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  ~懲りない傾向~

伝わらない伝言

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45年前に拉致され改造人間にされ、その人生を大きく狂わされた大学生は、古希を迎えてもなお悪の秘密結社と戦い続けていました。時折生ずる心臓発作を抑えつつ、仮面やバトルスーツを改良しようとも、改造された身体の限界に直面しての「現在」なのでしょう。

本郷猛は、ショッカーとの闘いを続けながら、世界各地の紛争や貧困、飢餓と対面して半世紀近い人生を人類の正義と平和のために投じてきたのです。

と、まあいろんな出版物やPRサイトに今回の映画のバックボーンがつらつらと紹介されているのですが、彼の胸の内に秘められた戦いへの動機を一言でまとめるなら「命への尊厳」。連綿と続く愛の連鎖こそが命であり、それを無下に断ち切ろうとする者を許さぬ意志が、仮面とバトルスーツで身を固め、その改造された肉体によって、つまり拳と蹴りで敵を退けてきたのです。

だからね、劇中で恩師の孫娘に拗ねられてなだめて服を買ってやったりコース料理を振る舞ってやったりメリーゴーランドに乗ってやったりしても太鼓の達人しちゃっても全然かまわない戦士の休息なんだけれど、その娘っこがゲームセンターにてガンシューティングを喜々としてやっているときに、一緒になって撃ち方狙い方を教えちゃダメなんですよ。

そこだけはでれでれのオジサマ顔が厳しく哀しい目つきに戻って、手にしている銃がゲーム玩具であってもこれを取り上げなくてはならないのです。彼の拳と脚力は、今でこそ正義のために振るわれているけれど、元々は人類を支配し世界を征服しようとする組織の尖兵として与えられた能力であり、それは殺傷道具と同列にあるものなのだから。

迂闊にもそういう繊細な主人公に対するリードを、脚本ができていない。さらにそのことを指摘できる演出も監督も心配りができていない。たったそれだけのことと思われるかもしれませんが、それだけのために、古希のオジサマの命を解く言葉がどかーんと薄っぺらくなって聞こえてしまうのでした。

仮面ライダー。ジャリ番組だろうけどね、それで育ったジャリだって分別の付く親父お袋になっているのよ。