Trend-Blue

  ~懲りない傾向~

天下分け目のVからG

天下分け目のVからG はコメントを受け付けていません

宇宙世紀物として作られた「機動戦士Vガンダム」が1994年3月25日に終了し、そのあとシリーズのおさらいと番線番組を経て4月22日、あの「機動武闘伝Gガンダム」が始まっていました。「眼玉二つでツノついてりゃガンダム」と揶揄していた総監督の手掛けない、揶揄の通りにどこから見ても顔はガンダムなガンダムの、宇宙世紀史とは無縁なガンダムの登場。まさか聖闘士星矢とかそのオマージュっぽい鎧伝サムライトルーパーなことをこれでやるとは、のガンダム。

これには意見が二分しました。オリジナルよりもミリタリー傾向を強め、当時の東欧紛争内戦をモチーフにインサートした兵器、武器としてのガンダムパーツを表現したVに対して、ツノ付いてなくてもガンダムが出てきてしまう(いやそういうのは無かったかもしれないけど)、格闘劇。こんな大ナタが振るわれた結果、以降20年も世界観を拡げたガンダム、宇宙世紀ものすら牽引する番組に化けさせたのが、VとGの功罪でしょう。今日はその天下分け目の日。

メッセージ2024

メッセージ2024 はコメントを受け付けていません

唐突に「サイボーグ009」第一期テレビアニメーションで描かれた「太平洋の亡霊」に触れるのですが、このエピソードがどんなものだったかについてはおおむねこんな感じ。なぜこのような話を、原作から外れて作ろうとしたのかはたぶんこんな意図。放送されたのが1968年7月19日のことで、戦後23年目の終戦の日を一か月ほど前にしたタイミングというのも、夏休み直前の少年少女にこれを見せて、翌日の学校で感想を語り合ってほしかったのかもしれません。

「009」はこの頃金曜日の放送で、翌日の土曜日はまだ週休二日制度の無かった時代でしたが、はて土曜日が普通の授業だったか終業式だったかの記憶はあやふや。だけど戦中派の子供として太平洋戦争の様々を吹き込まれていた僕らには、またいろいろとインパクトを与えていました。確かに教室で「昨日のゼロゼロナインってさー」という話題になったことは覚えています。なにしろ自分たちがひいきにしているテレビのヒーローが戦争を突き付けてきたのですから。

あれから「太平洋の亡霊」は再放送されるだけでなく東京の終夜上映アニメ映画プログラムにも組まれ、有志によるフィルム上映会などが繰り返されましたが最近の動向は知りません。などというところへ突如、「チャンピオンRED」での連載開始。長引くロシアとウクライナの戦争、中東の不穏な時勢に、果たして強いメッセージを投げかけてくれるのかどうか。60年代はまだ、戦争が少しだけ近くにあったのです。

あれをあえて書いた辻真先さんの単なるトレースで終わってほしくないのですが、この号には特別付録として辻さんによる当時の脚本が添えられていました。もちろん物語の原型ですから知っている場面通りに話は進んでいきます。

 

こちらは・・・たぶんそういったメッセージ性は極めて薄い、サイボーグ009誕生60年が主題となる、5月からの舞台上演。ゼロゼロナンバーサイボーグたちのキャスティングは難しいだろうなあと思いますが、実は役者が演じるものとしては2度目(だったとあやふやな記憶)。今回は逆転の発想で、60年代のアニメと言ったら少年主人公を女性声優が演じていたのと反対に、009役に元宝塚女優を持ってきました。この女優さん、確か水戸の出身。

革新を秘めたヒーローたち

革新を秘めたヒーローたち はコメントを受け付けていません

1994年4月16日、「仮面ライダーJ」の劇場映画が封切られました。登場年次で言えば平成版仮面ライダーなのですが、前作「仮面ライダーZO」、次作「真・仮面ライダー序章」の3作は「ネオライダー」とまとめられているのが不思議です。しかし「J」には71年から累々と続いてきたライダーを巨大化させるという、初期に一度浮かんで消えたアイデアを具現化したという革新が込められていました。GiantでなくJumboというネームにもセンスがあります。

