サツキの刈り込み、土曜日に済ませました。
あまり伸びていなかったようで、ゴミ袋1枚で足りちゃった。
下に落ちた葉をよせるのに竹ぼうき使ったら、折れた・・・
私が怪力なワケじゃなくてよ(汗)
古くて朽ちてたのよっ!
生まれてこのかた、母親のサニー二代以外はエスクードにしか乗せられてこなかったうえ、記憶に残るような乗せられ方、つまり遠出や旅行はすべてエスクードという育てられ方をすると、やはりどこかに車高の高い角ばった形こそが自動車のスタンダードだと刷り込まれてしまうのです。
これは親を選べない子供にとっては幸せなことではないのかもしれません。
霙の場合、それともうひとつ、
これはよくわかりませんが、たぶん古い世代のクルマの見え方なのだろうと解釈すると、合点がいくでしょう。
そんな視点から、今はエスクードを運転してくれていても、親離れの感覚や感情が現れているということは歓迎すべきことです。だから、乗りたい車の目標もぶれていないみたいです。
そんな雌伏のような道を見せつけられると、親としてはどうにかしてやりたいけれど、どうすりゃいいんだろうねえ。幌車の処遇が葛藤の種になりそうです。
後藤選手のエスクードはメカトラブルではなく、燃調とのマッチングの問題のようで、ロムチューンの結果きわめてピーキーなセッティングになったことから、パワーバンドの下側から外れると吹けなくなる。という現象が音になって表れているようです。テスト走行で上まで回している音を聞くと、惚れ惚れするサウンドです。
天井知らずというわけには行きませんが、ノーマルのままのJ20Aながら、10000回転は楽に回っているでしょう。島監督曰く
「これ、今なら日本一速いエスクードになりましたよ。その分、下はスカスカです」
試走から戻ってきた川添君に聞くと、
「ロアは3000までですね。それ以下だと話になりません」
面白いのは、やはり後藤君と川添君とではこのエンジンの乗りこなし方が両極です。後藤君はとにか上まで回してパワーバンドを維持する。川添君は下限ぎりぎりまで落としながらもパワーバンドを外さない。
「もうさー、島さん。ドライバーをニコイチしちゃいたいよね」
と言ったら大爆笑でした。
さて本日はTDAなんですが天候が心配。対戦相手もどんどんエンジン載せ替えや過給器搭載のハイパワー攻勢。雨降りだとそれらの戦闘力が絞られるので、ドラテクがモノを言レースになる。
「僕はドライで戦って勝ちたいですよ」
とは川添君のプライド。しかし今回は彼のエスクードは軽量化対策に留まっています。どんな展開になるか楽しみです。
さて当日、天候は台風の通過にもかかわらず保ち続けての本戦。ギャラリーの誰もが二つの感想を口にしておりました。
「これほどガチンコの対決になるレースは今までなかった」
「ところで後藤君は今回から走り方を変えたのか?」
頂上決戦はハイパワー車が群雄割拠し、中でもFINALビースト社長のジムニー改はコース設定タイムの58秒を2秒縮めてくるうえ、最終コーナーから一つ手前の最もテクニカルなコーナーを瞬時に攻略してしまいます。
後藤選手はその様子を見て、本線直前にタイヤをジムニーとおなじマッドに変更。しかしこれが裏目に出ます。もともと後藤選手のゼロカウンターアタックに特化させたエンジンのハイパワー化は、オールテレーンタイヤとのマッチングも考えてのこと。マッドタイヤではわずかにトラクションがかかるようになり、クルマを振り回す際にタイムが落ちるのです。
一方の川添選手は、意外にもメンタリティーにプレッシャーをかけられたようで、背後から迫ってくるジムニー改のカムに乗った爆音に押され、例のコーナーの攻めどころで2速に落とす際シフトミス。最終ラウンドの結果は2位にとどまりました。
「ビーストの社長は私と同い年という経験値を持っているし、四六時中コースを走り込める環境にいますが、それは言い訳でしかない。30代半ばの彼らもまだ手玉に取られてしまうんですねえ」
島監督は苦笑いするばかりですが、後藤、川添両名の動態視力やドライブセンスが錆びているわけではなく、ハイパワー車ゆえに前走していてスピンする場面もあり、彼らはこれを咄嗟に回避する。この咄嗟の回避というのはただ事ではなく「前走車の前に出たら失格」というルールの中で、鼻先三寸のコントロールを繰り出すのです。
これでだいたいのところは読めるのですが、タイヤの選択、2速に入らなかった瞬間という場面こそが今回の敗因でしょう。実際に川添選手は内装をはがした程度の軽量化しかしておらず、その車両で2位に食い込んでいる。それを上回るのはジムニー改のパワーではなく、相手の駆け引きの卓越さです。後藤選手に至っては前日仕上がった車両を無理に、しかも単にタイヤを変えたがためのコントロール性能を落とす結末。もっと自身のバックヤードを信頼すべきでした。
と、加筆をしたらば島監督から連絡が・・・
「いまさっき点検した後藤君のエスクード、パワーステアリングが途中で故障してたらしく、油圧出なくなってました」
あー・・・ そりゃ振り回せないかー。
ベースはマーチです。エンジンは1600!
