連休中、甥っ子の発表会聞きに行ったんだっけ。
(音楽レッスンスタジオの発表会ね)
自分の発表だけじゃなくて、他のコの発表のサポートしてたり(甥っ子はギターだけど、ベースのコとかドラムのコとか。逆もありで、甥っ子の発表で他のコがサポート演奏してくれる)
サポートで弾く曲は、レッスンの時に1・2回先生とザックリ合わせただけで「後は自分で練習しといて」と任されたとか。
・・・いつの間にそんなに上達したんだ?
連休中、甥っ子の発表会聞きに行ったんだっけ。
(音楽レッスンスタジオの発表会ね)
自分の発表だけじゃなくて、他のコの発表のサポートしてたり(甥っ子はギターだけど、ベースのコとかドラムのコとか。逆もありで、甥っ子の発表で他のコがサポート演奏してくれる)
サポートで弾く曲は、レッスンの時に1・2回先生とザックリ合わせただけで「後は自分で練習しといて」と任されたとか。
・・・いつの間にそんなに上達したんだ?
なぜか屋根の上に戸板を括り付けているTD51Wは、数週間じっと身動きせずに牧之原市の相良支庁舎の駐車場に保管されていました。
車両の周囲にはロープとバリケードが張り巡らされ、この車を動かすことはならぬし誰一人立ち入りもならぬぞという物々しい風景・・・でもなく、このエスクードはじっと「その日」を待っているのでした。
このお話を知らせてくれたのは、当日の静岡新聞を読んだ、だいすけさんの奥方。
それがきっかけ。数日後の金曜日の夜、仕事をうっちゃりやっつけ、牧之原まで走りました。
営巣していたのはセグロセキレイ。せっせと餌を運び込む姿を見てほっこりさせられ、そーっとこの場を離れたのが、いつのまにか10年前のこと。
そのまま天竜川まで出かけてカレーを呑み、タッチアンドゴーで山梨のアイリッシュパブまで、当時そこで使われていた白いTD01Wを拝見に押しかけ、その道々SSレイドの仕込みなんかもやっておりました(2年後に攻略された)
24時間で1000キロには満たない弾丸ツーリングでしたが、前の年の秋に15年落ちで手に入れた「コミューターとして使うから長距離はやらない」つもりだったコンバーチブルの初の遠乗り。このときまだうちのコンバーチブルの積算走行距離は正真正銘100000キロ未満だったのですよ。いま、遠乗りの大部分が仕事で日常茶飯事になってしまって、旅をしている感覚になれない気持ちが半分。それって、けっこうもったいないことをしているのかもしれません。