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  ~懲りない傾向~

First Operation Ultraman

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マーベルコミックのガラモン・・・いや失礼(ガラモンというよりギガス・・・って二重に失礼だな)、C.B.セブルスキー編集長が、ウルトラマンを同誌によって連載展開すると発表しました。円谷プロダクションとの契約では、初代ウルトラマンの物語がまず、取り扱われることになるようです。アメリカにおけるウルトラマンの本格的なプロモーションは「USA」のアニメーション、「パワード」の特撮に続く第三の媒体となります。

ウルトラマンUSAは1987年の全米放送時に子供番組枠で好成績を収めたそうですが、93年に制作されたウルトラマンパワードは真骨頂の特撮番組でありながら、振るわなかったといわれています。曰くアメリカにヒーロー像として「人間が変身して巨大化する」仕掛けは理解されなかったと、モノの本には書かれているのですが、特撮ではだめでもアニメでは受けていたという矛盾があります。僕はパワードを結構好きなんですが、なぜダメだったかはわからんでもない。

パワードは、時々とほほな映像を混ぜながらも巨大宇宙人をよく作りこんでいたと思いますが、どうもアメリカの子供向けにという気を使いすぎての凡庸とした戦いぶりや、仏でもないのにやたらと合掌させたがる謎の演出など、「情報流布されていたウルトラマン(初代)と違う」というコレジャナイ感のレッテルを貼られたからではないかと感じます。まあ顔だちも向こうに気を使いすぎていたし。そのあたりを、マーベルが今回の企画でどうとらえるのかに注目です。

個人的にはアベンジャーズなんぞの一員にされたらたまらんなあと心配なんですが、よく考えてみたらキャラのいじり倒しは我が国の方がずーっと昔にスパイダーマンで先鞭をつけていますから文句を言えないかも。それに我が国じゃ「悪のウルトラマン」をモチーフに2・5次元で舞台化なんですから、マーベルコミック化って逆に健全志向にさえ思えてきます。

晩節を汚すべきではない

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なるほどこれで本体1800円という価値があるのかないのかの議論は、以下15巻もこの体裁で続くとなると無理もない気がします。

ゆうきまさみさん自身、「作者生存中最後のパトレイバー」などと言っていますが、それこそご自身が若いころ描いた「受は人類を救っちゃう」のパロディー漫画(ダイターン3と破嵐万丈を使って、あの宇宙戦艦のしょーもない次回作を揶揄した)の諷刺そのものになってしまったら、笑えないことになるのでは?

ハードカバーは豪華ですが、本体はどことなくペーパーバックの質感という矛盾。連載当時のカラーページや扉絵を再現し・・・たものの、本編の構成であるページ数も、まあここで切りよくとも言えるけれど読み応えがない。

そういえば何巻まで買ったか忘れかけながら一応全巻購入した「うしおととら・完全版」と比べて、なぜあのページ数構成にしなかったのかと腑に落ちません。あっちなんかA5サイズは一緒だけどページ数から腕に重い(笑)装丁で、単価はもとより全巻購入してもパトより安いという実績を持っています。

これはしかし、作者著者というより出版社側の商魂を非難すべき話。こんなことで著者の晩節を汚してどうすんのよ?(まだ晩節じゃないけどさ)な企画と、製品のクオリティです。「機動警察パトレイバー」には、百歩譲ってこの定価を付けるバリューがあるだけに、こんなんだったらワイド版11巻にカバーつけても変わらないだろうと思うね。

だからこそ「今度こそほんとの本格物」とか言って、A4サイズの豪華版を出したり、さらに特典つけるかしたりのあと二回くらいの企画があって、ゆうきさんはその度に「いや、私は前回で終わりだと思ったんですよ。ところが読者の皆さんがパトを出せ、パトを読みたいと仰る」などと言い訳をさせられるんです。きっと。

 

宇宙の海は貴方の海でいいから

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よりによって海外で急病とは予断を許しませんが、もうことしはいろいろな人たちが逝ってしまったのですから、松本零士さんひとりくらい乗り遅れたって罰が当たったりしませんよ。むしろ大風呂敷拡げまくった漫画の世界のけじめをつけるまでくたばったりしないでくださいよ。

毒舌ですが、声援のつもりです。

骨太の面白さ

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冒険譚というのはたいてい面白いわけで、でもここで「たいてい」と言えるのは、きっと出会った物語が当たり続きと恵まれていたからに違いありません。

「宝島」の最終回において、ちらっと出てくる会話に「キャプテンキッドの財宝」「黄金の国ジパング」という言葉があって、これは実在の私掠船乗りにして海賊ウィリアム・キッドのことなんですが、財宝とジパングには特に因果関係はないのです。

