Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

la Alasita そんな祭があるのっ?

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「嵐田さんからはラテンのイメージがする」と、僕を評したのはまだネット上の交流しかしていなかった頃のBlackcat-Utaさんでしたが、そんな彼女でさえこんな祭りと市が実在することは知らなかったと思われます。「ラ・アラシタ」(「タ」が濁ってねーじゃん)ですってよ。知りませんでしたよ僕も。毎年1月24日に、ボリビア・ラパスの広場やストリート上で2週間ほど開かれ、福の神エケコに備えるための供物があちこちで売られるのだそうです。

エケコ神には供物として「自分が欲しい物」を捧げて1年間祀り、アンデスに伝わる祭儀に奉納するとか、教会で祝福を受けるなどの祈願をするようで、欲しい物はほぼありとあらゆるものがミニチュアになっていて、このラ・アラシタの市で買えるという面白い趣向。現地に伝わるティワナク文化の神事がインカ帝国に受け継がれたものと云われ、祈願成就するなら、1年後に実物を手に入れられる(ほんと?)

Alasitaとはその文化の継承者の一部である先住民族アイマラ族が用いる言語・アイマラ語で、これはボリビアとペルーの公用語。語意は「買っておくれ」というものです。いや嵐田雷蔵は「Arashida Raizou」ですからほとんど関係ないんですが、かつてラテンのイメージを投げかけていたらしい印象と無理やり結びつけたくなるじゃありませんか。だけどさすがに2週間以内にあっちに行ってエケコ神に供物捧げてくる余裕も時間も無いんだよなあ。

凍てつくほどでもない大寒 それは都会の話

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3月並みの陽気だということですが、つくばーど基地の明け方は氷点下となる日が続いています。ふと気がつけば大寒だもんね。幸いなのか残念なのかは定かでありませんが、ここしばらくは雪の降っている方面への仕事が無いので、先日の成人の日連休のときに油脂類点検を行い、残量の少なくなっていたウインドウォッシャー液を補充。水道水で希釈する割合を低くしてタンクの八分目まで満たしました。これで関東地方ならば凍ることはないでしょう。

走行時間が長いこともあり、バッテリーの充電もうまく行っているのですが、あらためて確認すると「4年1月」と記されている。これってこのバッテリーを取りつけたのが「令和4年」ということだよね。西暦で2004年を略しても0は付けるよね。むー・・・換え時といえば換え時か。そろそろ新調した方がいいのかも。ワイパーブレードも昨年夏の酷暑で材質の劣化が著しく進んだようなので、近々いっしょに買い付けに行こうと思います。

30年

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阪神淡路大震災の記録撮影は、当時応援に行った大阪の支社にすべて置いてきてしまい手元には何もありません。記憶だけは残っていて、あとから現地にほんの少しだけ出ただけでしたが、まさかの東日本大震災を仙台でくらった折に役立つものがありました。その後神戸を訪ねる機会はなく、10年前に広島県に向かう途上立ち寄っただけですが、そのときは高速道路の橋脚が破壊され桁が落ちていた風景はかけらもありませんでした。

「震災の記憶は我々でさえ風化しますよ。それは仕方のないことで、それでは何を伝えていくのかと言えば、あの惨状からどうやって、何をやって復興を進めてきたかを重視すべきです」

昨年秋、南三陸町の町長さんにお会いしたとき、そのような話を聞かせてもらいました。阪神と淡路の人々も、そうやって30年を過ごしてきたのだと思います。今年の年賀状に、ずっと神戸の支所で仕事を続けてきた同僚が、離職した旨のメッセージを綴っていました。彼も直向きに震災の記録集めと復興の道のりを歩んできた一人です。大阪との折り合いが悪かったと聞いていましたから、やることやりきって飛び出していったのだなと感じました。

 

まさかの邂逅

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正月休みのこと、雫さんの実家に年始に出かけたら鎮座しておりましたよフロンクス。ソリオバンディッドを娘の葉月に譲り、X-Beeに乗っていた母親の文月さんの新車だそうです。

「一応、四駆ですよー」

亭主である雫さんの実弟くんは何一つ知らなかったとか。

いや僕もここまで彼女がスズキ派だとは知らなかったわ。先月手元に来たというから、けっこう早い段階で注文していたに違いない。

アイドリングでスタート

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この年末年始休日には大いに助けられました。年が明けてからぶっ倒れていたら暦通りに仕事始めを迎えられなかったかもしれません。再診察があるので今週半ばに1日休みをとります。

月は満ちている時期なので、体調は上向きだと思いますが、パーシャルアクセルで働こうと思います。

 

