というわけで、SIDEKICKさんが鰻をとってきてくれるかどうか期待しつつ、既にAMGさんも牡丹肉を用意してくれているので、どうせ猛暑酷暑の残暑になるんだろうし「居座るなら迎え暑気」で行事化しようと思います。
24日11時スタートで、つくばーど基地にて開催。
また基地かよ←それを言わないでーっ。というより、猿ヶ島イベントの翌週というハンデを引きずりますが、参加者が多かったとしても、たぶん二升半もいらないよね。
来られる人はコメント欄にご記入ください。
前夜祭の花火大会は作戦室の窓から遠望し、七夕祭りも関心薄く週末は帰省していた、そんなんで月から帰還するとか火星へいくだとかの大言壮語を吐いてていいのか? な仙台時代の自分でした。写真は一昨年の飾りつけ。千羽鶴は延命を祈願する趣向だと言われています。こりゃどう見ても千羽の数百倍は折られていそうですが、災害が起きると被災地に届けられて物議を醸すのは、人の不愉快が何の枷も無く情報に乗れるようになってからのことでしょう。
そして贈る側の多くは、そういう時代であることを知らないのです。
そのことについて議論するのは不毛なので七夕の仙台に戻りますが、伊達藩の藩政時代にまで遡る歴史はもとより、行事自体を学校教育にも取り込んでいたというのが特徴だそうです。当然、第一次、二次世界大戦をはさんで不景気や戦災による衰退時期もありましたが、戦後復興の象徴ともいえるのが現在のスタイル。
神奈川県の平塚市と並んで全国を代表する規模は、仙台市が東北の商業経済圏として押しも押されもしない座上の証なのでしょう。僕の場合は土浦の七夕で育っているため、比較にならない小ぢんまりとした土浦の商業者はかえって頑張っていたのだなと思わされます。
最近覚えたのは、この時期を旧暦の、とは言わず、中歴と呼びならわすそうで、旧暦だと暦の流れによってはもっと後になってしまうので、この時期のお祭りというのはお盆を前にしての旧暦プラス一カ月のあたりに固定されているのだとか。ねぶたやねぷた、竿灯、さんさなど、風物にあふれた東北の夏ですが、8年もいたのにほとんどそれらを見物することはできませんでした。
で、やっぱり七夕を見物している余裕もなく、もう戻ってきてます。
今でもつくばーどの新年会は米二升を炊いていますが、昔は二升炊きできる炊飯器がありませんでした。この頃屋外でどうやってそれだけ炊飯していたかは書いても面白くないので飛ばしますが、2004年夏の天狗の森は、グランドエスクードを含めた二代目エスクードが大勢参加されたところがエポックでした。今思えば、この頃すでに三代目のディティールはかなり正確な話題として取り沙汰されてもいました。実際、翌年の夏には早くも3台の三代目がツーリングに参加しています。
後にグランドエスクードに特化したミーティングを開催し、このグランド4台を上回れるかというどきどきな展開もめぐってくるのですが、ともかく重厚極まるグランドエスクードが勢ぞろいし、ショート、ロングも併せて二代目エスクードが参加者の三分の一に上ったことは、人気不人気の噂話を凌駕し、市場におけるエスクードの安定感が感じられていた時代です。それを考えると、2005年から現在に至るまで、三代目エスクードが牙城を維持していることも、ブランドとしての息の長さを物語っているのでしょう。そしたらマルチスズキでは「XL6」とかいうMPVを市場投入するとか。かつてのXL7とは異なる出自で、3列シートが復活するようです。
天狗の森のつくばーどはカレーライス。という献立も今もって揺るがないのですが、このときはSIDEKICKさんが浜名湖から鰻の白焼きを生で調達してきてくれて、贅沢な昼飯になっていました。が、白焼きが炙られている間にカレーライスで二升と半のご飯が食いつくされてしまった。嬉しい番狂わせでした。
何を昔語りしているんだと言われれば、なんですが、まあ暑いじゃないですか。
誰か暑気払いやろうって言わないの? 明後日立秋だけどさ、23日(処暑)あたりまではやっても笑われない行事だし、その頃から涼しくなるとは到底思えない夏です。もっとも暑気払いやってて熱中症でぶっ倒れては元も子もないのですが・・・
写真をいただいていないので、BLUEらすかるの距離計の記録を流用していますが、これはうちのエスクードの話ではありません。97年式TD51W、銀色のヘリーハンセン・リミテッドにお乗りの、itoさんのお話です。
もう10年以上前に、このエスクードの存在を知っていました。その当時だったら、僕のエスクードなどまだまだ最長不倒距離には程遠く、itoさんこそが歴代第二位、現役個体だったら文字通りバッケンレコード保持者でした。
そりゃもう「負けてらんねー」(←おばか)の一心で彼を追い越し、今だったらBLUEらすかるの方が先を走っていますけど、50万キロという偉業に到達したのはitoさんの方が早かった。
そのヘリーハンセン・リミテッドが6月、我々にとっては伝説上のノマドが持つ587000キロを乗り越え、60万キロに達していたことを、先日当人から電話で伺い、我がことのように喜んでおります。
モノコックだったら問題ですが、フレームの上にボディがのっかっているんですから、そりゃ軋みますよ。それでも極めて好調だとのことです。このまま地球帰還コースを淡々と走り続けてほしいです。現時点の走行距離こそBLUEらすかるが勝っていますが、itoさんのエスクードは「ボイジャー1号」に匹敵する存在なのです。
この連絡を受けた翌日、山形在住のしろくまさんからも、彼が走らせているTD01Wが507000キロを越えたとエスクードマイレッジに投稿がありました。しろくまさんのエスクードは、現在5基目のG16Aを積んでおり、このエンジンはAMGさんから提供されたものです。450000キロ台で4基目がブローし、それ以前のエンジンも型の異なるG16Aを強引に組み付けECUが合わない状態でしたが、今回は相性が良い組み合わせを得られたようです。
507000キロ。越えられるか越えられないかという伝説の距離には、まだ80000キロもの道のりがあるわけですが、しろくまさんもひとたび走り出すとものすごい行程を征く人なので、なんとか乗り越えて行ってほしいと勝手に背中を押すのです。
そしてもう1台、TA01Wが440000キロ台でエンジンブロー。こちらの動向も心配ですが、皆さんの夏も熱ささ蔓延です。