先週、エンジン屋さんで拝見したH25A。コア部分ってこんなにコンパクトです。預けて遂に半年過ぎました。車検切れまで1か月を切ってます(笑)
「車検切れしても戻ってこなかったら、社長持ちで取り直しだぜ」
などと主治医をからかっているのですが、どこのクルマも古いものの部品ストックを止められて調達困難なのです。
大方のコンセプト(ストロングハイブリッド)は「五代目エスクード」について想像していた通りでしたが、「S‐CROSS」でやってくるとは思いませんでした。「ビターラ」そのものは欧州マーケット用に残され、新しい駆動用モーターとオートギヤシフトの組み合わせをまずそちらに載せる。この経過をフィードバックしながら「S‐CROSS」にも後付けする。両者はもともと近しい作りで、ALLGRIPにのみオフロード寄りのプログラムを与えられたのが「ビターラ」でした。
この差異が無くなるとすると、「ビターラ」のポジションが中途半端になりそう。ただでさえエンジンが同じなだけで「スイフトスポーツのCross」などと揶揄されているわけですから、そのスイフトスポーツにグラベル仕様が出てきたら、「ビターラ」の行き場が失われるシナリオだって書けるかもしれません。よりクロスカントリー仕様へと回帰しようとしても、ジムニーシリーズに阻まれるし。
そういった「隙間」が、今のスズキのラインナップには無くなってきた気がします。もういっそのこと、ばかみたいに異口同音なハッチバックなんかやめちゃった方が潔い(また言ってますが)。「S‐CROSS」には万人受けしそうな堂々さが漂うだけに、「ビターラ」に対する舵取りがどうなるのか心配です。
だけど、この良くまとまった姿かたち、他所のメーカーのエンブレム付けますよと言わんばかりだなあ。
TDA2021年シーズンのファイナルが14日に開かれました。総合優勝は川添哲朗選手。2年の空白を奪還するアンフィニチャンピオンです。
「もうあちこち壊しましたから、壊れるところ無くなってますけど、周囲のマシンが性能アップしていて大変です」
と、川添君は今シーズンを振り返ります。
リミテッドクラスの梅津知浩選手は、燃料ポンプとエアフロメーターの不調でパワーが上がらず苦戦。しかし表彰台の壁は高かったようです。
「僕は3位には食い込むつもりだったんですよ。不調は不調でも行けると思った。甘くないですねー」
「おまえなーっ、レースに出場して表彰台じゃなくて『彼女』(しかも年上)獲得って100年早いんだよーっ」←周囲の罵声(しまったよ。今号のスーパースージーで彼を取り上げちまったよ)
今シーズン、コロナ禍の影響もありましたが、出場台数、ギャラリーともに増えており、新たなスポンサーも付くなど、TDA自体が地域のイベントとして成長してきたことがうかがえます。
「今シーズンから映像公開を始めたんですが、YouTube効果ってすごいですね。私が全く知らない人たちが『ウエストウインの島さんだ!』『動画見てます』と集まってきてくれるんです。糸島みるくプラント様からも大量の『伊都物語ヨーグルト』の提供をいただき・・・これけっこう高いんですよ。レース以外のフェスティバル的な要素が膨らみ、ギャラリーも楽しんでいただけたようです」
島雄司監督は主催者の一人としてレースを走った人々、来場者、裏方に徹してくれた方々への感謝を、来シーズンの盛り立てで返そうと話しています。しかしウエストウインは28日に福井県にスペシャルチームで耐久レース遠征、12月にもひと試合と、休む間もないようで、
「なんかねー、私、会社に仕事に来ているのかマシンづくりとプロモーションに来ているのかわからんですよ」(島監督)
ということだそうです。
28万キロを刻んでから約3ヶ月かかりました。10日未明(みめいって・・・)、堀切ジャンクションを越えたあたりで「これは・・・向島で降りないとメーターの写真が撮れない」などと慌てまして、首都高を降りた後、どうにかこうにか29万キロの距離を記録できました。
どこでこれが撮れたかというと・・・
はい、本来駐車禁止なんですが、なんせこんな時間帯だから「60秒だけ勘弁して下さい」ということで。
それでも観光なんだか呑んだ帰りなんだかわかりませんが、午前3時で人がいるのか雷門前。
「ハンガリーの工場のラインを遊ばせておけないとか何とかで、マイナーチェンジさせつつ四代目が増産されているらしく・・・」