年式だってまだ10年程度遡るだけ。50000キロしか走ってない。
要するにどれをとってもフィガロのそれを高いレベルで満たしている。
日頃使っているエスクードコンバーチブルよりも、運動性が良く、しかも想像以上に小回りも利く。ついでに言えば相場がフィガロの半額。
バッサリと切りつけられました。優しい口調でも怒ってます。
なんかさー、それ喜んでいいのか泣くべきなのかって評価だよなあ。と、わざわざc+cを持ってきてくれた義弟の計らいは打ち砕かれたのであります。
エスクードとは昔のスペインとスペイン語圏の中南米諸国とポルトガルで使用されていた通貨単位です。
古スペイン金貨のイメージとそうした時代のロマンや冒険心をイメージして名付けられました。
というメーカー公式ツイッターの解説は、車名の由来において間違ってはいませんが、「通貨単位です」と言い切ってしまうのはいささか乱暴。ましてやこの三行目の記述はもう強引な繋げ方したもんだよと、デビュー当時から感じています。
言葉の由来をもう少し紐解くと、エスクード(ESCUDO)が「楯」あるいは「盾」を意味するスペイン語圏の言葉だということがわかります。そこから通貨単位に流れていくのには、中世ヨーロッパ以前から楯に描かれた紋章との繋がりがあるのではないかと思います。この紋章をエスカッシャンと呼ぶのですがそっちまで紐解き始めると長くなるのでそれは別の機会に譲ります。
要するに、エスクードという単語には、通貨単位と古スペイン金貨以上の深みがあるということです。
そこで、どうせ強引にこじつけるなら、楯があるなら「剣」もあるだろうよ。という着眼なのですが、こちらはスペイン語で表すとエスパーダ(ESPADA)。その昔、といっても50年前から40年前にかけて、その名を冠した自動車を、ランボルギーニが作っておりました。
V12気筒4000ccという「いかにも」な、しかし4シーターのグランツーリスモでした。この車のデザインは、マルチェロ・ガンディーニによるものです。
お、っとガンディーニが出てくるわけです(作為的展開)。30周年記念企画webに掲載した「エスクード誕生物語」に記されている通り、ガンディーニはカーデザイナー羨望の的ともいうべき巨匠。でもワゴンRにも乗っているという、割とスズキとはビジネスライクなばかりか、市販はされませんでしたがエスクードのレジントップのキャノピー(プロトタイプ)を手がけました。
奇しくもエスクードはエスパーダが生産中止された10年後に誕生するうえ、エスパーダ自体が日本国内でどれほど現存しているかもわかりませんので、まあそれ以前に「剣と楯」なんて発想で取り扱おうなんて車雑誌もなかったのよ。
カタオカデザインのエスクードとガンディーニ作のエスパーダ。そのシルエットは対極であり、それぞれその名をよく表しているように感じられます。
2199だけ情にほだされたけど、そこで再凍結し訣別しといてよかったわというビジュアルです。もっとも、2202は頑なに観ておりませんから批判などできる立場ではないのですが、これ(第六章)はすごいわ。宇宙戦艦ヤマトがなぜ戦艦大和の形を模しているのか(つまり2199では海底に沈んだ旧戦艦を改修したわけではないから)の説明を端的に示す、ヤマト級の設定! やりたい放題に進んでいくこと請け合いな展開じゃないですか。ぼちぼち「駄作の香り」「嫌な予感が」の声も聞こえていますが、第五章まで観ちゃった人を慰めるなら「これらすべて予定調和ですよ」と。だって「さらば宇宙戦艦ヤマト」以降の復活編まで、やる度やるたび不特定多数の怒りを買ってきたじゃないですか。それさえも忠実に受け継いでいるってことですよ、きっと。しかもですよ、二番艦の存在は、遠い将来、第十七代宇宙戦艦ヤマト「の次」にまで繋げられるかもしれませんよ。ヤマトはあと五十年は戦える!