2007年以前の規格による一部のETC車載器が2022年12月までしか使えないばかりか、今後の政策の流れでは電波法違反の対象にまでなってしまうと。
我が家じゃ霰のオジロ以外は全車アウトですな。
道路管理者に言ってやるけどな、
俺の車が年間どんだけ有料道路の運営に貢献してると思ってやがるっ(怒)
⇡まあ知られているわけがない。
スズキUKでは2020年までにビターラのPHVモデルを投入すると。
そういうことが書いてある・・・と思う
そこに「華」を見出し認めるかどうかの世間の評価は今後の動向を見守るのみですが、時代の潮流を読むのであれば、クロスカントリー4WDの衣を脱ぎ捨てた四代目に必要だった競合性やブランド力のピースとして欠けていたものはそこかもしれません。いや実際、その対象としてビターラ/エスクードが選択されたことは歓迎すべきでしょう。
この背景論として、プラグインハイブリッドパワートレーンにかかわるコストが約10000ポンドと試算するUKの理屈があります。ざっくり150万円弱のコスト上乗せ?は、少なくともヨーロッパにおいてはS‐CROSSやビターラクラスでないと需要が無いということでしょう。まさかその額面を丸ごと上乗せしていくとは思えませんが、上級モデルならそれは可能です。
向こう10年間で、PHVの販売戦略を確固たるものにしていこうとするスズキの新たな戦略モデルとなるビターラ。これはかつてディーゼルモデルがありながらも国内投入してこなかった先代とは異なり、「エスクード」としても実現してきそうな予感があります。しかし波乱万丈だね、テンロクNAが廃止され、1.4ダーボが出たかと思うと、それが1.0ターボへのダウンサイズといううわさが流れているときにこれだもの・・・
16日、広島県で行われたダートレース・J‐ONEに、川添哲朗選手が参戦しました。夏初めの転倒、普通なら全損という状態から修復されたTA52Wは、まだいろいろと不具合を抱えていますが、一番のトラブルは「四駆への切り替えができない」。これが今回も現地で発生し、島雄司監督とHANGARSPORTSの高田浩三社長は「もう腹をくくってデフ玉割るぞ」と、十分な工具も無しで作業に入ります。
「どうも転倒の際にデフへの電気信号を送るどこかが破損したまま」
という診断から応急処置が続き、走り出せる段階になったのが本線出走5分前。ぶっつけ本番で臨まねばならなくなりましたが、走れないよりはずっとマシと、川添選手はエスクードに乗り込みます。
島監督からの第一報がそういう内容でしたから、無茶なことになったなあと思っていたら、第二報は「BEST4に残っていますよ」。その後の結果連絡は「本人はしょげてますが、準優勝でした」
フレーム修正までやらねばならないほど車体全体がひしゃげていたエスクードでしたから、直す側の意地も相当なものだし、それを受けて表彰台に乗せてくるドライバーの技量と執念はすさまじいと思わされます。ついでに言えば、川添君のエスクードもまた、エンジンはノーマル仕様なのです。
「広島に出かける前にうちの工場でデフの分解整備をしてわかったんですが、後藤君のTA51Wとはデフの構造が細部で違うんですね。技術的に進化している。だけど顧客もディーラーもそんなこと知らずに二代目エスクードの時代を過ごしていたと思うと、二代目は逸材であったことを評価されなかったのが悔やまれます」
島監督は、準優勝を高く評価しています。んー、日頃「褒めませんけど」というのが口癖の人なのですが、最近ちょっと変わってきています。
オフラインミーティングそのものが初めてという人もいらっしゃり、こんな軽くて簡単な設営で良かったのかなあとも思うのですが、会場を提供してくれたチーズケーキ工房摩庭ファームの摩庭オーナーをはじめスタッフの皆さんは、一度に大量のオーダーを受けながらもてきぱきと対応してくださいました。
