どっかのブログでお茶目なことやってますが、羅須軽党と、かの有名なあらいぐまには因果関係はありませぬ。って、何度も言ってるじゃんかよー(笑)
というわけで、アライグマなう(先週の土曜日の撮影の、どこがなうなんだ?)
な、ただのアライグマでしかないでしょー?
どっかのブログでお茶目なことやってますが、羅須軽党と、かの有名なあらいぐまには因果関係はありませぬ。って、何度も言ってるじゃんかよー(笑)
というわけで、アライグマなう(先週の土曜日の撮影の、どこがなうなんだ?)
な、ただのアライグマでしかないでしょー?
航海の目処が立たなくて、たぶん廃止までには間に合わない。思えばこのとき、乗っちゃえば良かったのよ。しかしもしも乗ってしまっていたら、スズキ歴史館での待ち合わせには間に合わなかったのですが・・・
どのあたりから意識していたか忘れましたが、国道42号線を走って岬の突端までやってきて、道はそこで途絶えるものの、「航路が海の上に42号線をつなげている」ことによって、鳥羽の港から再び陸路の42号線を走りつなぐことができる。そういうルートでした。
国道42号線は、静岡県浜松市の国道1号線と重複して伊良湖岬まで進み、海を渡ったその先で23号線と重複していきますが、和歌山県まで伸びており、和歌山県庁前まで469.7kmの道のり。フェリーを使う海上区間はわずか19.6kmで、鳥羽に上陸したあと23号線の行き先の一つに伊勢神宮がある。昨年ここへやってきたとき、2013年の遷宮のことは知識の中にあり、「ひょっとするとその頃に、月軌道に到達の年回りで、この海を渡るのも面白いかな」といった考えは浮かんではいたのです。しかしよもや、航路自体が無くなることまでは想像していませんでした。
9月末で廃止される伊勢湾フェリー。それまでにここまで来られる算段をつけようと思ったけれど、どうもそれは無理のよう。後悔先に立たずです。
って10日前に書いてサーバーに放り込んでおいたんですよ。そしたら昨日のニュースで「近鉄と名鉄が50%ずつ保有する株式の一部を三重、愛知両県と鳥羽、田原両市が引き受ける方向。さらに2県と2市などで、鳥羽伊良湖航路対策協議会が20に開かれ、存続方針決定する見通し」だとか。
ブログの方が後悔先に立たなくなってます。
157年の昔、ペリーが久里浜に上陸した頃、浦賀水道は今ほど過密な船の行き来のない、のどかな海であったと思われます。そこに突如現れた黒船は、やがて大政奉還にいたるまで日本の内政を揺さぶることになるわけですが、黒船来港(1853年)といい、フランス革命の勃発(1789年)といい、イラク革命(1958年)といい、7月14日というのはなかなか歴史の転換の特異日のようです。「プラハの春」(1968年)におけるワルシャワ会談が開かれたのも、この日です。
そして40年前の今日、「日本(NIPPON)」という統一呼称が閣議によって定められました。
先日の参議院選も、与党大敗といわれながらもそれほど革新的なことが起きたのかというと、うーんどうかなあと思ってしまうし、そもそも昨年秋の政権交代で何が変わったのかと問えば、何も変革は起きていないのではないか。選挙のための政治家家業まるだしの本性が、またこれからぽろぽろとこぼれ落ちてくるのを、好んで見たがる国民もそう多くはないと思うのですが、なんでかしらんが我が国、シビリアンコントロールだけは、歪んだままでも動じずに回転しているかのようです。
そんな折、横須賀での仕事があって、帰り道に気まぐれで開国橋を渡って久里浜埠頭から東京湾フェリーに乗ったところ、かなや丸としらはま丸の2隻を存続させるため、最も古いくりはま丸が運行から外され、秋には売却されると。そういえば5月頃にそんなニュースを聞いていましたが、同社の経営も危機的状況。高速道路の割引や無料社会実験のあおりで、各地で破綻していったフェリー会社と同じ憂き目に遭っているのでした。
半年前に、やはり久里浜から金谷に渡ったときも、埠頭の駐車場のクルマのなかなかの数に対して、乗船したのは10台にも満たなかった。金谷から渡ってきた船からは、ゴルフバッグを抱えた客だけがはき出されてきて、駐車してあるクルマに乗って引き上げていく。下船したクルマはたった5台。ヒト1人なら700円という運賃ですから、金谷側でゴルフ場の送迎車に拾ってもらった方が安上がりなのです。我がエスクードも、01Rだと4m未満で2番目に安いのですが、61Wはほんのわずかなバンパーの長さで5m未満に引っかかって高くなる(TD01Wノマドだとこれに引っかからないため、01Rと同じ運賃)。昨今のクルマはみな大型化していますから、この寸法による往復運賃を考え、利用者が激減しているのです。
