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  ~懲りない傾向~

老舗への歩み

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創業からまだ52年なので、老舗と言い切ってしまうのはまだ早いのかと思いながらも、かつて地方にあった小型の百貨店は、確かにこんな感じだったよと、懐かしい気持ちでフロアをあがっていきました。岩手県花巻市のマルカン百貨店は、小規模百貨店ながらネームバリューは全国区?らしく、今頃話題に取り上げても「だからどうした」と言われそうなところなのです。目的はこの日の昼飯、最上階の展望大食堂。実はマルカン百貨店自体の稼ぎ頭で、何度かの閉店の危機も乗り越えてきたというお話。

どんな食堂かと言えば、こんな食堂

箸で食うのが理想と言われるソフトクリームは、パジェケンさんやSIDEKICKさんから聞いていたのだけれど、その大きさに対する価格の妙は、確かにうならされます。しかしその他の食事メニューも、品数と価格を見ていると、こっちへ来たら通っちゃいたくなるじゃないかと思わされます。近くのテーブルでは、4人連れの女の子が、メガカツカレー一人前を囲んでわいわいとやっているし、ソフトクリーム目当ての家族連れや、ラーメンをすすりに来るおばちゃんたちと、表通りの閑散とした風景がうそのような賑わいです。

ここへ来る道々、「とんかつにしようか、ナポリタンでもいいか」などと、田舎と言ったら失礼ながら田舎の洋風定食を思い浮かべていたわけですが、どっちも食いたいならこれでどうだと言わんばかりのナポリカツにやられました。これにはメガ版はありませんが、これで充分だよ。

先日、山形でしろくまさんと晩飯を食っていたときにも、マルカンの展望大食堂の話題は出ておりました。が、しろくまさんによれば

「料理のことも話題ではありますが、あそこで注目すべきは、昭和の名残をそのまま現役としている、ウエイトレスのユニフォームですよ」

だというのです。かつては、その制服を着たいがために、マルカンに就職したお嬢さんたちはたくさんいたのだとか。それでも今は制服を着ていない店員もいたり(パートさんか?)、制服の店員も3人しかいなかったり、ウエイタースタイルのお兄さんがたった1人混じっていたりと、サイトで紹介されている雰囲気とは少し異なります(このサイトに出ているお嬢は、ひょっとして宣伝用のモデルなのか?)

いま見られるのは紺色の冬服バージョンですが、なるほど、これを見ずしてなんのマルカン展望大食堂と、考えさせられます。いやほら、メイド喫茶のようなものを想像しちゃいけませんよ。こちらは直球で食堂の制服なのですから。同時にふと思ったことは、こういったスタイルを踏襲している、地方都市の小規模百貨店は、ここ以外でどのくらい残っているのだろうかということでした。仙台だと藤崎という百貨店にマーガレットというファミリーレストランがあるようですが、行ったことのないうちに震災でフロア自体が閉鎖されているのでした。

うつくしま 信夫山

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震災渦中にこういうことを書くのはどうかとも思うのですが、2500万年ほど昔には、福島市のあたりは海底だったという説明を受けても、ピンとこないです。

陸地として隆起してくるのは100万年前で、その後50万年くらい前までに、福島盆地の原型が形成されたという、なんともダイナミックな地球史。信夫山はその際に隆起の状態のまま残って、現在も257メートルほどの山体を保っています。

この一連の陸地の変動を、このあたりでは「大徳坊という大男が造った山」という形で民話に伝えています。

大徳坊というのは、関東で言うダイダラ坊のことと同じでしょう。超古代にあっては、あっちこっちで山造りをやっている、雲をつくような巨人のことです。大規模な貝塚のあるところにも、彼が食い散らかした(失礼)跡という伝承がありますが、つくばーど基地の近所には、ダイダラ坊の足跡と言われた池がありました。雲をつくわりには妙に小さな池ではあったし、あの池の大きさから考えられる身長はせいぜい30メートルってとこだったのですが、おそらくルーツを同じものとする伝承が、福島市にもあったことを知り、訪ねてみたら見事な桜の山でした。