ところで、固定ページもろともデータベースが破損し過去記事が消失しました。管理者のりんもんさんが残っていたバックアップデータによって復旧してくれまして、固定ページはバックアップ外の日付だったので要点のみ再掲しております。2月2日、あたご天狗の森の「ATAGО FORESTHOUSE」カフェにて新年会を開かせていただきます。振舞うのは豚汁と塩むすびです。もともとつくばーど®と豚汁には浅からぬ縁がありますので、「あのとん汁」ではありませんが月遅れ新年会にはちょうど良い趣向を実現できます。つくばーど®冠なので車種にエスクード縛りはありません。ぜひご参加ください。

「帰ってきた」って書こうとしたら随分類似題名使ってた

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お騒がせの年末年始でしたがどうにか「お帰りできますよ」の診断が出て、退院してまいりました。寝不足極まって腹も減って、それよりも点滴させられまくりで風呂に入れなかったので、まずは浴槽に沈みましたよ。元日恒例の裏山の神社への初詣と、菩提寺への年始は、雫さんと娘らが代参してくれました。神社も高齢化と人手不足で、初詣の祈祷は深夜は行わず朝6時からに短縮したらしく、近所の氏子さんが教えてくれていたので事なきを得たとか。

しかし今年に限って大事な場面に(いやもう来年も代参してほしいくらいめんどくさいのよ)当主がこないという事態に、「何事か」と、どこへ行っても心配されたとか。あー・・・これもまためんどくせー釈明を迫られるよあとで。悪事じゃないけど音速で拡散するから田舎の情報伝達は(まあ自らブログでばらしてるんですが)。娘らはそれぞれ正月から出勤のスケジュールをやりくりして、家族全員が団欒できるよう退院を待ってくれていました。感謝の年初め。

20年目の斗折蛇行

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唐代の文学者であり高級官僚であった柳宗元(りゅう そうげん)が綴った「斗折蛇行」という言葉は、北斗七星のような折れ曲がる星座の配置と、蛇の進むが如くうねりを、道や川の続く様として表しています。この言葉と関わるわけではありませんが、彼もまた優秀な役人であったのに、上層部の政変で左遷の憂き目にあった男でした。

人は大なり小なり紆余曲折な暮らしを続けていますが、そのことはさておきうちのスズキエスクードTD61Wは、乗っている自分が言うのもなんですが、これほどこの言葉が似合うエスクードを他に見ない道のりを走り続けています。海外に持ち出された古い個体には、おそらくうちのエスクード並みの積算走行距離を刻んでいる物があるかもしれませんが、少なくとも日本という国内において、あと約50000キロでオドメータがリセットされるような(リセットされるかどうかスズキもわからないと言っているという)個体は無いと思います。

この個体は90000キロ直前で下取りに出された1台でしたが、二人目のユーザーとの出逢いは20年前のことです。これまた自分で言うのかの話ですが「厄介な奴に見つかっちゃったよね」の始まりが、2005年の夏のこと。そこから文字通り「とせつ・だこう」の日々が繰り広げられています。走ったし壊したし壊れたしで、見てくれ以上に満身創痍です。「斗折蛇行」と言いながらも、走らせる意志と走る力が微塵もぶれていないことだけ、この個体の見どころです。

まだまだ行先は各地に折れ曲がって所在し、そこへたどり着く道のりも未踏でうねうねと曲がっているのですが、今年も淡々と走り続けるのみです。

 

遅くなりましたが報告しますと、12月30日夜、急な鳩尾の痛みと嘔吐で倒れまして、県立総合病院に電話をしたら救急外来が混雑しているけれど、来るだけ来てみなさいと。雫さんに運転してもらって駆け込んでみると電話のときのピークは過ぎたのかもともと混雑していなかったのか、すんなり診察に回されました。

ここら辺の経過はほとんど覚えていませんが、あとから情報を加えると、触診とか心電図とかCTスキャンでわかったのが胆石。しかも胆道と胆嚢の接点に確認されステンドを入れて胆道確保の必要アリと。しかし場所が悪く胆嚢を傷つける恐れが出ていてそれやっちゃうと最悪重篤化と脅されたようですが、朦朧としていたのでそのまま内視鏡処置へ。

この頃すでに意識はありません。内視鏡は口から入れられたようで(マウスピース咥えていた)すがあれが体内を蛇行した感覚が無い。←干支的な表現できたよ

この一連のフェイズ進行の最中、胆石は発見場所から砕けて落ちてしまったらしく、ステンド処置も必要なく内視鏡自体も短時間で抜き取られ。朦朧としたまま病室までストレッチャー搬送され点滴の管につながれておりました。

