3年前に、ハードボイルダーのメータをあしらったデザインがいいじゃねーかと購入しながら、バンドのコマが1個分足りないスケールだったために腕に合わず放置していた「仮面ライダーW仕様の腕時計」。3年経ったらぴったりになってました。
それって喜んでいいのかやばいぞと思うべきなのか・・・
3年前に、ハードボイルダーのメータをあしらったデザインがいいじゃねーかと購入しながら、バンドのコマが1個分足りないスケールだったために腕に合わず放置していた「仮面ライダーW仕様の腕時計」。3年経ったらぴったりになってました。
それって喜んでいいのかやばいぞと思うべきなのか・・・
なにやら霰が大学時代の友達に「ウエスト・サイド・ストーリー観て!」と大きく奨められているのを端で見ていて(インターネット回線での対話)、あれは「ウエスト・サイド物語」ではなかったのか? まーどっちでも同じだけどと思っていたら、
「ウエスト・サイド・ストーリーってそんなにすごい映画なの?」
と聞かれたので、悪乗りするとーちゃんでした。
「1950年代のニューヨークのウエストサイドという街は、マンハッタンの移民居住区で、コミュニティを守るために自警し合う中から対立抗争が絶えず、他民族に対して他民族の自警団はギャングにも等しかった」
「ふむふむ」
「あるとき、その抗争で不可抗力から、あるグループの若者が敵対グループのリーダーを刺し殺してしまう事件が起きた」
「ほうほう」
「殺人者となってしまった若者は、逃亡の途中黒ずくめの男達に逃亡の幇助を受けた」
「それでそれで」
「彼は男達に拉致され、黒い幽霊団の研究所でサイボーグ手術を施される」
父娘の馬鹿会話はさておき、「ウエスト・サイド物語」はアーサー・ローレンツによって脚本が起こされ1957年に上演されたミュージカル。これを映画化したのがロバート・ワイズの1961年の同タイトルで、最近のスティーブン・スピルバーグ作「ウエスト・サイド・ストーリー」は、意外にもまだ二度目の映画化です。
石ノ森章太郎さんがサイボーグ009の誕生編に描いた002編は、ページ数の関係からウエストサイド物語の悲恋もの部分はオミットされ、いきなり決闘に至るのですが、ジェット・リンクの名前もこの物語から由来しているのは有名なお話です。
61年というと、石ノ森さんは夏から取材旅行で海外へ出ている。映画のアメリカ公開が10月で日本へは12月に入ってきた映画です。64年にはミュージカルも日本で上演されているので、石ノ森さんは帰国後にこの映画か舞台かを観ていたのでしょう。その接点がなかったら、002は野球選手とかボクサーとかの設定になっていたかもしれない。
諸説紛々の解釈がなされてきた「立花レーシングのエンブレム」は、東映側の小道具さんが現場で即興でデザインされた・・・という現実をさておき、赤いRの文字は果たして「Rider」を意味しているのか「racing」なのか。それ以上にオートバイを模したと思われるけれどそこに昆虫的意匠を取り入れ、同時に悪魔的な印象さえ与える異形性が描き込まれている、いろいろ曲解したがりたくなるデザインです。もちろん秀逸の図柄というのは間違いありません。
そしたらなんということか、庵野秀明さんによるシン・仮面ライダーにおいては、リデザインされたこのエンブレムが、ショッカーのパーソナルマークの一つとして紹介されているではありませんか。Rについての解釈はどうなるのよ? そればかりかリデザインされたオートバイ部分の、より悪魔的で昆虫意匠を強めたマークは、他の蜘蛛、蝙蝠、蜂などより高級感?を持ち、しかも2色刷り(笑)という差別化が図られています。これ、たまたまショッカーマーキングと同列にしただけ?