ライダーの巨大化は前年に「ウルトラマンvs仮面ライダー」で新1号がやってのけています。それでも「J」を推すのは「ウルトラ~」の方はもう漫画でしか無いよという巨大化必然だったからです。長年等身大でやってきた仮面ライダーをどのように巨大ヒーローとして見せるか。という工夫が「J」のジャンボフォーメーションでは丹念に描かれていました。残念なのは、後発ライダー映画への客演時、巨大化ぶりが雑に描かれていたことです。

ところで更に遡ること1974年4月17日、「ウルトラマンレオ」が始まるのですが、「レオ」もウルトラのシリーズでは初の「M78星雲出身ではない」ウルトラマンとして企画されました。無念にも第二次怪獣ブームは下火を迎え、視聴率低迷と打ち切りやら延長やらコスト縮減やらの憂き目に遭い身内が全滅するに至るものの、無理やりスポ根もの要素を持ち込んで戦士を鍛え上げる初期の設定自体がどうかしていたようにも感じられます。

隊長がウルトラ戦士という設定は、ヒルマ・ゲントさんよりも早くモロボシ・ダンがウルトラセブンでありMACの指揮官として描かれましたが、ダンの立ち位置のせいなのかレオの戦士としての履歴の浅さなのか、ウルトラ警備隊において異星人の視点から地球防衛に疑問を感ずる事さえあったダンも、性格が変われば変わるものだと思うくらい、しごきの鬼に変貌していました。毎回見ている方が辛くなる番組でしたが、レオの造形も含めて革新的なウルトラであったことは確かです。

解釈次第ですが実は二人いる

解釈次第ですが実は二人いる はコメントを受け付けていません

「イナズマン」は昨年50周年迎えたじゃん。と思ったんですが1974年4月9日、継続番組である「イナズマンF(フラッシュ)」がスタートしているのです。何がどう変わったのかって、敵方の交替とかイナズマンのパワーアップとかいろいろあるんだけれど、当時の特撮技術の限界にあったとはいえ地味なキャラクターという気がしていました。これが21世紀になるとかなり漫画版に沿ったリブートが行われますが、メインのキャラではないのです。

70年代ものを初代とするなら、二代目は異形すぎるにもほどがある造形ながら、当初の石ノ森デザインをそのまま再現しようとしています。残念なことに両者が相並ぶ機会は無かったのだけれど、よくよく考えたら初代は「渡五郎青年」、二代目は「風田三郎少年」なわけで、共演させようと思えば不可能ではない。そんな度胸が制作側にあるかどうかは定かでありませんが、仮面ライダーとスーパー戦隊ばかりという呪縛から解放される可能性が、イナズマンにはあります。

ロボットは顔が命・・・かも

ロボットは顔が命・・・かも はコメントを受け付けていません

1974年4月6日、「電人ザボーガー」が放送開始され、本邦初のメカ変形科学捜査ツールが登場しました。50年前の少年だって「すごいけどタイヤホイールどうやって同体内に格納するんだ?」と首を傾げ、ヘッドライト部分がそのままザボーガーの頭部だというデザインにのけぞったのです。しかしまるでヒコーキ乗りのようなザボーガーの顔とカウルからテールまでの連続性に、ロボットならではの強引な解釈につい納得してその気になってしまったのです。

5年後の1979年4月7日、あの「機動戦士ガンダム」が始まり、それまではほぼ1点ものであったロボに量産という概念が(新造人間キャシャーンですでにアンドロ軍団ロボ群が現出していますが)定着します。敵味方のロボのスタンダードなマスクフォーマットも明確化され、なかでもザク・モビルスーツはアンドロ軍団の爪ロボ以来の量産型としての秀作。主役のガンダムに関してはそれこそ「顔、アンテナ」と、追随するほとんどのガンダムに踏襲することとなります。

