Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

辰年だものな←多くは突っ込まぬこと

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うちの家内には「嵐田れいん」というハンドルネームがありますが、本人は段々このキラキラすれすれのネーミングが重くなっているそうです。

「娘らみたいな漢字の方がいいんだよねえ」

「『雨』と書いてあまちゃんとでも読むか?」

「ぶっとばすわよそんな短絡なの」

とかいう対話があったりなかったりで、ここにきて改名です。我が家のルールに従い、「空からやって来るもの」は踏襲しております(雫となると、空からとは限らない気もしますが)。ついでに言うと、SIZUKUはSUZUKIのアナグラムなんですがそれを言ったら本当に殴られるので「H」を入れてあります。

なにとぞごひいきに。

というわけで当日昼には夫婦水入らずで近所のイタリアンな寿司屋にて「多くは突っ込まないでねの」お祝いしたんですが、お店の大将のはからいでコース料理の締めくくりに出てくるデザートが、いつものパンナコッタに一品追加していただけていました。

イタリアンな寿司屋のランチコースは侮りがたい品数と美味しさで満腹感も充実して帰ってきたのですが、夕方になって娘らが「多くは突っ込んじゃダメなお祝いに行きますよ」と突然宣言し、一枚も二枚も上手の和食割烹に連れていかれ「少なめにおめでとうございます」などとやってもらえました。雫さん久々の生ビールで帰宅後は爆睡です。こちらのコースは少な目どころかヘビーメタル級で食いきれなかったらどうすんだの量とうまさでしたよ。

小正月には粥炊いて・・・

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我が家では実際には7日にお炊き上げしてしまいましたが、7日で松が取れ、そのあたりで正月飾りを片付けるのが江戸幕府による奨励だったとか。しかしそれやってるのは関東地方の一部くらいで、たいていの地方じゃ15日の小正月で松を取る風習です。昨年、自民党議員有志による決起で「1月15日を伝統祭りの保護目的とした国民の休日にしようぜ」という運動と決議があったようですが、さてそんなものの実現はどうなることやら。

小正月と言ったら枕草子の時代から、朝餉は小豆粥です。煙を被れば風邪をひかないと云われるどんど焼きと同様、邪気を払うとか健康でいられるといった縁起物の料理です。ヘルシーさでは7日に出される七草粥に及びませんが、そもそも小豆の赤と呪術信仰が結び付いてのルーツですし、ヘルシーだなんだという概念の無い時代の食べ物です。しかし、我が家じゃ「あれ」の処遇に困っていたことら、7日には凶悪にも七草粥ではなく汁粉が振舞われてしまいました。

理力の因果は返ってくるのだ

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焼肉で新年会するのだと、家族でてきとーに注文してこの額面。入力は家内です。

「見て見てこの引きの強さ!」

「何か他の有意義なことに使えないのかよ? その理力は!」

去年の夏に言われたことをそっくりそのまま言い返してやったぜ。

ただこの逸話には当然オチがありまして、前回は3人、今回4人です。追加注文してしまうのは自然の流れで、会計総額はさらに加算され半端な額となり、家内の理力などたいしたものではなかったという結果をもたらしました。

だぶるの楽劇

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ここまでの経過を説明しますと、全6種類のうち4種までが、だぶつきながらもそろってきました。残るのはレモン、ストロベリー・リリー。出てくる確率は絞られています。そしてそのレモンが来ました。

だからなんであと一種を邪魔しやがる!

 

挙句にですよ・・・

既にだぶってるやつらまでWでだぶってくるというこの悪循環から抜け出せません。

だがしかし! ・・・え?

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三たびだったか四度だったかもう忘れたようなものですが、スタミナまうんてん重に始まる読み違いがまたも出てしまいました。

視覚領域と脳内認知に異常が出ているのでしょうか。どうやったらこれを「だがしかし」と読んじゃえるんだよ俺・・・

2キロって・・・

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一体、これをどうしろというのか・・・

業務用汁粉2キロを「仮に」ですよ? 食い尽くしたら(絶対に命に危険が迫る)、体重は何キロ増量するんだろう。

三が日の朝

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1月1日から3日の朝は、元日は特にこれという番組を見ず、あとの2日間は箱根駅伝の中継を見ながら雑煮をすする正月の毎年です。始まっちゃいましたね2024年。先月あたりは「あっという間に年の瀬になったねえ」などと言ってましたが、新調されたばかりのカレンダーを見ると「先が長いなあ」としか思えないです。雑煮は作るものの、餅を搗く習慣は途絶えて久しい。臼に向かって杵を振り下ろしたのは20代の頃だもんなあ。