キッドの伝承には南西諸島とかトカラ列島も出てきますけど、どうもそれらは尾ひれ葉ひれの類らしいから。にもかかわらず、78年から79年にかけて放送された「宝島」にそんな対話が出てくるのは、制作陣の中で矢野徹さんが70年に書いた「カムイの剣」がなにかしらインスパイアされていたからではないかと、今だったら想像できるのです。

というか、すでにスティーブンソンの原作自体を忘れているので、原作にそれらのセリフがあったらまた別の驚きになります。

それらはさておき、「カムイの剣」。角川文庫時代には続編が書かれながら未完に終わり、ハルキ文庫で再版されたものは最初の立風書房の頃の初期の物語のみ。つまるところ、続編はさして面白くなかったのです。で、どこらへんまでが面白かったのかといえば、85年に映画化されたのがやはり初期のキッドの財宝を手に入れる話。しかし当然ながらジパングとはあまり因果関係ありません。

関係ないんだけれど、「宝島」を観てからの「カムイの剣」は・・・この映画そのものがけっこう長尺なんですけど26話見続けるよりはテンポがよい。良すぎてこれは原作小説の方をじっくりと読まないとだめ? とさえ思わされます。

「宝島」の最終話では、大人になったジム・ホーキンズが成長した豹のベンボーとともに登場しますが、「カムイの剣」では拾われたオオカミの赤ん坊が最後の最後まで次郎とともに旅をする。うーん・・・前者にかかわった杉野昭夫さんの画風と、後者でキャラクターを手掛けた村野守美さんの画風が似ているといえば似ているんだけれど、「カムイの剣」が「宝島」をオマージュしたのか?・・・

夕凪と呼ばれた男

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「宝島」の再?放送が本日から始まるというときに、件のDVDブックの方を視聴し終わったんですよ。そしたら、本編の後日談にあたるショートムービーが収録されていました。

いやー・・・これはいかん。最終回とその一話前の約五十分で、ほぼ四十年ぶりに拳を握り締める思いをしたその直後、これがしらっと流れてしまうのはなんともいかん・・・

時系列的には最終回放送から十三年も経って作られた後日談だったからこその「夕凪と呼ばれた男」の感傷だったんですよ。もっとも、その頃のLD‐BOXが高価で買えなかったから、この特典が入っていることに指をくわえていたわけですが。

 

愛と風のように~銀河をジャンプ♪

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46年も前の玩具でありプロップですから、なにげにググると「もしかしてマイテイライナー?」などと念を押されますが、設定名も商品名も間違いなく「マイティーライナー」なんだよっ

と、誰に怒ってるんだ状態。手元にやってきた時点では、尾翼こそ紛失していますが、思っていたより良好な状態でした。尾翼はスクラッチする前に流用できるものないかと思いましたが、無いわ(笑)

さてさて、Cピラーの形やその直下のプレスラインで、このミニカーが四代目スカイラインであることは明白です。ひっくり返すとシャーシにも2000GTと刻印されています。まさかこれがGT‐Rだったら「なんて大胆なことを」なんですが、まあRじゃなくてもすさまじい改造の劇中車であることには変わりありません。

スプーンとカップをバッグに詰めて 今が通り過ぎてゆく前に

まだティーンエイジャー(自分の定義では、ティーンと呼ばれるのは13歳から)ですらなかった頃に耳にした歌詞がもう台無し(笑)

なんせ「次元を裂いてとんでくる 凄いあいつ」の愛用車ですから。

でも、せっかくの機会です。へぼな腕前だけれど、再生してみます

恐怖のビリーがやってくる!

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今月13日から、WOWOWプライムにおいて「宝島」がオンエアとなります。

月曜から木曜までの17時から30分間、亡者の箱までにじり登って26話分の録画予約を死守せねばなりません。

「この前DVDブック買ったでしょう?」

 

「それはそれ、これはこれだ!」

 

「えー、また金曜日に無駄な録画が入るシフトじゃないのさー」

「しょーがないだろー。『月曜から木曜まで』の録画プログラムないんだから!」

「お言葉ですがー。その録画予約枠・・・いま一杯でもう入れられません」

なななな、なんだとっ? 誰だそんなに予約入れてるのはっ

 

「他ならぬお父さんその人ですっ」

 

・・・いっぱいだそうでよーそろー ビリー・ボーンズ、俺を助けてくれー・・・

 

そういうことじゃないんだ

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「機動戦士ガンダム40周年プロジェクト」の一環である「HG 1/144 ガンダムG40(Industrial Design Ver.)」は、原点となった最初の1/144 ガンダムを組んだ記憶から考えたら、驚くべき進化と可動を果たしているようです。

でもこれ、ありていに言ってかっこ悪い。人間らしいフォルムや動きにこだわる一方、その印象を残したままリアリティの伴った構造を考える事・・・が果たして正論なのか?

