今年も無事に色付きはじめた枇杷の実。 鳥に突かれる前に採った方がいいのかな・・・ でももう少し色が濃くなってからよねぇ。
22日から23日へ日付が変わるころ、玄関先でなにやらごとごとと物音がするので金属バットを片手にドアを開けたわけですよ。
するとこんなことになっていました。この切り株は確か、何十年か前に今の家屋を建てる際仮住まいを曳家するのに邪魔だということで枇杷の木を切り倒したもので、その頃は親父が鉢植え台にして祖父の盆栽が置かれていましたがここ数年は玄関わきに置いてあるだけでした。
乙事主(もののけ姫の、ね)か妖怪かはともかく、これで40キロくらいあるんですが、奴ら鼻先だけで持ち上げて転がして、底の側からかじりまくって逃げやがりました。泥はついていないのでヌタ場扱いをしたのではなく、木の繊維質やら隠れ住んでいたであろう虫を食ったのでしょう。
犯人はすぐわかってましたが、これだけを見せられたらまるで妖怪の仕業です。しかし重いんだよ片づけさせられるこっちの身にもなってくれよ
我が家のエスクードのうち、BLUEらすかるΩを除く2台には馬蹄の内側に楯をあしらったエンブレムが付いています。これは僕の親父が自分と兄弟のために作ったもので、昔はそれぞれのクルマに張り付けられていました。親父の兄弟たちはこれの価値については頓着せず、彼らの分は乗り換えなどで失われてしまい、その都度親父は激怒していました。現存するのは2枚だけです。全くの偶然ですが、これはつまり我が家の紋章で「エスクード」なのです。
何度か解説してきましたが、エスクード=楯→家系の紋章という中世ヨーロッパの文化によれば、この楯にはそれを持つ者の家系や領地、階層をも表していたそうです。さすがにうちは領地とか階級には無縁の一族ですからその表現はありませんが、うちの家紋、苗字が彫り込まれ、本来なら領地と階層の部分は、親父と兄弟が昭和の走り屋であったことを示すチェッカーフラッグが描かれています。
このエンブレムは銅製で、彫り込みは高度経済成長期においてはスタンダードであった銅版印刷(凹版印刷)で使われた、点描した箇所を塩酸や硝酸で腐食させるエッチング技法で作られています。これも前世紀中には印刷技術が進化し失われた技術となったようです。親父は僕が免許を取得したときに、隠し持っていた予備を分けてくれました。無くしたらハラキリものだとかなんとか言いながらね。
僕がクルマの運転から退くときには、霰や霙かその子供たちに継承される予定ですが今のところ全く未定。しかし親父ときたら重大なデザインミスをやらかしており、外周に取り付けられた馬蹄が、実はこの配置だと「物や富を貯めておくことができない」逆さまの悪縁なのです。どうりでうちは下層階級のままなわけだよとも思いましたが、いまさらどうにもならない作りなのでそのままにしております。そんなことをぼやきながら、本日はスズキエスクード(初代)の誕生日。
小満の初候、「蚕起食桑」が巡ってきました。蚕が桑の葉をぱりぱりと食べ始めるという意味で、路傍のニガナがよく茂ると謳った中国の「苦菜秀」とは趣を異にする、日本独自の文化を表現しています。養蚕の起源も中国ですが、日本でも弥生時代にまで遡る産業技術です。今では作付け面積が大幅に減りましたけど、幼稚園や小学校への通学路が、桑畑の中を通る町道というくらい、近所では盛んな「お蚕様」でした。
島崎藤村や高田郁は、この蚕が桑の葉を食す音を「驟雨のよう」といった表現で綴っています。今の僕だと「驟雨ではなく甘雨じゃないかなあ」くらいのことは言えますが、子供のころの記憶だとまさしく蚕棚のある土蔵のなかで耳を澄ましていると、静かな雨の降るそれに似た響きがいつまでも伝わってきて、その薄暗い空間に「いる」途方もない数の蚕を想像して怖くなったものです。5月も下旬になり、いろいろなものの活力が満ちていくのも昔のままです。
療養中の妹の吹雪が外出できたらしく、「絵本もあったよー」というメールが着信し、真っ赤な三菱ウィリスの写真が送られてきました。
絵本になっている赤いCJ3といったら、渡辺茂男さんが物語を書いて、山本忠敬さんが絵を描いた「しょうぼうじどうしゃ じぷた」のことかとすぐに思い立ちましたが、きれいに化粧された実車があるのは知りませんでした。
筑西市のヒロサワシティにはこの手の珍しいメカニックがいろいろ展示されているのですが、行ったことがないのよ。僕の記憶にあるじぷたは、今の桜川市の消防署に現役で配備されていたジープでした(もちろんじぷたのモデルではない)。あの個体も90年代には1600のエスクードノマドに役目を譲り、そのノマドも自治体合併後は地元の消防団に払い下げられています。ヒロサワのじぷたは民間工場所有の消防車だったとか。じぷたのモデルは上尾市の消防署所属車両と聞いています。