浦賀水道を40分で横断する。東京湾アクアライン利用よりも時間がかかり、料金が高いとなれば、当然分が悪いけれど、この40分に秘められている風情というのは、まあ海の天候にもよるのですが捨てたものではないと感じています(だから乗るんだよね)。政治は、大を活かすために小を切り捨てるという公約数のロジックを振りかざし、細かいことを全て受け入れていてはきりがないと割り切る。しかしなあ、観光立国なんて政策を、国の成長戦略に盛り込んでいるわけですよ。もっともこれは外貨を稼ぐために国外からの観光客を引っ張り込むというテーマなので、地域のフェリーの存続にまで目が行き届くかどうかははなはだ怪しいし、成長戦略自体を実行するのが政治家の仕事ではないですから、肩すかしを食らいそうな気もする。なんとも寂しい話です。
退役を余儀なくされたくりはま丸は、1986年の完成、就航は同年の、7月だったそうです。
Fレイドから帰宅して22時から26時までは自宅にいましたが、その後翌朝に備えてしばらくぶりにベイエリアの事務所に夜明け前に赴き、業務メールの確認と書類作成とブログにコメントを書いてそのまま外房へ。
24時間後に昨日と全く逆の景色を眺めることになるわけですが、なにしろ標高1000mを越えて移動していた昨日と違い、関東平野は猛暑日。しかし、東京都心の31℃に比べれば、外房の26℃はまだ楽です。もちろん月曜日は仕事です。幌が開いているのは気のせいです(よせばいいのに、午前中はまだ真面目に閉じてたのよ)
時々薄日もさしたりしていましたが、曇天で90%もの湿度ですから、結果的にエアコンを使うため、両サイドの窓は閉じてのみっともないスタイル。このかっこうと、昨日の雨の中、屋根上だけ開けて走っていたのと、どっちが異様な光景だっただろうかとふと思ってしまった(小雨の場合、時速50km以上出ていれば、室内に雨は入ってこないのです)
これで外回りの1日を過ごして19時頃に帰宅。途中のショッピングモールの駐車場で幌をかけているYシャツ・ネクタイ姿がいちばん異様だったかもしれない。
国民の祝日に関する法律によって、建国記念日、敬老の日、体育の日(いずれも初期の制定日)が定められたのが、1966年の6月。
この法律自体は1948年に発布されて以来、昨年にも9月22日を国民の休日に指定するなど、機能し続けています。
が、この法律の未開拓ゾーンが、6月と8月。8月はまあ、子供には夏休みがあるし、企業の夏期休業も旧盆に合わせて存在するから良いとして、なぜ6月には祝祭日に相当するものがないのか。
定時総会とか株主総会とかで忙殺される時期だから、手を付けにくいかもしれないですが、未開の地には挑んでいただきたいと、汗だくになりながら都内を移動し、ちょっとお茶飲んで時間調整、目的地のフロアへ向かう(写真は全く関係ないです)。「それ(6月の祭日制定)やってくれたら、たばこの増税にも多少は目をつむるぞ」とつぶやいたら、
「6月も24日にまでなってからそんなこと言わないで下さい」(昨日の対話でした)
「それほどワーカーホリックに見えません」
などと言われる始末。合理的かつ効果的に使っている時間に対して、そんなこと言う若い社員なんか、きらいだっ。
連休後半は地中海を見下ろす白い家並みの街へ・・・ El ESCUDO de Mijasあたりに滞在してぶらぶらしていたりすると、ミハスの街というか村そのものは丘の上にあるので、海岸まで出かけていくのに、この宿と同じ名前のちいさな四駆をコミューターに使いたくなりますが、そんなところまで旅に出て行って車にまでこだわるんじゃないよと言われそうです。
むしろ歩いて近くの闘牛場に行ってみるとか、ロバのタクシーに乗ってみるとか、リゾート地ながら観光するもののあまりない、でもカフェやレストランには観光客がごった返している風景を満喫するのも良いかもしれない。
惣菜を皿に盛ってもらい、イベリコハムと野菜にかじりつくタバスを試して、しかしここでワインが飲めない(酒類全般だめだし)体質に後悔しながら、ぼけーっと白い壁の頭上に広がる空を眺める・・・
ほど時間的な余裕がないので仕事半分遊び4分の3(計算が合わぬ)でくすぶっているしかありません。まあこの地でつくばーどを開催、ということもたぶん無いとは思いますが、行こうよとお誘いいただけるような機会があれば、おつきあいいたします。
実際には「三寒二温」くらいの推移で、冬と春の入れ替わりがゆっくりしている気分になりますが、街のソメイヨシノはきっぱりと花を散らして前線が立ち去っています。日曜の朝、路駐の際にほれぼれするような桜吹雪に見舞われましたが、写真に撮ってみると花びらなんだかゴミなんだかさっぱりわからないのが無念です(すいません、撮り方が下手なんです)
そして引用してみてあれっ?と思うのが、三寒四温って、冬場に使う言葉ではなかったのかということ。暦ではなく、体感の季節感で言うなら、ことしはまだ冬の居残りに見舞われているのだと再認識します。
そしたら、三寒四温とは気象用語ではないとか。さらに現代の日本においては、春先に使うのが平準化されているとか。
ふーん・・・、今年に限っては、気象の方が暮らしの中の言葉に合わせてくれているってことでしょうか。