初参加者も沢山、初の兄弟それぞれ同型エスクード、初の女性で三代目ユーザーなど、初づくしです。あっ、BLUEらすかるまでもが「修理明け初のミーティング」だったよ。ということは、つくばーどの悪魔のジンクス、初物が出ると雨が降る。が発動してしまうのではないか?と懸念があったので、事前にみぞれにウルトラハイパーてるてる結界を作っておいてもらいまして、雨は回避できました。
というわけで、当日の模様はこちら
撤収後、みしゃこうしさんのご協力で第11回買い出しトライアルも開催しましたが、その概略はこちら
那須町界隈は、角を曲がればエスクードが居るようなところでしたが、もちろんそれは昔話。そしてエスクードのコミュニティにかかわってきた人々にとっても、ある意味・・・この言葉は僕は嫌いですが「聖地」のようなところです。
clubESという雑誌媒体主催の企画で初めてエスクードミーティングが開かれたのは、那須町のキャンプ場でしたし、ちょっと那須からは離れますが国内ダートトライアル選手権で二代目エスクードをモデファイした田嶋伸博さんが、セリカもポルシェも打ち負かしていたのが近郊と言えば近郊でした。
つくばーどの場合は、そういう華やかなところではなく、よりユーザー同士のファーストコンタクトで縁のある土地です。ある友人が真冬の雪道情報を送ってくれて、独りそこへ出かけて行く途中に偶然エスクードの置いてあるログハウスを見つけ、スノードライブからの帰路に立ち寄ってみれば店を出して間もないチーズケーキ工房。軒先のエスクードはもうじき廃車されるところで、そのとき僕にはエンジンが焼き付き窮地に陥った友人からの救援が入っていました。
そのことを、初めて訪れた店舗で相談を持ち掛ける方も図々しかったと言われそうですが、オーナーからは車両丸ごと提供してくださるとの提案をいただきました。問題は、初代同士とはいえ双方のエスクードの「型」が異なり、配線・ハーネス、ECUも異なる点。しかしそれについても、近傍のもう一人のエスクードOBが、自ら引いた配線図ごとノウハウを譲ってくれたのです。
ただし入庫したディーラーからはそれらの作戦をすべて拒絶され、実現せずに友人のエスクードは修復されました。が、そのエスクードがこの工房にやって来るまで、退役したエスクードの方は廃車を待っていてくれました。摩庭ファームは今では開店と同時にお客が列をなし、時には様々な車のミーティング風景も見られますが、エスクードというキーワードにおいては特別な絆を秘めたお店なのです。
状況をご存じない方には何のことかお分かりにならないと思いますが、1週間のうちに二度もぶつけられる、笑い事じゃないけど失笑するしかない8月でした。
ようやっと修理が完了したのですが、左後方側面をぶつけられたパネルにあったマーキングが無くなってしまいました。そこをどうするかは懸案として、とりあえず復帰。
一見ダメージは少なそうなんですが、ドアが開かないくせに「半ドア」警告でルームランプが消えないとか、アルミホイールはガリガリに削られセンターキャップは粉砕する(なんでそんなところに当る?)とか、タイヤのトーがずれちゃうとか。
しかし実際には、最初の追突時で破損したリアバンパーの取り付け部の修復に時間がかかりました。バンパー自体も細かくチェックしたら割れておりました。結果的にバンパーは交換しないといかんということで、部品の取り寄せでまた時間を要したと・・・ そんなわけで現在、左側面はすっぴん。主治医の手配でとある自動車メーカーの関連会社がマーキングを切り出してくれたのですが、「フォントが違いすぎてボツにしました」と主治医。別のところで再生中です。
先日、ツイッターの海からこんなつぶやきを見つけました。大分前のものですがこれはひょっとして、先代のことかBLUEらすかるのことでしょうかねえ。
おかげさまでまだ走れています。が、ごめんなさい、100万キロというのは、運転手がそれまで持たないでしょうねえ。