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  ~懲りない傾向~

日付のない墓標

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NHKが特番のために4年も張り付き、特番のための裏話特番を作ってもいいんじゃないかと言われたほどのあの映画が、Amazonプライムで配信開始されたので、劇場行ってないから観たわけです。

なんだかんだあれやこれやの批評を受けてきたみたいだけれど、ずいぶんと長い時間、時間というより歳月を費やしながらも、やっぱり初めに思い描いたところへ落ち着いたのねと。しかし、

油断してましたよ。終盤あんな曲を挿し込んでくるなんて!

もうね、この映画については完結したんでそれ以上は書くことも無いし、聞けば予告編で流してたそうだし、わかる人は3月にCDの曲目見てわかってたんだろうけれど、ここは今さら今どき今頃であっても、あれを選曲した庵野秀明さんに告げたい。

「シン・さよならジュピター」作りたくないですか?

ひょっとして、いつか使いたかっただけではなくて、どこかでそう考えてるからこその、あの曲なんじゃないか?

どっこいし・・・←「ょ」は、ゆってはならないのだが

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「ょ」まで言ってしまうと、せっかく書いたブログはおろか、PC内のメモリまで消されてしまいかねないので。

この掛け合いとオチは、あーる田中一郎健在だねえと笑わせてもらえるのだけど、逆にとさかセンパイがパワーダウンしていて、寄る年波を感じます。が、たぶんこれ、まだ1987年か88年。

しかし今回の読み切りでは、鰯水くんが活躍するので、作者のスタミナはそちらに全注されているのかもしれません。

だけど最近のノートパソコンて、熱暴走しなくなりましたね。現在使用中の11号機、ファンがエラーで作動しないけど、白熱化しないもんなあ。←するか

というわけで一読。そろそろ新盆に備えて基地の片付けに戻らねば。やれやれ

どっこいしょ・・・・ あ゛

この記事、「昨日読んだ」とおっしゃる人がいるかもしれませんが「気のせいです」もう呪いの言葉言っちゃいましたから。

それよりも、どうやら「究極超人あ~る」の新刊が出てくる日はそう遠くないようです。単発読み切りはまだ続くみたいです。

超越者と人間が融合する

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マーベルコミックのファンの人々に告げたいのですが、面白かったけれど、これは正史じゃないですよ。「ウルトラマン」というフォーマットを利活用した、斜め上解釈のアナザーストーリーです。

そこを押さえておかなければ、逆に許せなくなってしまう。でも、そこを認めればなかなか面白いのです。

新たに、と断りを入れるべきなのは、物語の冒頭が1966年ながら、展開は一気に2020年に移り変わっています。その歳月には、現代において活動している怪獣であったり防衛組織の部隊変遷であったり、いろいろな仕掛けが風呂敷というかトートバッグの中にまだ隠されているようです。ふーん、マーベル作家ってこういう風に考えて地球人と異星人のコンタクトを描くんだ。「原典」直撃世代にとっては大いにショックなプロローグでした。

日本語版劇中では「超越者」(ULTRA)、「人間」(MAN)という呼び方をします。和製英語化?した「ウルトラマン」が、僕らの中には刷り込まれています。何もかもがスピード化し始めた高度経済成長期、この名前は水のように浸透したのだけれど、あらためて「彼」を「超越者が来てくれた!」と呼べるかと考えると、全然スマートさがない。「ULTRA・MAN」と呼びならわせる文化からの、ウルトラマンの名乗りを見せられると、不思議な感じがします。

それにしてもプロローグの時点で既に新解釈のシリーズ化を示唆する物語の描き方は、その必要があるのか? なぜよ? と言わざるを得ないひん曲げ方です。ティザーの段階から登場していて、ものすごく違和感を感じていた左図のパイロットが、まさかの人物でどえらいことになってしまうというのは、禍根を残さなければいいのですが、かなりやりすぎ。その割に今回、ハヤタとコンタクトする宇宙人が「自称」ウルトラを名乗っちゃうあたりはちょっと軽い・・・

そんなわけで、彼等「超越者」は地球の暦で何世紀も前から、地球人種の「自律と進化」を見守ってきた一方、何者かによるエネルギーの負の放射によって副産物たる「怪獣の凶暴化」が始まり、いずれ負の放射はその星を滅ぼすという危機から、進化に期待するのですがいろいろあって「どうもそれは困難だ」とも判断しています。しかし、この物語におけるハヤタは、なればこそ命と力の主導権を自分に委ねたうえで、その自分自身を守ってほしいと申し出ます。