でも例年なら、こんなに簡単に展望の高さにある駐車場まで上がれたり、楽に駐車できたりはしないだろうと、自粛も含めたうえでの、福島市に来ている観光者の数が減っていることが想像できました。もっとも、福島はこれからが果樹園の開花シーズンで(1週間くらいは早かったのよ)、福島飯坂インター近くから福島西インター近くまで続くフルーツラインや広域農道は、下旬以降が華やかになる。6月からはサクランボをスタートに、秋口まで果物の宝庫となる。今すぐでもイチゴは買えるなど、おいしいモノ三昧ができるところです。

人出の少ないのは現地にとってはたいへんなことなのですが、今だとのんびり散策できるかもしれません。桜は・・・来週ではちょっと遅いかもしれませんが、花の季節は始まったばかりです。

すれ違いの再会

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昔、東武東上線の志木駅(あそこって埼玉県志木市かと思ったら新座市なのね)からちょっと歩いた住宅街に、「詩季」という名前の喫茶店があって、数年ほど前に閉店したと聞きました。

この店には最初の一人暮らし時代、東上線の大山駅まで歩いて行って列車に乗って珈琲を飲みに行っていたことがあります。でも珈琲というよりは、その店の看板だったのか定番だったのかまではわからないのですが、ホットサンドを目当てにしていた部分も大きかった。特筆すべきホットサンドなのかというとそうでもなくて、ハンバーグサンドの具などは、あのマルシンのハンバーグそのものだったりしました。

それでもわざわざ電車に揺られて喫茶店に行くという変な趣向をかきたてるお店の一つではあったのです。その当時は住んでいるところに車を置いておけるような環境でも懐具合でもなかったしね。

その東京時代にしか通わなかった名前と同じ字面の喫茶店を、盛岡の駅前で発見することになろうとは、思いもよらぬことで、しかしその佇まいから見ても、小耳にはさんだ「詩季無くなっちゃったよ」というあの店が、岩手に越してきているはずはないなとも確信しながら、店のドアを開けたのでした。案の定、古びた調度品やカウンターのお店が、ここ数年で開店したのではないことを物語っていましたが、このお店の看板メニューがホットサンドであることには驚きました。すれ違ってしまったけれど、なんとなく再会したような、そんな気分で、ツナメルティーサンドとやらを注文したのが、ほんのひと月前のこと。もう一度出かけてみたい盛岡ですが、本日はかなりすれ違って山形から羽田へ向かいます。

鉄の達人の人たちは・・・

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こんなんでもどこの路線の何駅近くか、わかっちゃうんでしょうねえ。

はやぶさ

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乗ってきたぜ、と言いながら、実ははやぶさが5日から一般運航開始だということを知らずに乗っていました。しかし仙台と盛岡の間だと、時速300キロは出ていないので、はやてに乗ってもたいして時間は変わらないみたいです。

無念っ

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品物がなくて食えず。これは・・・通うべきか、通わざるべきか・・・

で、くやしいからというわけではないですが、今度の日曜日にもういっぺんこのお店まで行ってきます。大トロにぎりは食えなくても、熊そばもうまいです。告知は間に合わないので、来られる人は「旧くりでん栗駒駅跡」にお昼頃・・・

仕事中です 念のため

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奥州市から遠野市まで出張したところ、東北道も国道も雪と凍結はなく、極めて快適に移動できましたが、アポイントを取って会いに行った相手はこういうところに職場を持っているという、何度でも来たくなるような目的地でした。カメラ持ってくるんだった…

どうも週末の天狗の森もこんな雰囲気になりそうな天気図です。昨年並みの雪合戦準備をしないといけないかな・・・

街角にて

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アウトレットものを前に腕組みする004ことアルベルト・ハインリヒ。戦闘用の防護服スタイルではありますが、彼の日常は長距離トラックの運転手。自分が運んだ荷物が無事に店頭に並んだかどうかを確かめに来ているのかもしれません。