しかしこのデザイン。昔から言われていることですが、どう見ても「蝗もしくは飛蝗型改造人間」のそれじゃない。楕円で垂れ目に仕立てた仮面の意匠と短絡的に結び付けてはならないのかもしれませんが、これは贔屓目に見ても天牛(カミキリムシって打ったらこういう字になった)の顔立ちでしょう。そしたらねえ、カミキリキッドの立場ってものがと、余計なことを考えてしまうのですが、両者の顔を比較してみていかがでしょう。どっちかといえば・・・です。
紆余曲折ありすぎなエンブレムですが、ショッカー(ゲルショッカー)側がちゃっかりと利用している事例があります。ショッカーライダーが乗っていたサイクロンには、偽ライダーという作戦上、「仮面ライダーに化ける」必要性から、サイクロン自体をそっくりに仕立て上げてのことです。この場合、ライダーという容姿と性能は、もともとショッカー側に様々な権利や特許があるんですけども・・・新型のサイクロンは立花レーシング謹製ですから。
それよりも悪辣なのは、裏表を持ちながらも最初からショッカーの尖兵として暗躍した「仮面ライダー3号」のトライサイクロンに、カラーリングやマーキングともども、立花レーシングのエンブレムを掲げていることです。誰だこんな仕上げにしたショッカーの裏方は! 好意的に解釈するなら、これらは人々を騙す策略というよりも、ショッカーの自由にはならないという3号こと黒井響一郎の決意を彼が自ら施したものなのかと解釈します。
ざっと350年後のある日、宇宙艦隊にUSSエンタープライズEが就航し、ジャン=リュック・ピカードが艦長に着任します。彼はそれ以前のエンタープライズDでも艦長を務めていましたが機械生命体ボーグとの戦闘でこれを失い、自らもボーグとの半同化を経験するなどの辛酸を受けていました。が・・・彼の話は長くなるので割愛。一度は退けたボーグが再び地球を襲い、エンタープライズEとピカードはボーグを追って2063年の地球に時間移動します。
この年の4月5日、地球ではゼフラム・コクレーンという変人の科学者が、前日に襲ってきたボーグの侵攻とエンタープライズ一行の攻防に巻き込まれながら、どうにかこうにかワープドライブ機関を搭載した宇宙船フェニックスの打ち上げに成功し、人類史上初の光速を突破するという偉業を成し遂げます。
この出来事を、地球文明の調査に訪れていたヴァルカン人が目撃し
「ああ、地球人がとうとう超光速のテクノロジーを身に付けちゃったよ」
と、ファースト・コンタクトを求めてくる。彼らはコクレーン博士に対して、あの「長寿と繁栄を」なる文化的儀礼をするわけです。ヴァルカン人は彼らの規律として、他文明との接触には、相手が超光速技術を有していることを絶対条件としているのです。あのジェームズ・T・カークとミスタースポックの交流の原点はここに始まるのでした。
コクレーン博士は今から10年後に生まれてくる人物。その後、今から41年後、人類は星を渡る技術に辿り着く・・・というのがスタートレック世界の歴史です。
まず前提として、仮面ライダーやサイクロンの動力源とされている超小型原子炉という記述は、曲げようがないのだけれど昔から否定と拒絶をもって接しています。昔は原子炉設定で良かったかもしれませんが、例えば普及している沸騰型原子力発電システムって、巨大なボイラーを核分裂の熱量で湯沸かしし、その蒸気でタービンを回して発電するわけです。そんなもの、改造人間の体内やバイクの車体に収められるわけがない。あれはショッカーの「はったり」なのです。
と暴言を吐くのが、ライダーやサイクロンに対するつくばーど®の解釈ですが、そこを差し引いても奪ってきた改造バイクをメンテナンスし、さらに改良を加え、そのデータをもとにより戦闘力の高いニューモデルマシンを開発してしまう立花藤兵衛さんは、只者ではありません。扱われているサイクロンシリーズの素体履歴からみても、当時のスズキ自動車や本田技研工業とも深いつながりがあるようですし、世が世ならヨシムラ、モリワキと並ぶレースコーディネーターなのかもしれません。
サイクロン以外のライダー用マシンも手がけていながら、立花レーシングクラブのエンブレムは、サイクロンのみに与えられているパーソナルデザイン。歴代の仮面ライダーがひとつの絆でつながっていても、本郷猛と一文字隼人以外のライダーには受け継がれなかったマークです。あれがどのような経緯でデザインされたのかは語られていませんが、少なくとも猛と隼人にとっての「ショッカー遭遇以前、帰るべき場所」を記しているのかと考えています。
1925年生まれだから、うちの両親より10歳年上の橘(雉真あるいはローズウッド)安子さんは、お達者なら本日97歳の誕生日を迎えます。「カムカムエブリバディ」は4月8日の最終話まで残りわずかになりましたが、物語の方はまだ90年代なので、安子も70代を過ごしていることになります。演者の上白石萌音さんは、98年1月生まれ。ということは彼女自身はうちの霙と同学年・・・え? 実はあの番組のヒロイン3人では一番の若手だったんだ。
