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  ~懲りない傾向~

ゴモラの記憶

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1966年12月21日、ジョンスン島にて1億5千万年前に生息していたと言われる恐竜ゴモラザウルスの生き残りが発見されたとの報が、現地から入りました。人間はこともあろうにこれを捕獲して国際科学博覧会で展示しようという暴挙に出たものの、空輸中に覚醒されて六甲山付近に落としてしまったことから、大騒動が始まりました。第1ラウンドではウルトラマンをもはねのけ逃走するほどの強力無双な怪獣でした。

それだけに人気もダントツで、後のウルトラのシリーズにも世界各地で同類が復活しちゃうのが、歴代ゴモラ。

しかしあの目つきだとか極端に猫背な姿だとか、僕にとってはレッドキング(これにはトラウマがある)に次ぐ好きになれない一頭でもあります。だから同じ目つきのザラガスも、ゴモラ着ぐるみからの再生怪獣のため苦手(笑)

間違いかもしれませんが、最新のゴモラは「ウルトラマンX」に登場したらしいから2年前ですが(最近、ウルトラマンジードにもスカルゴモラというのが出ていたらしいけれど)、僕の前に初めて直に現れやがったのは2011年の秋のことで、茨城県近代美術館において開催されたウルトラマンアートにあわせて、同館併設のレストランに出ていた「ゴモラのツナとタマゴのクロワッサンサンド(コーヒー付き) 840円」でした。

カタチとしてはどうなんだよ?と思うも、クロワッサンというのは三日月を意味するフランス語。ゴモラのあの三日月のような角に見立てています。ゴモラの角自体は黒田長政の兜(主観だけどね、かなり形が違うと思うよ俺は)がモチーフという設定よりも合っているかも。

その後出会うことのなかったゴモラなんですが、現在はよりにもよって立像が須賀川市内に鎮座しております。

それにしても相変わらず回りくどいまえがき。

ゴモラは見世物として人類にいいようにされ、そこから逃れようとしていただけなのですが、手に余るとなれば駆逐に移る人類の方がよほど恐ろしい。この風景を、神戸に持ち込まれたやたらとでかいヒノキアスナロの企画に関する世間の目を聞き知るに至って、ついオーバーラップさせてしまいました。

情熱大陸という番組は見ていませんでしたが、渦中の人々のひとりって、東日本大震災の翌春、有楽町で全国各地の桜を集めて大きなプランターを作った人ですね。

このときは聞き知るやダッシュして公開終了前日のそれを見上げに行き、こんなことができるんだと内心打たれたんですよ。なんという名案であったことか。しかし今回の神戸の件で、明暗にもなってしまった空虚な記憶に・・・

遊星より愛をこめて

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50年前の今日、そんなサブタイトルでウルトラセブンの第12話が放送され、その約3年後に当時の制作会社である円谷プロダクションが諸々の配慮に基づき、当該話をセブンの放送リストから欠番とする判断を下しました。

で、時々この封印された第12話はそれを解放すべきではないのかという議論や主張が取り沙汰されるのですが、ことしはセブン誕生半世紀の節目ということもあって、メディアの取り上げ方もいつになく能動的でした。

そこに至る経緯やらなんやらはあちこちで語りつくされているのでここに記すのも億劫ですから割愛。欠番にされたと言ってもアンダーグラウンドなところではコピーを重ねた映像が今尚流出しており、欠番にされた理由には納得できないという人々は、おそらく解放運動を連綿と続けているものと思われます。

視聴者やファン、という広い括りの視線を負うならば、ちょっとした苦言がもとで永久欠番とされたことは、彼らの気持ちとしては寝耳に水だろうし蚊帳の外に置かれたことも不愉快なのかもしれないです。でも、封印は言われのない苦言が発端であり作品が持つメッセージは伝え続けるべきだという訴えも理解できるとして、そのような苦言に至る、作品の扱いに疑問を感じた側の問いかけに対して、制作側が受け止めた決断で、この一件はとうの昔に完結しているのではないかと思うのです。

風化させてはいけないとのアピールにしても、欠番とされたからこそ議論が続けられているのであって、わざわざ欠番を解かなくとも、なぜ世に出せないのかというフォーマットの上で、ウルトラセブンという作品に平和への祈りや過ぎた武力の愚かさを解き続けてもらうことの方が大事ではないかと。

欠番とすることを潔しとした制作側の、苦言を呈すに至った親子というより、ピュアに哀しさを感じた子供に対するやさしさ。テレビがそれほどまでにお茶の間と近いところに立っていたとも言えるでしょう。そこを無下にしてまで、解放を迫るものじゃないと思うのです。

 

理不尽の戦役

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今頃何言ってんのさと思われちゃいますが、映画館に行ってる余裕などなかったのでソフトに頼って「ルウム会戦」をようやく観たわけです。物語はもうORIGINで描くストーリーが予定調和で進むだけですから置いといて、歳くったおぢさんが今さら観る機動戦士ガンダムというよりロボットアニメは、こんなはずではなかったんじゃないのか? に尽きるものです。リアルな世界観、リアルな描写、そういったガンダムならではのエッセンスも、次第に煙たくなっていたのです。

とか言っても所詮は絵空事の話なんですが、絵空事だけに描きなおされた人々が戦争という理不尽に翻弄されていく様を見せつけられるのは、戦後の人間でも辛いわきついわで、太平洋戦争知らなくても傷痍軍人を見たことのある僕には、やがて死にゆくことがわかっている登場人物たちが不憫でなりません。サイド2の若い男女なんて見てられません。なんだってこんなにも、ロボットアニメにかかわらずヒーローものというのは戦争や殲滅とセットになっちゃったんだろ?

