会社に配達先を指定してあったNYAMAZONの荷物。
朝から「配達中」で19時近くまで待っていたけど来なくて。
諦めて帰宅した2時間半後。
〝配達完了〟の文字
会社の裏口横の窓の格子に押し込められた写真。
裏口と言っても通りに面しているので
通りすがりに盗られてもおかしくない場所で・・・
慌てて取りに行きましたよ(泣)良かった、無事あって。
マツダにОEМ供給されていた「プロシード・レバンテ」が誕生30年となりました。この派生モデルについては10年前に書くだけ書いてしまったのでそちら(上のリンク)を見ていただければありがたいのですが、どうも10年前のこの頃はSX4‐SCROSSが発売されていたらしく、そっちについてはほぼ記憶から抜けています。今年はXー90、三代目エスクード、四代目エスクードとモデル周年が続いていきます。レバンテもその1台に数えられます。
レバンテは1995年から2001年まで、初代と二代目にわたって販売されましたが、この当時は車体の意匠に手を加えるほどのことはせず、ネームプレートやエンブレムが変更されるにとどまっていました(大掛かりなことをできる体力は、無かったというより無駄と解釈されたのかも)。だから中身もエスクードそのままの性能で、珍しさは感じられず見過ごしてしまうモデルなれど、市場ではそこそこの販売台数ではなかったかと、巷で見かける個体数の多さから想像していました。
今振り返ると、10年前のブログに書いたように、「プロシード」「レバンテ」の秀逸なネーミングセンスが、さすがマツダだねえと思わせます。
「スーパーマーケットまでは走れたんだけど、買い物終わって帰ろうとしたらエンジンがかからないっ」
雫さんから救援要請電話がかかってきて、帰宅途中の僕は現地に急行。セルは回るけれど始動しない。エンジン警告灯は点灯しているけれどバッテリー警告灯は光っていない。念のためにブースターをつないでエンジンを蹴飛ばし再始動させて主治医のところへ持って行きました。
「これってひょっとしてバッテリーあがりじゃなくて、クランク角センサーか何かの故障でしょうか?」
「おそらくそれだと思います。アクセル踏んでも加速が悪いとかありました?」
「ありましたありました。何かすねてるなーって・・・」
見当どおりでクランク角センサーが壊れていましたが、さらにクーラント漏れが起きていてラジエターコアがもう寿命だとの診断。さて日産車の部品は潤沢に出るのか? だめだったら・・・水戸にいい感じに蓮田さんの向こうを張れる四駆の白い初代ハスラーが出ていたり、古河ではいまどきそんな上質のと言える濃緑色の二駆の初代ハスラーか出ていたり・・・したのですが、部品が出たので修理依頼となりました。そのほうが最安値だったよちくしょー(笑)
さすがの最強寒波に阻まれ、乾燥しきって雨も少なかったことも重なり、例年より少し遅れましたが17日夕、開花しているのを確認しました。状態から見て16日に咲いたのではないかと思われます。といっても天狗の森一番桜は大島とか緋寒の類なので油断できません。これに釣られて「花見設営っ」などとやってきたから、つくばーど®の花見は毎回、耐寒我慢大会になってしまうのです。案の定本日から再び強烈寒波第二陣が居座るらしいです。
だからといって花見をやらない天狗の森なんてつまらんのよ。
後日お知らせを出します。3月20日の春分の日を目途に準備します。その週末には市と観光協会の桜祭りイベントがあるようなので、混雑を避けます。でもおおむね一か月の時間がありますから、ソメイヨシノもちゃんと咲いているはずです。
それでも寒いかもしれないけどね。
先月のことですが、今まで一度も右折したことの無いとあるT字路をこの日何故か右へ行ってしまったのです。すると案の定、集落に行きつくまでは1.5車線あった舗装道路がぎり1車線になり、あーこれは山の神遭遇コースだなあと思っていたら、やっぱり集落の奥つ城で森が口を開けていました。好奇心に負けてちょっと入り込んでみたのですが、案の定そこはかとない危険な雰囲気に圧をかけられ、さらに山の奥へ続いている林業としても廃道化した地点で引き返しております。
うちの裏山では感じない、いやーな圧力。そういうこともあるよねーと引き返す途中、砂防ダムの手前にある沢筋の橋に乗り入れたら、橋に堆積した泥や枯葉で後輪がずるずると滑り始め、あやうくガードレールに接触するところでした。無論ここでトランスファを切り替え前輪のトラクションで何事もなくその場を脱したのですが、これはもう罰が当たったかのようです。
実に久しぶりの不気味な体験でした。林道や峠は越えられてなんぼですが、こんな状況に踏み入れてしまったときは、勇気をもって撤退するが吉です。
スーパー戦隊シリーズなんて言葉は後から造られたもので、今で言う「秘密戦隊ゴレンジャー」や「ジャッカー電撃隊」は当初、その括りにすら入れられなかったのですが、紆余曲折しながらシリーズ一本化したおかげで本年(4月5日)が50周年。あきれるほどに凄いものです。「ウルトラ」「ライダー」も持続はしていますが中断休止の時期もあった。スーパー戦隊は半世紀にわたって絶え間なく繰り出されている、ただ一つの特撮ヒーロー番組なのです。
そのただ一つの系譜を引き継ぐ50番目の戦隊が、本日放送開始となる「ナンバーワン戦隊ゴジュウジャー」。50年目で50番目ですが実は番組として見ると49作目。ゴレンジャーが2年に及ぶ長丁場だったからです。ところが「ルパンレンジャーvsパトレンジャー」という二大戦隊を途中にちりばめていることで、うまいこと50番目を襲名でき、2026年の新戦隊には「50作目」の冠も与えられるおいしい年まわりになっています。しかし子供の憧れ番組にそういう商魂ちらつかせちゃいかんわ。
ルーフエンドスポイラーに続きスペアタイヤと剣先スコップ、ルーフレール、フロントガードと補助灯、エアロバグガードなどを組みつけました。ここで大失態をやっています。各パーツを接着する際、定位置に一発で置くことができない。ピンセットや爪楊枝を使ったのですがそっちに癒着してしまい、せっかく仕上がった塗装面に接着剤があちこち付着して、化学反応を起こしてしまいました。マクロ撮影すると肉眼ではわからない塗装の粗さも散見されます。まあひどい出来栄えです。
こんな仕上がりではこれ以上連載を引っ張れねーぞと、今回で作例のお話は完結するのですが、実はTA51W(と思われます)であればその昔、1/18くらいのサイズでプルバックゼンマイ仕掛けを仕込んだ玩具がありました。これの元の成形色がマイアミブルーメタリックⅡに限りなく近いスカイブルーでした。当時TA11Wに乗っていたから、そっちに塗り替えてしまったんですよねえ。ことさら後悔するものでもないのですが、自分の所有車のミニチェアはやはり欲しいということです。
1/43というスケールでTD11Wがリリースされたことは初代ユーザーにとっては慶事でした。もっとも僕はTD01Wと61Wしか所有していないので、51系車体のミニカーを切望しているのです。それはおそらく「今後も無い」でしょうから自作をやってみたくなったけれど、結果的には下手くそな腕前であることの確認作業となりました。これにて「『ほぼ』週刊エスクードを作る」の連載はお開きです。お見苦しい企画ですみません。おあとがよろしければ何よりです。