年越しのさ中にお騒がせして申し訳ありません。膵臓も弱ってるってことで診察は続いております。

Gott nytt år 2025

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ゆく年くる年の準備は出来た

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つくばーど基地の縁側は、サッシュを閉じてブラインドを降ろしておくと、日中せいぜい5℃くらいにしかなりません。居間は障子で遮られているのでそこまで冷えませんが、夜は暖房が必要です。その園側は季節限定連増このようなもので、足の速い温州みかんの水分をゆっくりと抜いて甘みを増すのに最適です。不作説と豊作説が入り混じることしの津久井浜のみかんは、保存と食べるタイミング次第でうまさを引き出せるけれど、我が家では豊作の太鼓判を押しております。

何事もない平穏な年なんてありゃしないものです。後悔しようとも昨日になってしまった時間はどうすることもできないので、大晦日において全部うっちゃる気持ちに切り替え、2025年に備えます。炬燵で食うみかんは最高。で、待ちきれずここまでにかなりの量を食ってしまったのが後悔。まあ旬の頃は旬のときで、時期を逃さず食わねばならない使命感があるのでした。残りの少しは、今日ようやく帰省してくる霙のためにとっておかねばなりません。

我が家の敷地も氷点下で明け方となる季節になりました。あれだけ暑かったのにさらっと過ごしやすい秋が走り去って、年末らしい寒さの年越しとなります。幸いにも新型コロナやインフルエンザに見舞われることなく大晦日を迎えますが、宵越しの金をもたない、というよりそもそも持っていないので一番寒いのは自分自身の懐なのでした。皆様も健やかに新年をお迎えください。ことしもお世話になりました、来年もよろしくお願い申し上げます。

と言って閉めようと思ったんですが、冬の間、霙がフィガロと交換して乗っているぷらすBLUEの積算走行距離が333333キロとなりました。五桁時代のカウンターなので上一桁が足りませんが、三度ゼロカウントにリセットされています。これは28日の夕方に撮られたもので、彼女はまだ仕事日で帰省しておりません。今夜帰ってくる予定ですから僕はこの並びを直に見ることはできません。幌エスクももうすっかり元を取ったねえ。てことで良いお年を!

・・・・あれ?

CTがなんだって? 心電図かなんだって? 内視鏡が・・・などなどいろいろ目の周りにちらつていましたが意識が朦朧・・・

どうも30日の夜に倒れたようです。

好事門を出ず悪事も千里を行かず

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「好事門を出でず、悪事千里を行く」というのは、「善い行いは世の中には伝わらず、悪事は千里を走って世間に広がる」ことを意味しています。千里というからには、悪事は日本列島の南北も東西も瞬く間に駆け抜けるということになりますが、この言葉はもともと中国のものです。何日かかって千里を行くのかは知りませんけど、約4000キロという数字に置き換えると、おおむねBLUEらすかるの一か月あたりの走行距離に迫っています。

悪事はあっという間に世間に知れ渡るから、行うもんじゃないぞ。というありがたいお言葉は胸に刻むとして、一か月に千里を超えて走り、自分で言うのもなんですが驚異的な積算走行距離に至る逸話は、どちらかと言えば「全然世間に知れ渡っていねーよ」の側です。まあ誰の得にもならないしね。写真はラックを載せていないので2008年かそれ以前の風景です。その頃はまだ20万キロ台でした。

それでふと気がつけば、ことしは28日ではなく本日で仕事納めになっていました。土曜日まで仕事の残る人、それ以降の年末年始も業務に追われる人、ごめんなさいで、僕の今年の仕事は27日締めとなります。走るも走ったり約50000キロの2024年でした。

ところで、僕は別に有言実行の男なんかじゃありませんが、BLUEらすかるの積算走行距離は25日早朝、950000キロに達しました。激務でもあったけれど、それが功を奏して年内にここまでと考えていた目的は果たせました。でもまだ残り約1年で50000キロ弱を走らせなくてはなりません。行けるか未知の道のり。この際大悪党でもなんでもいいですわ。千里なんかじゃお話になりませんから。と、ほざいていたら「明日から大掃除やりますよっ」の天の声がかかりました。

この後しばらくして入ってきた、前スズキ会長・鈴木修さんの訃報。本田宗一郎さんのときにも思いましたが大きな柱が失われたような。それにしても誕生日まであとわずかの御年94、うちのエスクードが95万キロに抜け出た日に亡くなられるとは何かの因縁でしょうか。清濁併吞でいい話も悪い話も聞かされた人でしたが、この人がいたからこそスズキはエスクードを産み落とした(でもジムニーの生みの親ですが)。ご冥福をお祈りいたします。