ここら辺のプロットには、なんとなく「ウルトラマン80」あたりまでの基礎設定が埋め込まれている気がしますが、円谷プロ側、というより日本の文化がどのようにアメリカの文化と接触してこのコンタクト劇を描くに至ったのかは大いに興味があります。いやもう「超越者」は正論とはいえ理屈っぽいし「人間(ハヤタ)」もまた超越した事象に対応するため必死。こんなにも沢山の対話の余地があの瞬間にあったのかと、膝を叩くばかりです。

50年前の現実

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翌週のこのシーンが(衝突はしないけど)気持ち悪くなってしまった

71年7月30日の夜、少年たちは厭な予感を胸中に抱えながらも、新聞の番組欄とは異なるテレビ放送の緊迫感をブラウン管から感じ取っていました。

この日、岩手県雫石上空で旅客機と自衛隊機が衝突事故を起こすという大惨事が発生し、テレビ各局とも一斉に、報道枠の特別番組を流していたのです。結果、この日の「帰ってきたウルトラマン」も放送が休止となり、少年たちはがっくりと項垂れ、チャンネル権は大人たちに奪われてしまったのでした。

何ががっかりだったかって、予定されていた番組のサブタイトルが「ウルトラセブン参上!」ですもん。ゾフィーと初代という構図をずっと以前に見ていたとはいえ、「別番組のウルトラ戦士が共演」というシークエンスは同シリーズでは初めてだったのですから。

セブンは恒点観測員から出世していたんでしょうか。なかなか偉そうなのです。

1週間後にこの放送は成されましたが、見てみたらセブン参上前に郷秀樹がマットビハイクルに乗り込み(駐車場所も郷の居所もそれでいいのかという突っ込みは、当時は考えなかった)走り続けるカット割りの長いこと。これは嬉しい演出でした。

しかし、ベムスターも新ウルトラマン初の宇宙怪獣でありながら、いきなり宇宙ステーションを食いつぶすところが全日空機事故とイメージが重なり、宇宙で亡くなった梶キャプテン夫人への弔問に赴く加藤隊長の姿にはっとさせられ、マットアローが迎撃する際の距離感に事故を連想させられたり、その頃社会で何が起きていたかを刷り込まれた感がありました。なによりウルトラセブン、出てきてそれだけか! というところに拍子抜けさせられたんですけどね。

歴史を語れないとは珍しく真摯な一言

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それはその通りだと思います。50年もの財産の食いつぶしばかりやってきた歴史は語れませんよな。

スーパーヒーロー戦記。ここんとこ5年に一度のお祭り騒ぎで定着した、全部乗せ企画。だけど今年に限ってはオリンピックよりも価値観を感じます。もっともオリンピックや緊急事態宣言や連休やらに阻まれた仕事でそれどころじゃないんだよ。

しかしアカレンジャーの隣にいるのが初代の旧1号風仮面ライダーというのはちょっと新鮮です。

禁書開封による世界の混ぜこぜ設定だそうですから、その初代の旧1号風に並ぶ2号が新2号風というのがこの際残念です。手足の白線が細いのって、昔から好みではないのです。全部乗せといっても「諸般の都合でこの場に居ないサブライダー」もありそうな布陣だし・・・

50年とか45年の象徴といえば、採石場の戦闘も外せないのです。

ここまで集結されるともはやどれが誰だかわからんくなっちまいますが、それを察知してか、「かなり先頭切って駆け抜けている野球仮面」の意欲には脱帽です。この場面で既に1号ライダー(迎撃態勢に移っているわけですが)むしろ腰が引けてるように見えちゃう。

さて封切りと同じ22日に発表があったそうですが、この映画のポスター(リンクの映画公式サイトトップページ)に、ちゃっかりと登場している「次の仮面ライダー」。悪魔と契約してライダーの力を手に入れるというフォーマットは、キバとバンパイアやウィザードと魔法使い、ゴーストと霊界に近いけれども、悪の中から生まれる正義の味方をやるからには、もうひと捻りくらいあるんでしょうか? まー相変わらずデザインは大暴走ですが・・・

新しいものが何もない

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新しいもの、に期待しすぎかもしれませんが、監督の坂本浩一さんは「ティガのリメイクやリブートではない」という。その言葉通りに、ウルトラマントリガーの始まりは「仮面ライダークウガのリブートみたい」にしか思えませんでした。

とはいってもまだ始まったばかりで風呂敷も広げきっていないから、このあと加速していくのでしょう。

だけど成り切り玩具と武器を売らんかなな構成と、不細工そうなメカニックと、「ウルトラマンティガにおいて、世界平和連合がどういった経緯で組織されたのか」という人類の意志の根幹の部分を無かったことにしたのかうっちゃりかましたのかの、ダサい名前の戦闘的防チームと、かっこわるいユニフォーム。

何より変身装備に銃(何を言おうが殺傷武器)を組み合わせるというセンスの無さで、テンションはダダ下がりの一週間でした。おまけにウルトラマンのタイプチェンジに用いるのがカートリッジ(GUSTハイパーキー)って「仮面ライダーWのリブート」ですか?