誰でもいいから「戦争をやらない」「敵がいない」「そうも言ってられないなら宇宙災害とかに立ち向かう」機動戦士ガンダムを作ってほしい・・・

 

などと言ってたら今朝方、久しく会っていないエスクード仲間が40代半ばで急逝されたとの報。理不尽でやりきれない思いは現実の世界ではもっと容赦ないです。ご冥福をお祈りします。

造作もない!・・・わけねーよっ

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ペガサス級の一番艦なのかホワイトベースタイプの試作艦なのかよーわからん強襲揚陸艦を初めて目にして、これ一艦で敵対勢力を打ち砕くことなど造作もないとかなんとかぬかしていた士官がいましたが、敵陣にはとんでもない搭載量を持つ空母がいたり、その空母を凌駕する宇宙要塞があるってことを考えると、こんな半端な揚陸艦で勝てると思っちゃうほうがどうかしていたんじゃないかと、今さらながらに感じます。

でも勝っちゃったんだからしょーがない。しょーがないけど、これはもう何てしょーもない商品化なんだろう・・・

 

FW GUNDAM CONVERGE WHITE BASE & CONVERGE:CORE V作戦セット【プレミアムバンダイ限定】

食玩ですよ、ガム三個ついてますよ。でもってその値段って、まさしくエンドユーザーにとっては恐るべしガンダム産業で、作り手売り手にとってはありがたし公共事業みたいな世界だわ。

いやー、ちょっとだけ「ガンキャノンはいいなー」と思った自分は地雷原に足を踏み入れるところでした。だってねー、ガンキャノンだけで最低二個ほしいですから。しかしこれらは単品で出ていないらしく、もれなくガンダムもガンタンクもついてきてしまうセットだったようで、しかもそれが発売されていたのは二年前だったわ(まさに知らぬが仏で良かったというか)。まさかこのホワイトベースを二セット買い求めるなんて、とてもできませんわ。

 

 

明白な事実ほど誤られやすいものはないよ

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BS11にて再放送が始まった「名探偵ホームズ」が今日あたり、片渕須直さんが脚本を書き、宮崎駿さんが監督した『青い紅玉』にさしかかるはずです。同作品はもともと、イタリア国営放送局が発注した同国の会社から日本のアニメ制作会社がさらに下請け受注して作られたもので、日本では先行制作された2話分が劇場公開の形をとり、後に民放で26話が放送されました。なんでそういう変則的なことになっていたかはいろいろあるんですが、本題と関係ないので省略。

本題の「青い紅玉(ルビー)」は、コナン・ドイルの原作とは物語の展開が異なり、偶然それを手に入れてしまった少女を拉致しようとするモリアーティ教授から、ホームズが守り抜く快活でわかりやすい脚本。しかもシリーズ全般、登場人物が犬などの擬人化という実に先取りな設定。中年親父と少女という組み合わせはいかにも宮崎さんが好きそうな話で、後年「この世界の片隅に」を世に送り出すことになる片渕さんが書いているところがツボです。

モリアーティとの第1ラウンドを終えて少女を救い出したホームズは、彼女をベーカー街の自宅にかくまうわけですが、このとき少女はホームズのベッドで

「たばこのにおいがする」

「パパのベッドもそうだった」

とつぶやき、本能的にホームズが信頼に足る人物であることを確信します。少女は日頃、街頭でスリを働く浮浪児なので、人一倍猜疑心が強い(はずだ)から、このシーンは地味ながらちょっと大事な場面になるのです。

お父さんと同じにおいとは、ヘビースモーカーであるホームズが愛用しているパイプ煙草のけむりが染みついた部屋と寝具のにおい。あぁなんというおおらかな19世紀であることか。そして受動喫煙のじの字も語られはしない20世紀のアニメーション!

↑そこを言いたかったんだい

はてさて21世紀の現代、名探偵ホームズ自体はCS放送もあわせて何度目かの再放送になるのですが、いまこれを視聴する人の中には「ホームズだって女児連れ込み」だとか「受動喫煙許すまじ」とか言い出すんでしょうか。もしそうだとしたらこの番組そのものがもう、「子供に見せられね」のレッテル貼られかねない。

 

 

79→17

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「機動戦士ガンダム」がロボットアニメの存在に様々な変革をもたらしたことを今さら書く気もありませんが、これが「THEORIGIN」としてリメイクされるに至り(至ったけどまだガンダム自体が動かないんですが)、変革に変革を加えるとこうなんだなあと思わされるのが、プロモーションとして作られた「大地に立つ瞬間」の構図とCGです。安彦良和さんが自ら手掛けたラインがわかる柔らい表情ながら、模型立像がフィードバックされたディティール。