9月末で販売終了しているエスクードは、事実カタログ落ちしてメーカーサイトでも閲覧ができなくなりました。が、駆け込み需要も手伝ってのことか、わずかな増産が行われたといううわさもある中、マイナーチェンジって? 双方のうわさはニコイチしてひとつの情報なのかもしれませんが、判然としません。
なぜなら、カタログ落ちしているにもかかわらず、誰もが五代目の登場を信じており、これが48ボルト仕様の発電機を搭載した欧州対応型になることが想像されています。するとまたなんで、販売終了させたり増産したりの噂が流布されるのか。噂でなく流れであるとしたら、欧州で売り続けているのに何もカタログ落ちさせてブランドを絶やさなくたっていいじゃないかと思ってしまうのでした。
で、判然としないところへ輪をかけるこの記事の見出しの紛らわしいこと。まるでどこかのスポーツ新聞だ。
だいたいですね、二代目に特筆すべきことが無いとはどういうことか。リタイアしまくった初代に対して、エンジンこそ別物に載せ替えたけれど、ダカールラリーを完走したのは二代目ですよ(初代も完走したっけか?)。ウエストウインのダートトライアル用常勝エスクードは今やTA52Wですよ。あれなんかエンジンノーマルですよ。その市販タイプの助手席を初代と乗り比べて見なさいよ。
ジムニーがジムニーっぽくモデルチェンジしたことと、五代目エスクードがジムニーのように初代に回帰することとは、願望としてなら見過ごせるとしても、そんなコンセプト被りで食いつぶしあったらどうすんのよ。というより、エスクードが初代回帰したとしても、シエラのロングを上回れる中身がなかったら食われちゃいますよ。
ジムニーの兄貴分どころか、シエラの存在によって、四代目はすでに排気量で下回っているわけだし。
ここから先は戯言ですが、シエラのロングモデルって、期待するほどに室内が広くなるのだろうかという疑問。特に横方向って、骨格がシエラのままだと1300mmで、1310mmあった初代の2000シリーズくらいだから、決して広くはない。四代目エスクードが1480mmで、三代目からダウンサイズしながらもなかなかゆとりがあります。「シエラのロング」という枠があるだろうから許容範囲になるでしょうが、せめて二代目エスクードの1335mmくらいは欲しいところです。ハスラーがそれくらいあるはずなので、できなくはないですね。
「1990年代の国産SUV」人気ランキング(2021年版)とやらがネットユーザー投票で決定し、スズキエスクードがなかなかの善戦で第6位(同率2位があるから正しくは7位か)。ジムニーよりも上位に収まったのもちょっと新鮮です。90年代だから初代と二代目の時代ですが、引用になんで四代目を使ってくるのかという無慈悲無神経な仕打ちに呆れます。Amazonにはまだ初代のミニカー出てるじゃんよー。
と、ぼやきながらも、こちらも引用写真にグランドエスクードがいるので、ヒトのことは言えない。
それにしても、テラノとハイラックスサーフを同率2位とした場合、というかするべきなんだけれど9位のジムニーは10位カウントとなるわけですが、つまり90年代というのはSUVなんかじゃなくて、ベスト10に見るようにクロカン四駆の時代なんですよね。
ぷらすBLUEことエスクードコンバーチブルを手元に置いて、ちょうど15年になりました。そうなんですよ、これ買ったときはまだ「15年前だもん、どうってことないねー」だったんです。その前年に買ったBLUEらすかることV6‐2500なんか、さらに5年新しかったわけで、車両の状態はともかく、それらを選択することには何の躊躇も無かったのです。まあこの時点でエスクード一択人生ですから、傍から見れば、それおかしいだろう?かもしれませんが。
しかし「しまったかも?」と思わされたのは、フジ・オートの渡辺代表のところにコンバーチブルを披露に出かけたら、よりによって97年式の最終型が入荷していたのです。なにがしまったかもかって、最終型なのであちこちコストダウンはされているものの、走りながら四駆に切り替えられる。そこだけは負けてました。ついでに言えば、BLUEらすかると同じ車体色だし。この01Rはしばらくして、ヒッチメンバーを追加してどなたかの里子に出ていきました。
一足先に91年式買っちゃったし、こういう巡り合わせもあるのかなあと思いましたが、なんせぷらすBLUEは格安だったのです。渡辺代表には失礼ながら、あの最終型の乗り出し価格で3台は買えたという破格というより破綻した値段でした。残念ながら、どうせだから買い足してしまえという暴挙に出られなかったのは、その頃の我が家の車両体制が、家内の逆鱗に触れかかっていたということもあるのです。幌車納車日のこれ見りゃ誰でも「おバカだ」と思いますよね。