工業製品として二足歩行人型機械が進化していけば、それはおそらく限りなく人間に近い動かし方ができるようになっていくのでしょう。関節や装甲板の設計によって、このガンダムは恐ろしく複雑な捻りや屈伸が現実に可能となっています。

だけど、メインカメラをレール式にして、とか、原初の時代に語られた「薬莢を用いない頭部バルカン」という設定をリアル側に振って忘れちゃってたり、胸部排気口にわざわざG文字をあしらうなどのデザイナーの趣味性が、全体をまとめるフォルムも相まって、かえってキャラクターから機械へ転ずるはずの造形の行き着く先で、玩具オモチャした(いやおもちゃなんだけどね)結実になってしまったように見えます。

もうひとつは、この四十年、キャラクターというより巨大ロボットとして見続けた中でモビルスーツの動きが、ときに「それ『ヒトの動き』でしょうよ」と思わされる違和感です。ペダルとレバーとボタンの組み合わせ操作で瞬時にそこまでできるのか?という動作を、巨大ロボがやれてしまうパラドックス。以前、長谷川裕一さんが「鉄人28号」の漫画で水中推進モードの選択と背負い投げの動作の組み合わせで鉄人に「クロール」をやらせる・・・

ような絵を描いていたと思いますが、それに対してAMBACの機能性以上の動作をモビルスーツは何気にやりすぎていた。

このあたりが、アニメのキャラという動きと、ロボットというキーワードを介した工業製品化されるガンダムとの間に、そういうことじゃないんだよなーと思ってしまうもやもやを生じさせるのかもしれません。

あー、僕だけのことですよ。

そのなかでも一番印象的なシーンは、実はガンダムではなくてガンキャノンなのです。敵の銃撃をかわして一瞬、岩陰に避難したとき、首をすくめて両腕で頭部をガードする。テム・レイさんはモビルスーツの完成度として「これじゃない」と言ってましたが、なかなかどうして、ロボットの動作としてなんてすごいんだと。アニメの、優れた原画と動画の罪と言えば罪ですが、こういうとろからG40に来てしまっている。だったらその操縦方法も知りたいのですよ。

 

本棚の隅の不条理

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菊池ユキ子と菊池友紀子と菊池雪子と菊池ゆきこと菊池由希子に翻弄された十代。しかしまだこの菊池さんたちはましな方だったと記憶もあやふやなんですが、吾妻ひでおさんといったらギャグマンガのようでいてときどき「どきっ」とさせられる美少女とエロティックを繰り出してくる。うっかり買ってしまった「清楚でかわいらしい美少女の表紙」の本など、うかつに机の上に置いておけなかったのです。プレイコミックあたりの連載は、読んだらすぐ友人に譲渡です。

だけど、それらを、モノを知らない時代に単純にロリコンと認知していたけれど、今になって定義で考えると、70年代に「キャベツ畑でつまずいて」を描いた和田慎二さんの解釈がねじれており、ロリータ・コンプレックスの原点とは本来「少女が中年男性に関心を抱く」ものだったはず。だから、中年どころか少年だった自分にとってはロリでもなんでもねーという不条理の渦中だったのです。まあでも、隠しておかずにはいられないことには変わりはないんだけど。

吾妻さんのもうひとつの鮮烈な記憶は、様々なSFガジェットを面白おかしく作品内にちりばめていたことですが、その中でも歩行肉食植物トリフィドという、まあジョン・ウインダムの原作においては怖いことこの上ないやつを、今ならゆるキャラレベルに昇華させてしまったことが僕の評価軸です。

そうですか、逝去されましたか。やはり時代の移り目にはいろいろな人がいなくなるなあ。と、合掌・・・

他人の念仏で極楽詣り

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これは昔の方ね

ま、仏の顔も三度などと言います。でもこれをやるってことは、またぞろ七章構成とかにしたら尺の問題で「永遠に」が取り込まれること必至だし、その先には「Ⅲ」が待ち受けている。するとまさかの「完結編」・・・で、性懲りもなく「復活編」

命の尊厳をなんだと思ってんのか知りませんが、罰が当たらなけりゃいいけどね。へぼでも当たるカードであることは保証されてます。