10年後の1984年4月5日。「巨神ゴーグ」がオンエアスタートするのですが、この頃になるとガンダム顔というか大河原作風というかのロボットが氾濫している中、ゴーグ自身のデザインは原案者である安彦良和さん自身によるもので、目じりはガンダム風ですが独特の顔立ちを実現させます。両者の違いは設定ありき自由な時代のザボーガー、設定という事象に縛られた時代のゴーグというポジションですが、やっぱりロボットは顔立ちだよねえと考えさせられます。

暁に消ゆ

暁に消ゆ はコメントを受け付けていません

「無敵鋼人ダイターン3」の最終話が放送されて45年になります。火星ごと地球圏に攻めてくる敵メガノイドの勢力を迎え撃ち、敵陣に乗り込みこれを壊滅させた破嵐万丈は、消息不明のような姿の消し方と、万丈邸の窓の明かりという含みを持たせた演出に終わりましたが、地球圏を去る火星を見届けるダイターン3の姿も挿し込まれており、ああ万丈は健在なんだと想像しました。過去の重さを背負った主人公だけに、無事がイメージでき安堵したのです。

暁に消えたはずの万丈が再び姿を現すのは、なんと、どれだけ監督から了解を得たのか知りませんが、ゆうきまさみさんによるアニパロ漫画での狂言回しな役どころ。ダイターンでの最終話と「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」を混ぜ込んでの「愛」じゃなくて「受」を背負わされた男として登場します。ひでーことする漫画家がいたもんだよと、「さらば~」以降「復活編」までのヤマトを拒絶することとなる僕は思ったものです。

けれどもおそらく、この漫画によってダイターン3というより万丈自身に耳目が集まる流れもできたはずで、他ならぬ監督こと富野由悠季さんが自ら四作ものスピンオフ小説「破嵐万丈シリーズ」を、アニパロから2年後に書き始めちゃうんだから、世の中わからんものです。過去と影を背負いながらも、アニメ本編、アニパロ漫画、小説で一貫して描かれていたのは伊達男というスーパースター性でした。そろそろよたびの登場を期待したいところです。

ところでこれを書いていて思い出しましたが、45年前のこの日、後にあちこちで諸々の産業を生み出してしまうまでに至る新番組の予告編も流れていたんですね。テレビのスポットCМがいつから放送されていたかはわかりませんが、ほぼ間違いなく(た、たぶん)これが動画として初登場する「君は青春の涙を見るか」のナレーションで、その姿だったと言える・・・んじゃないかなーというおぼろげな記憶が残っております。

 

ほーらやっちゃったよ

ほーらやっちゃったよ はコメントを受け付けていません

もう生理的に受け付けたくないマスク(顔がタイヤでしかも唇付き)なんですけど「爆上戦隊ブンブンジャー」が意外なほどに正統派スーパー戦隊で。←見ないって言ってたんじゃないのか?

つい、こう・・・ふらふらーっと手を出してしまいましたよ。なんかねー、この時点でまだ1号ロボなわけで、それに付随するブンブンカーは今のところ17台もあるらしい・・・

あと12台もあるのかーっ

全↑17台といってもブンブンスーパーカーは2台あっても1台カウントかもしれない

フルハシ隊長登場の日

フルハシ隊長登場の日 はコメントを受け付けていません

1994年3月21日、「ウルトラセブン 太陽エネルギー作戦」が放送されました。この番組において何者かに敗退したウルトラセブンが落下してきて地球防衛軍に保護されとある施設に収容されたのですが、セブンを確認するため急行着陸したヘリポートから三菱GTОタイプのニューポインターに乗り換え現れたのが、ウルトラ警備隊のフルハシ・シゲル隊長でした。フルハシ隊長は施設内に横たわる赤い巨人を見るなり「ダン!お前・・・」と呼んで男泣きするのです。