でも明日放送の第二話も見るのですが。

たぶん間違っていた記憶

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あの「オリエンタルな味と香りのカレーの店」の撮影に使用された、文京区本郷ではない喫茶店のことを、僕は「るぽ・コーヒーハウス」だと思い込んでいたのです。それはたぶん、「仮面ライダークウガ」のエンディングに、撮影協力としてテロップされた名称からだったはずなのです。

先日、そっち方面に仕事が入って、そりゃもう当然、昼飯どきにはここへ立ち寄ったわけです。

その際、なにげにアイスコーヒーの置かれていたコースターを見たらば、「CoffeeHouseるぽ」と綴られているではありませんか。

あれっ? と思って紙ナプキンと伝票のロゴも見たらば、「るぽ・コーヒーハウス」とは書かれていないのです。

いやー・・・21年も勘違いしていたのか俺は!

このお店の食事献立は豊富ながら、カレーライスだけはメニューにないのですが、いつも何を食うかで多少迷います。

関係あるようで全くありませんが、このお店は1988年の開業だそうです。偶然です、スズキエスクードと同い年なのです。昭和の雰囲気が漂うのはそういうことかと、あらためて膝を打ってきました。

55年目といえど、あと30年以上未来の話

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そう来たかよサンダーバード55

これが作られた時代、ドラマの背景や設定は100年後を描いていました。いつしかその21世紀に足を突っ込んでいるのだけれど、まだ30年以上も未来の話です。さすがに2060年代後半まで生きている自信はないです。となれば、もう一回その未来を描いてくれるというところには、おぢさんは夢を持てるのです。

記事に出ているあんな著名な人たちじゃなくても、幼児で直撃を食らった僕は、「巨大ヒーローの格闘よりもスーパーメカニック」という刷り込みをされていますから、国際救助隊の活動シークエンス一つひとつにわくわくしてきました。

アニメじゃない。CG(はある程度使うのか?)でもない。特撮ってこれだろうと。

でも、小躍りしていいのかというほど、歳食ってしまったなあ。

特撮の日

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昨年だか、須賀川市が申請し、円谷英二さんの誕生日にちなんで「特撮の日」が制定されました。円谷さんを特撮の神様と呼びならわすことに異論はないですが、その円谷さんが師事した枝正義郎さんやら、円谷さん以前から「神様、巨匠」と言われ、「原子怪獣現る」を撮ったレイ・ハリーハウゼンさんの存在もあります。円谷さんはトリック撮影やダイナメーションからブレイクスルーを果たしたという点で、日本での特撮エポックメイカーとして揺るがないことは事実です。

僕ら昔の少年は、ウルトラの超人と怪獣がプロレスまがいの格闘を繰り広げることよりも、巨大なメカニックが「ミニチェア撮影とわかっていても」空気感のなかで動き出す場面が好きだったのです。ウルトラマンにはなれなくても、スーパーメカには乗れる日が来るかもしれないと、ブラウン管越しに235mもある万能戦艦の出撃に見とれました。それが特撮による架空世界の再現。ウルトラホークもマットアローも、幾度となく模型を作っては壊してしまっていました。

特撮のブレイクスルーを次に感じたのは、「ウルトラマンガイア」のオープニングに4秒くらい出てくるXIGファイターの夕景。平成シリーズの合成技術は、少なくとも「ウルトラマンティガ」では褒められたものじゃなかった。このXIGファイターはそれらを遂に乗り越え、実機が飛んでいるような雰囲気を再現していました。悪く言えば白々しいほど、というカットなんですが。そんな逡巡をしている本日は、英二さんが生誕して120年めの七夕です。

謎の科学特捜隊 番外

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須賀川特撮アーカイブセンターに飾られている、科学特捜隊日本支部の透視図を描いたタペストリー。いやー、売っているなら欲しいなーと思ったんですが、これはこれでよくよく見ると謎だらけです。

世間で言われているベルシダーのサイズが、これを搭載するはずのジェットビートルと矛盾しているし、この場所にあるベルシダー、特殊潜航艇Sを、どうやってビートルの格納庫まで移送するのか。

更には小型ビートルの射出カタパルト「の、建物内」って格納庫からどこをどうやって持ってくるのか以前に、射出時は大丈夫なのかとか・・・