世に産み落とされた初代の姿は、その組織が作り出していた他のグロテスクな改造人間とは一線を画した、華奢ながら精悍ないで立ちでした。そこから追随された二代目は、初代を踏襲しながら各部の強化を図り、世にアピールしやすい姿となりましたが、コアなファンにとっては初代の鮮烈なイメージが強く、二代目を蹴落としていくのです。この二代目の地道な活躍によってブランドは継承され、双方のいいとこどりで、似て非なる三代目の登場を果たします。けれども時代の趨勢で、それらの性能は別の方向へとブラッシュアップされ、すっきりした四代目へと変貌しましたが、物語後半で姿を消しました(復帰するけど)。ということは、まだ見ぬ五代目にはさらなるデバイス頼りの設計思想が重ねられるような気がしてなりません。そこを乗り切れば、六代目で再びオフロード思考へと回帰するかもしれません。
スズキエスクードを四代にわたって乱雑に体系化すれば、それは70年代に既に予言されていたのです。1号と2号なんて、このあと再改造されるから姿は同じで中身(主にエンジン)が変わるし、ショッカーライダーテレビ版は偶然にも6人で後の「3号」を加えれば(4号は無視しますよ)グランドエスクードの乗車定員となります。三代目、四代目もマイナーチェンジは果たすのですが、基本的には歴代の変遷と仮面ライダーの変化は似たような路線を踏んでいます。
というわけで、来年登場と言われる五代目は、ある意味正念場のモデルなんですが、Xライダーくらい初代に回帰してくれないといやだなあと、大半の人が・・・思っちゃいないか(汗)。そのパターンで行くと、災害が多発したりみたびアウトドアライフが見直されたりで、手堅い進化のジムニーとは異なるオフロード趣向への脱皮が六代目で行われながらも、世界情勢がこれをあまり評価せずに次の代へと橋渡しされる。
しかしスズキにそれほどの短期間で古いものを捨てた新車開発ができるのか、2040年以降の人口減少と環境悪化の中で自動車が生き残れるのかがなんとも言えませんが(どうせその頃生きちゃいないよ俺)、Sマークを高らかに掲げた電気自動車の一ブランドとして成長してくれれば、七代目の可能性はゼロではありません。問題は八代目ですが、空を飛んじゃうので技術的にあり得ないことじゃないとはいえ、さすがに保留しときます。九代目や十代目となると80年代に入っているので(八代目はかろうじて七十年代に始まっています)、もはやこじつけるにも先のこと過ぎてイメージできませんが、そもそも仮面ライダーの変遷とエスクードの歴代から次期モデルを想像するような馬鹿者は他にはいないです、これだけは確かな話。
9月いっぱいでだったのか、スズキのサイトから四代目エスクードがカタログ落ちしました。
四代続いたブランドが消滅するのは初めてのことですが、6月時点で生産終了は示唆されていたので、来るべくして来た10月ということでしょう。同時に、欧州で定着しつつある発電力48ボルト版の市場に対応するモデルもまたささやかれていたエスクードですから、五代目が無い、というのも時期尚早かと感じています。
あらためて眺めてみると、コンセプト然りデザイン然り、よくも同じ名前のクルマでこれだけ変化したものだと思います。それを出したらアルトだってそうなんですけど、エスクードに関してこれを言い換えれば、けっこう贅沢をさせてもらったブランドだとも解釈できるでしょう。売れていないとか不人気だとか、言われているにもかかわらず、ですよ。
四代目は歴代で最も短命となりましたけど、そもそもハンガリーから持ってくる手間やコストのからみで年間販売台数を抑えていただけのことで、別にあれがダメここが劣る、ということはありませんでした。むしろ、どんどんハードルの上がる燃費基準や環境規制に対して、これほど適応を迫られ応じたモデルは四代目ならではの特徴です。
これを考えると、五代目はより時代に対応したメカニズムと、初代から二代目に移行した時のようなコンセプトをキープしつつもデザインが改められる方向性がありそうです。ただ、欧州車の流行に迎合するようなムードもありがちなところは心配です。それでは芸がないと言われるかもしれませんが、着流しのようなシンプルで潔いところが、初代などが今なお評価してもらえる魅力だと思いますから。