ってくるゴルフの本を束ねはじめました。
その数・・・12冊x22年分+その他の雑誌で・・・
「よくため込んだね・・・」と言う感想しかないくらい積み重なってます。
さて。次の資源回収はいつだったかしら(これ全部集積所にアタシが持ってくのか・・・)
多少日時のずれはあるかもしれませんが、狼駄さんがTA01Rを手放したのが2001年のことで、それが日付から遡って2003年末にはTeam WESTWINのトライアルマシンとして生まれ変わり、この一台が呼び水となって何台かのエスクードが同チームから耐久レースやダートトライアルに繰り出され、2010年にTA51Wが走り出しました。そのデビューに至るきっかけは、ひとつの決意によるものですが、それを促したのもやはりエスクードでした。
約20年の歳月、二世代のドライバーたちによって積み重ねられてきた九州のダートトライアルでは、この10年近く、2台のエスクードが席巻してきたのですが、チームのスタンスとは関係なくレースマシン自体の高性能化やエンジンスワップが当たり前の時代となり、彼らのポリシーであった「エンジンはノーマルで」という理屈では、常勝の域にとどめられなくなりました。川添哲朗君はTA52Wを継続して走らせますが、後藤誠司君は、エスクードをスイッチする決意に至りました。
この流れはいつか来ると思っていましたが、正直言って10年近く戦ってくれたことは予想外だったのです。だから後藤君の決意を押さねばなりません。あの外連味たっぷりながら格好だけではない速さと強さを見せつけた銀色のエスクードは、しばらくの間、封印される方針です(2019年末時点)。後藤君が次に何をパイロットするかはなんとなく想像できますが、2020シーズンインまで伏せておくことにしましょう。いずれ明らかになると思うけど。
しかし島雄司監督のもとでは、いよいよ第三世代のドライバーが登場を待っています。梅津知浩君、先シーズン最終戦でお父さんが整備したというパジェロミニを走らせ、全開余って前転させたという怖いもの知らずで鮮烈のデビューを果たしました。ギャラリーに訪れていた塙郁夫さんは同乗して曰く「ブレーキングを徹底的に仕込んだら大化けする」というお墨付き(後藤君の時もそう言っていたねえ)の、その時点ではまだ17歳のルーキーです。
「彼をうちで預かり、まずは例のレジントップを卸して走らせてみるつもりです」と、島監督は構想を語ります。梅津君の走りはまだ無垢のままであり、後藤スタイルになるのか川添スタイルになるのか未知数ですが、このプロジェクトが実現すれば、はた目には「力の後藤」「技の川添」を引き継ぐVersion3に成長するかもしれません。うーん・・・こういうのをどれほどの人たちがわかってくれるかなんとも言えませんが、これはドラマです。