対する最初のこのシーンは、もちろんガンダムの頭部と顔が持つ複雑な線を表現しながらも、作画の技術はここまでが精いっぱいだったことが見ただけで感じ取れるし、カット割りを駆使して立ち上がりに移る動きの無理をうまく打ち消しています。どっちがどうという優劣の話ではなく、この造形をどのように動かそうかというイマジネーションが絵コンテに表れたときのセンスなのですが、ここだけ切り取ってみて、最初のシーンというのはやはり緻密に描かれていたんだなと感じます。

でもってこの両者の描き方に一つ、決定的に異なるものがあって、今頃になってそれに気が付いたのですけど、これを続けると長くなるのでいずれ紐解いてみようと思います。

ロケーション

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さて、このシーンで「何というアニメーションであるか」、そのタイトルを言い当てられますか?

一枚め、二枚めとも、別々の作品です。それぞれドラマの展開上、背景は実在の街を描いております。

蛇足ですが、全く関連性のない作品同士ですけど、一つだけ共通項があって、確か監督が同一人物でした。

判った人はコメントをどしどしと!

月面基地のある風景

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宇宙航空研究開発機構が10年前に飛ばした月探査衛星「かぐや」の観測データが解析され、月の地下に総延長50キロに及ぶ空洞の存在が示唆されました。

という内容のニュース記事

太陽系スケールでいったらほんとに見上げる距離でしかない月ですが、アポロ計画によって送り込まれたわずかな人間以外、まだ未踏の地と言っても過言ではない。

単に見上げるだけの距離がそれを阻んでいるのです。その意味では月における人類の活動というのは空想科学の時代を脱していないけれど、とてつもない昼夜の温度差と宇宙放射線からの防護という条件が、この空洞で賄える可能性があり、月の資源開発であったり火星探査への橋頭堡であったり、様々な空想科学を現実のものにするための展望が開けるかもしれません。

月面基地と言えばいろいろ出てくる中で、「謎の円盤UFO」に登場したムーンベースは、70年代初頭に制作され80年代を描いていました。接近するUFO迎撃とはいえその都度核弾頭撃っちゃうのは疑問ですけど、常駐司令官や管制オペーレーターが女性という設定こそが、今思えば最も現実を先取りした描き方でした。月面基地建設が具体性を帯びてくると、先進国の利権や都合でもめ事も起きるのでしょうけど、今回のニュースは宇宙を見上げる良い機会にもなったと思えます。

ただこういうときに限って、明日が新月ですから、夜空を見上げても月は出ていないんだよこれが・・・

真理の扉

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1911年10月3日、アメストリス国東部のリゼンブールにあった実家を焼き払い、12歳のエドワード・エルリックは弟で10歳のアルフォンス・エルリックとともに、賢者の石を探す旅に出ました。同国にて発達していた錬金術の禁忌を破ったために、兄弟は過酷な運命に翻弄されていくのですが、艱難辛苦を乗り越え大義を成し遂げていくのが「鋼の錬金術師」の物語。原作者である荒川弘さんの構想では、エドワードは米寿で天寿を全うするそうです。

ということは1987年まで存命だったと(ただしこの暦は「大陸歴」というものに準ずる)

何度かアニメーション化され、原作漫画も2001年から2010年にかけて連載され完結しましたが、ここへきて特撮映画として年末に封切られるというから根強い人気を持つ作品です。まあ根強いだけに特撮版のキャスティングにはだいぶブーイングも出たそうですが。

かく言う我が家でも、登場人物の一人、ロイ・マスタングに関しては「及川光博さんでないとだめでしょー」と、それこそ映画の企画が公になる以前から母娘らが騒いでおりました。実際にはディーン・フジオカさんなわけで「それはー・・・ちがうけどしょーがないかー」というあきらめムードで、もうその時点でエドワード役なんかほっとけや状態です。

この手の映画化は、なんだかんだ言って「味が出せるかどうか」でしょうから、観てみないことには何も語れない。実は全然期待もせずにどうせこの布陣だしなあと夫婦で観に行った『銀魂』が、予想を大きく裏切る面白さだったので、上手に転がってくれれば『鋼』も化けるかもしれません。

 

 

 

コスモスに君と

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1980年のアニソンですが、インターネットを探すと様々な人がカバーして歌っていることを知りながら、その中の「茂木ミユキさん」の歌声が突出して素晴らしいなあと感じました。したら、youtubeにおいてアップロードされている彼女のカバー楽曲のなかではダントツの一位なのだとか。

ライブ以外のリミックスされた仕様はこちら

1/fゆらぎ という、心拍のリズムや鉄路を走る列車の音や川のせせらぎと同質の心地を与える声の持ち主だそうです。そういった声帯を備えていた歌手は過去にも沢山いるのですが、80年にこれを歌った「戸田恵子さん」も同様だったのではないかと思ったりするわけです。どっちが好みかと言えば、なんだかんだ言ってオリジナルの方なんですけど、今考えるとこの頃の戸田さんは20代前半だったのねー。