これまで出かけてきた場所とは異なる線上の40度付近にある地球儀。
いやー、思わず上からわしづかみにして、赤い塗料を垂らしたくなります(そんなのわかる人いないって)。しかし、同じことを考えるような人がいても、ゆめゆめお店からトマトケチャップを借りてきたりしてはいけません。お茶を飲むかご飯を食べるかにしておきましょう。
酸ヶ湯、奥入瀬、子ノ口、休み屋と地名と風景を照合させていくと、「軽井沢シンドローム」を読み返したくなるのは自分だけでしょうが、そんな漫画が出てくるのと同時に、前回ここを通り過ぎたのがもう5年も前だったと、しみじみ年をくってきたことを実感します。
観光地でありながら生活道路でもあり、天然記念物に指定されている渓流に沿った国道。環境保護問題や渋滞問題など、いろいろな宿縁を背負わされているわけですが、平日の夕暮れ時には人影など(皆無じゃなかった)ほとんど見受けられない。
2008年の夏に、岩手県沿岸北部震源の地震で大規模な落石があり、当日は「復旧の目処が立たない」と言われながらも、このときは一週間足らずで元に戻してしまったそうです。今回の東日本大震災の影響も、多少は出たのだと思いますが、こうして通れるのだからひとまず安心です。だけどもしも、奥入瀬全体が埋まってしまうほどの未曾有の災害が発生した場合、人はそれでもこの景観の復旧に力を尽くすのか。自然には抗えない、と、102号線のバイパス側に道を委ねるのか、不謹慎なことを考えてしまいました。
ここに至る八甲田からの道のりを走ると感じることなのですが、昔の人って、よくぞこんなところに道を通したモノだと思うのです。現況の国道状態に仕上げていった時代だってすごいよなあと。酸ヶ湯あたりにライフラインを確保する際、数メートルの積雪に対して、スコップによる手掘りと、そりを引いての除雪作業だったという話。それ以前の開削の時代なんて、つまり地図に道がないのだから。それほどの力を、人は持っているんだねえと思いながらも、地球に蹴躓かれただけで、築き上げた文明は一瞬で無くなってしまう。自然を護ったり自然と闘ったりしながら、どうやら自然にはかなわない部分の方が多いような気がしています。
しかし5年前、ここからずっと先の宇樽部というところにトンネルが開通していたなんて知りませんでしたよ。前回来たときのあとに、休屋までのバイパスが完成したらしい。宇樽部の側にはそれらしき標識は見あたらなかったと思うのですが、旧道(冬場はこっちが閉鎖になる)を休屋に降りていったら、立派な道路が横切っておりました。
最初に訪ねたのが2003年の8月。このときにはストレートの終わりに立って走ってくる様子を撮影していました。2006年の7月には、前走する車の後ろ姿を撮っていました。それ以外の機会も何度かあるのですが、単独で行ってしまうと、走っている自分の車を撮影することは出来ないために、結局ただ走り抜けてしまうのです。
ほんの短いストレートでしかありませんし、ガレた林道でもないけれど、青森の街から大館の街まで133kmを走るこの国道の、青森基点側から15kmくらいを駆け上がったところがこの場所にあたります。
市街地を出て森の中を登り続け、最初に開けた場所だから、これ以降の沢山の素晴らしい眺望にも引けを取らないうえに、天候に恵まれていれば、この移動の経路なら助手席側に絶好のパノラマを見ることが出来るのです。それがどんな景色かは、行けばわかります。
天気が悪かったらどうにもなりませんが、それを読むのも遠出の楽しみです。などと言っていますが、今回はまったく偶然に、いちばん良い陽気のさなかに青森まで出張が入りました。