ダブルライダーがお揃いのニューサイクロンで走るとか、ジェットビートルやマットアローが同型で2機編隊を組むとか、ガンキャノンがC108とC109なんて呼称される(203もいたけど)シーンに、得した気分になるのはまあ僕だけでしょう。そんな原典だからということはありませんが、同型同色のザブングル1号と2号なんかはもう「そうそう、そうなんだよそれやりたいんだよ」と膝を叩いたことは間違いないのです。
期間限定されていることはいまさら変えられないんですが、ことし12月半ばまで、うちのエスクード5ドアは同型同色の2台体制で運航しています。これの何がもどかしいかって、自分一人では一度に2台を動かせないことで、家族に手伝ってもらわないと並べることもできず、遠出もままならないのです。「贅沢言うんじゃない」と怒られてますが、この得した気分にいつまでも浸っていられないのは、物語には結末があるということなんでしょうね。
「だぶるの総攻(劇)」で昨年、来年? 黄道十二宮でも地獄の六地蔵でもなんでも来やがれです。などと毒づいてしまったために、ほんとにやって来てしまいました「願いをこめて☆星座ラスカル12星座 前編」。黄道十二宮のうち牡羊座から乙女座までの6種類です。間違っても黄金聖闘士ではありません。初戦は双子座と獅子座が出ましたが、この双子座、双子じゃねーじゃん(右側にいるのは嫁というか彼女というかのリリーだから別アライグマ)
そして霰の協力を得て第二回戦。おぉ、牡羊座をとらまえましたよ、これで前半の半分がそろいました。
が・・・
薫風かおる立夏です。この日を過ぎる頃には田植えもはかどり関東平野のあちこちで水田からの上昇気流に水分も乗っかっていくため、環七陸橋から臨む京王ビルに限らず、遠方の景色が霞んでいきます。が、風情の話に持っていくので、若葉や青葉の香りを運んでくる5月の季語であり、「春風高校校歌の歌う薫風」のこじつけはここまでです。校名は春風なんですが、校歌の歌詞はさりげなく立夏のイメージをちりばめています。この校歌、作詞はアニメーション監督の故・芦田豊雄さんなんですよ。
さても立夏。今年の場合、国立天文台による暦の計算では、太陽と地球の位置関係から本日の14:56~57に巡ってくるそうです。暦の上では初夏に移り変わると聞かされれば、暑いときは確かに暑さを感じますが盛夏の頃と違って過ごしやすい。鯉のぼりや節句行事とは縁が薄れているのでこの日に合わせて筍でも掘るかと、まだ旬で食えそうなやつを探しておりました。写真のやつはちょっと遅くてこれは生ではえぐみが強くて調理しないと食えません。これ以外の育ちすぎはすべて蹴倒しです。
とタイトルしていながら一枚目がソメイヨシノの桜吹雪(を、毎年撮っては失敗していて今年も出来がよくありません)。三寒四温や適度な雨天気で、大島からソメイヨシノの期間が割と長く楽しめましたが、暖かくなってきたら桜前線も一気に腰を上げて北に行ってしまい、裏山もどんどん新緑に移り変わり始めています。すでに里は短めな梨の花の季節が、菜の花とともに彩を添えています。つくばーど基地は杏子が終わってカイドウが見納め。椿の最盛期となりました。
町へ降りると八重桜がピークです。関山だか普賢象だか樹種はわかりませんが、溌溂としたピンクの密集。ふと思ったのですが、市内でこれだけの八重桜並木は他にないんじゃないか? 役所も観光協会も、早くも桜まつりからつつじ祭りのPRにいそしんでますし、花より栗で売り出してるところだから、人知れぬ並木道のままの方がかえって良いのかもしれません。ところで、暦において20日は二十四節気・春の候最後の「穀雨」も訪れています。夏が近いというより、田植えの時期ですね。
気分の問題というか、八重桜もいいけれど今自分になると菜の花に目が移っています。これも晩春を示す季語で、4月初めのころの春雨前線で降る雨は菜種梅雨とも呼ばれます。菜の花そのものは今ピークになっていますが、これを探すと今年は沿道で群生のように撮れるところがなかなかありませんでした。外房では時期を外してしまい、渡良瀬遊水地に行ってみれば堤防沿いは定番のように咲き乱れていますが、狙いたいアングルにはならないのです。
まーそんな風情の話なんか書いてますけど、世間の陽気は夏日というよりもうほとんど真夏日の体感温度ですよ。都内じゃ月曜日から「始めました」の看板見てましたが、「お昼ご飯どうしますー?」と雫さんに聞かれた瞬間、反射的に大盛で頼んじゃいましたよ。「ちょっとブログに載せるなら最初に言ってよ雑に盛り付けちゃったじゃない」だって。そうかよ二人っきりだと雑になるんかい。