しかし今年は元旦から能登地震の発災でテレビ放送はすべてすっ飛び、あまつさえ大津波警報が発令されるに及んで正月気分ではいられなくなる年明け。今回は被災者ではありませんが2011年の3月に引き戻された感覚です。あの時も何もできなかったし、今度だって何の役にも立たない自分です。

能登には一昨年出かけて、輪島にせよ珠洲にせよ大なり小なりのご縁をいただいたり面白おかしく過ごしてきたばかり。それらの被災地をテレビ越しに傍観することしかできないのはもどかしいものです。石川や富山のエスクード乗りとは交流が絶えていますが、新潟のきうさん、ふっじいさん、おいたマンさん(失礼、掲示板で書き漏らしてました)、looplineさんなどとは連絡を取ることができ、杉野沢の空飛ブウサギからも無事の声を聞くことができました。

そうして居眠りをして2日の夕になったら、羽田で機体衝突炎上だと。旅客機の乗客乗務員すべて脱出できたというのは奇跡を呼び込む乗務員の避難誘導の賜でしたが、海保の機側に犠牲者が出てしまったことは痛恨事でした。本来なら新潟への災害支援物資を空輸するはずだったというのに。

忘れていなくても災害はやって来る。備えは無駄にならないけれど、防ぐことができない現実に「防災」って言葉はなんなんだろうとあらためて思わされます。

足元か竜が上がる

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十二支の干支の中で、竜は唯一、想像上の存在です。辰年は陽の気の脈動によって万物が振動し活力旺盛する、成長し形がととのう年とされています。超自然的とはいえ想像上の存在ごときにそんな効能があるのかよと思うのですが、身近で突然意外なことが起きたり、急に思いついて何かしらを始めることを「足元か竜が上がる」と言い、要は気持ちの持ちようなのかと半分納得するわけです。

竜の視点から見たらきっと「行き当たりばったりで暮らしてやがるくせにどうにかなってるだろうよ」などと言われそうなのがつくばーど®の在りようです。それでもいろいろなものが重くのしかかってきているのが現実。ここで足元に潜む超自然的想像の存在に頼るか、地に足をつけて前を向くかを決めなくてはならないのが人の辛いところです。

ぶつぶつ独り言ちていても2024年は始まってしまいましたから、今までどうにかなってきたならここからもどうにかなるんじゃないの? という能天気さを捨てることも無いのです。と・・・なんともいい加減な一年の計を立てることにしました。自分の力量を願みず強大なものに抗うとか、大それた計画や無謀なことをすることを「竜の髭を蟻が狙う」とも唱えますが、何も自分で自分を蟻呼ばわりしなくたっていいじゃないですか。

そのような気分で、遂に無謀で大それた計画の後半戦に挑んでまいります。

などと能天気なことをやっていた矢先、令和六年能登地震が発災し、極めて広範囲な津波と局所的大地震の被害が時間を追うごとに拡大しています。仙台での被災を思い返すと、それこそ自分には何一つできない無力さしか蘇ってきません。被災された地域の方々が少しでも平穏を取り戻せますようお祈り申し上げます。

Жаңы жылыңыздар менен

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仕事は無事に納まったですよ

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なんだか若いのが「すいません、年が明けたら片づけます」とか言っておりましたが、それでもなんとか今年の仕事納めは成立しました。僕なんかは宵越しの金すら持っていない大貧民ですけど、年越しの仕事も背負わずに済みまして、基地の大掃除と正月の準備も済ませました(大晦日に仕事納めのことなどなんとも収まり悪いブログなのは、28日にマイティジャックのことなんか書いちゃったからです)。実は祝祭日のひとつも無い12月、よく乗り切れました。

「いいなー、あたしゃ元日出勤確定だー」 ←同情するわ

「こっちも大晦日のうちに帰宅できるかどうかわかりませーん」 ←同上だわ

「専業主婦なんて毎日が激務なんだぞっ」 ←真に受けてはいけない

こんなんですが我が家は平和裏に年越しに迎えます。皆様も良いお年を。あ、それから緊急入院した妹ですがおかげさまで峠は越えまして、検査結果次第で右か左かという心配は残るものの、ほっとしております。