今回は街角探訪をしている余裕がなかったのですが、石巻の駅前を中心とする繁華街では、あちこちに石ノ森キャラクターが佇んでおり、来客を待ち受けています。これがオブジェでなくて、アンドロイドか何かで動いて歩いているのを見るような時代も来るのかなあ。

 

中洲へ渡る橋の袂から見えてくる石ノ森萬画館は、登米市中田町の石ノ森章太郎ふるさと記念館とともに、ことし、開設10周年を迎えます。

サムネイルだと建物の左半分が切れてしまっていますが、宇宙船のイメージを表現しています。こちらから見えるディティールは「後ろ側」らしいです。なぜかというと、3階にあってコクピットをイメージしたというカフェの窓が、旧北上川の河口の方を向いているから。あそこは操縦室ではなく、単なるラウンジかと思っていた・・・

 

館内は展示スペースと映像ホールの撮影が禁じられています。順路に従って展示物を見ながら上へ上へと螺旋状に見学していけますが、ところどころにギミックも仕掛けられています。エレベータはギミックといえるほどのものではありませんが、御覧のように井上和彦版島村ジョーがアナウンス。

「君はどこに降りたい?」

それは002ことジェット・リンクのせりふだよ・・・

プチ逃亡

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逃亡っつたって仕事は休日です。日中、少しは走らせないとバッテリーが心配なので、こちらへ来て初めての、仙台の外へ散歩に出かけました。

全然絵になっていませんが、背景は松島湾です。位置関係を呑み込めていなかったのですが、知らないうちに登米市まで伸びていた三陸自動車道を使わなくても意外と近所。これなら三陸道も利用すれば石巻まで足を延ばしてもお散歩コースです。なるほど丘を越えて下りはじめに見えてくる松島の風景は、日本三景と呼ばれるだけのことがあります。芭蕉の時代はそれこそ何日もかけてやって来たのだから、感動もひとしおだったことでしょう。

インプットされている知識と実景の違いにも驚きで、湾を見下ろす高台からの印象ばかり思い描いていましたが、湾に沿って南下しながら走っていくうちに、突然、目線の高さにエメラルドグリーンの入り江が飛び込んでくるのはびっくりです。場所によっては、防波堤にさえぎられているとはいえ、道路の方が水面よりも低くないか?と思わされるポイントもあるのですね。眺めて素晴らしいだけではないところ。うーん、仙台・松島・石巻をBレイドのステージにしたいけれど、ここまで参加者が来るかなあ・・・

松島は牡蠣祭りの真っ最中。もたもたしていると身動きが取れなくなりそうなので、牡蠣を食いたくない人種としてはさっさと脱出して石巻へ・・・行ったら行ったで石ノ森萬画館もコスプレ大会の真っ最中。これもたまらんと混まないうちに飯を食って登米市の中田町へ移動し、石ノ森章太郎ふるさと記念館を見学すると、JAF会員には町が発行した記念館の要覧をもらえるという特典ができていました。

ここには練馬にあったトキワ荘の、ほぼ原寸大自室が再現されていますが展示物は撮影禁止。記念館からほど近い生家に足を運びます。

どこかに似ていたような記憶をもって生家に入ってみて思い出した。家の一階部分の基本構成が、土浦の吾妻庵に非常に似ているのでした。吾妻庵は蕎麦屋なので、厨房部分の配置が異なり比べ物にならないほど大きいものの、土間から遠くに続く座敷の配置は同じなのです。一方、石ノ森さんの生家には、土間の階上に勉強部屋が残されており、昭和10年代後半から20年代にかけて使われていた勉強机が残されています。

9年ぶりに眺める勉強部屋。この机から「二級天使」が生み出されて、『漫画の神様』をも嫉妬させる才能が溢れ出ていった。僕は叔父の存在によって、「サイボーグ009」の連載当初から石ノ森さんの作品を読み始めていますが(もちろんその当時、内容が分かっていたはずはありません)、世界の枠を超えてしまう巨大な作品群の原点は、こんなに小さなスペースだったのだなあと、あらためて感じます。

鬼は・・・番

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お庭番しておられます。

通りがかった路地の料理屋の前にて。