1925年といえば、岡山や大阪、京都が舞台の同ドラマとは全く無縁ですが、この年の秋、土浦市の神龍寺住職(当時)の手によって、霞ケ浦海軍航空隊の殉職者を弔う打ち上げ花火が始まりました。今の土浦全国花火競技大会のルーツです。歴史に疎いのでどれほどの殉職者が対象となったのかは知りませんが、霞ケ浦海軍航空隊というのは1921年に飛行場が完成し、22年の開設です。花火大会は隊創設黎明の頃から寄り添っていたようです。
なんでもかんでも「設定・解釈病」になってはいけないという戒めを覚えつつ、謎のシリーズの「仮面ライダー編」です。何が不思議かって、立花藤兵衛さんが運営していたレーシングクラブのエンブレムが、どの時点でサイクロンのエンブレムとして成立していくのか。あのエンブレムは本郷猛がショッカーに拉致される以前から存在していることは有名です。だから猛が脱出しショッカー謹製バイクを持ち帰ったあとのマーキングという線が一番合理的です。
この展開はテレビドラマとコミカライズの双方を取り上げて考える必要があります。テレビ版ではちょっと常用サイクロンとは思えない、ほんとにショッカーが開発したのか?と思わされる、律儀にナンバー付きのただのバイクなのですが、コミカライズでは「改造したオートバイ」と言及されています。よってテレビ版でも変形機能を有した偽装のバイクということでしょう。後に一緒に逃亡した緑川博士は殺害され、猛はその犯人として娘の緑川ルリ子に嫌疑をかけられます。
そのルリ子がショッカーに襲われた際、猛はサイクロンで追跡しながら変身し、ここで初めて戦闘スタイルのサイクロンが登場します。よくよく見ると、ショッカーアジトから脱出した時に使用していたバイクと、常用サイクロンは(バイクの型式以前の話として)別物です。変形機構は備わっていたとして、脱出時には存在しない、特徴的な加速ブースター付き6気筒風排気管は、いったい誰が取り付けたのかと考えると、やっぱり立花さんしか考えられません。
ここまでの時間経過が不明ではありますが、脱出後に一時猛たちは倉庫に隠れて過ごしているので、その間に立花さんがバイクに手を入れたと考えるのが妥当なところで、その際にあのエンブレムを、盟友の証としてマーキングしたのかと思われます。立花レーシングは、つまり、それほどの凄腕メカニックでもあり、元レーサーであった立花さんの天職なのですが、エンブレム自体には昆虫か悪魔のようなバイクデザインとRの文字があるのみ。このデザインのシュールさは今もって謎です。
「ゴーゴー・レッツゴー真紅のマフラー」と、石森章太郎さん作詞で歌われて久しいことから、ずーっと、仮面ライダーの首周りのアレをそう呼びならわしていたのですが、サイボーグ009の「赤いマフラーなびかせて」の形状ほどマフラーとは言えない。といって今更宇宙戦艦ヤマトよろしく「真っ赤なスカーフ」と歌詞を置き換えるのも無粋じゃないかと思いはしますよ。でも・・・やっぱりアレはスカーフなんだよねえと、何で今どきそんなことを持ち出しているかというと。
日本スカーフコーディネート協会(そんな団体があるんだ!)によると、3月4日って「スカーフの日」だそうで、もともとはカトリックの女性がミサに出るとき、三角なり四角なりのベールを頭に纏うしきたりから、これを忘れてはならないのよと首に巻いて過ごしていたことが始まりだと。そこから一般化して装飾傾向に広がるわけで、三角と四角のという部分から「スカーフの日」が制定されたのですが、じゃあマフラーって何よと思えば、やっぱり「防寒具」なんです。009の「マフラー」は、確かに長さや質感からそんな風に見える。
ということは、仮面ライダーのアレは、ファッション性を持ちながらも仮面でカバーしきれない首周りの防寒と防御を兼ねた「マフラー」と言って逃げ切るのだろうなあ。
2002年2月21日夕刻、横浜ベイブリッジがミサイル攻撃により爆破されたという時間軸があります。
そうか、もう20年になるんです。と思った時点でなんとも言えない感慨に陥り、「機動警察パトレイバーtheMovie2」のことを書こうとしたのに書けなくなりました。2002年頃の記憶が、記憶していたと思っている記憶ほどに覚えていないのです。
2月の事件と言いながら、あの映画は夏の暑い盛りの封切りでしたよね? 20年前の物語だけど、実際に公開されたのは1993年でしたよね? 現実が虚構を追い越しているのに、自分は逆に取り残されている気分です。
屋根裏の物置にあるどれかの箱の中に、リアクティブアーマーを装備したAV98があるんです。プラモデルやガレージキットではなく、バンダイが出していたパトライトが光り音の出る玩具に、パテ盛りして改造したやつです。当時はデジカメなんか持っていなかったので、写真撮っていないんだよなあ。