この再会の嬉しさと満身創痍のセブンを憐れむ隊長の姿は、かつての同僚を慈しむ姿として、もう一人の、このとき既に人妻で母親となっていたアンヌの登場よりもずっと感情移入してしまうシーンでした。時系列のまま推移しているなら、フルハシさんは「姿なき挑戦者」の1967年当時29歳という設定でしたから、「太陽エネルギー作戦」では56歳になっています。このあと98年には参謀に昇格していますがそれはまた別の機会に。94年のこの日は「太陽の日」(今は廃れています)でした。

量産車は所詮量産車

量産車は所詮量産車 はコメントを受け付けていません

キャラウィールのときはその単価も安かったので、13人の仮面ライダー分を買いそろえるというおバカでした。その割にはどこに一文字隼人がいるのかようわからん出来栄えになってしまいました。それでも13台のサイクロンをすべて自立させるという努力はしていたんですよ。しかしさすがに今回、S.H.Fの値段ではそうはいきません。といってろくにソフトも持っていないので合成加工で台数合わせすることもできません。

昔は朝日ソノラマ小説版ガンダムに塗り替えたり、バーミリオン小隊バルキリーを1S劇場版から塗り直したり、それとは別に1A頭部を据え付けえたり、1JベースでVT1に改造したり(あとからみんな発売されちゃった)しましたが、最近は「どうせそんなことしなくても出てくるだろう」とものぐさになっています。

大量発生相変異型バッタオーグ搭乗用サイクロンということですが、第1号、第2号専用との性能上の違いはさっぱりわかりません。そこら辺の解釈をでっち上げないと、つくばーど®サイトでの紹介もできなかったのがもどかしいです(でっち上げちゃったけどね)

 

話はででんと量産車からかけ離れますが、篠塚健次郎さんが亡くなったと。量産車というよりそれをベースにした改造型から、全く別物のプロトまで、三菱パジェロでダカールラリーを著名にした立役者でした。どこかに片づけてしまったけれど、我が家にはサハラかモーリタニアかわからないものの、篠塚さんのパジェロの運転席床からすくい取ってきた砂があるんです。あの頃デジカメなんか持っていなかったから記録も残せていないのですが・・・

もう一度作って!

もう一度作って! はコメントを受け付けていません

何が映画興行の失速になっていたかと言えば、作り手がマネジメントよりも描いたイメージと理想に固執し、現場は近未来と空想科学に対する新しい映像・縁起の概念を勝ち取れなかったことなのだと思います。この年、東宝は年末に「ゴジラ」を復活させますが、怪獣映画に関してはそれができていた。「さよならジュピター」は早すぎた大作だったのかもしれません。それじゃあほんとに目を覆うようなひどい映画だったの?とも思えないのが本作なのです。

封切り前年の夏、予告編を観て、銀座の画材屋ビルで開かれていた同作撮影プロップ展示会でミネルバ基地やトウキョウⅢを作った小川正晴さんに偶然会えて立ち話ができて、こんなにうらやましい世界があるんだなあと感じたまま年を越して、1984年3月17日、実は行列もなく初日の初回を観てそのまま2回目も観てきました。ムック本は知る限りでは2冊出版され、映画の紹介よりも楽屋裏のドタバタを披露しているところが面白かった。

だけど、昨年、NHKが特番で流した「シン・仮面ライダー」の制作現場でぶつかり合っていた現場と監督との埋めようの無い温度差を見て、「さよならジュピター」においても同じことは起きていたのだと感じます。それでも詰め込むだけの情報を詰め込まされ、限られた尺の中でやらねばならないことを、現場はプライドをかけてやり遂げていると思います。40年前ですよ、おそらく、特撮というよりもSF映画の世界は黒船襲来を体験していたのです。

映画の評価が低かったせいか、はたまた版権管理の会社に事情があるのか、しばしば小松左京特集が組まれるWOWOWあたりではこの映画は取り上げられません(Amazonprimeでレンタル可能ですが)。そんならもうそろそろ、リバイバルではなくリメイクしちゃったらいいじゃないですか。詰め込み度合いで言うなら、「シン・ゴジラ」でそれは実績を持っています。技術も格段に進んだでしょう。脚本家も何を切り捨て何処を見せるかというセンスが育っている昨今です。