帰り道で何か食べようかと(現地の食べ物屋さんは義母の好みでなかったらしい。テントの屋台とかカフェとかが多かったしね)
一時回る頃帰路について、義妹1号がナビ任せで走った道には食い物屋が無い(爆)
寄るつもりだった道の駅まで行ってしまいましたわ。
限定10食のステーキは流石に無くて、義母と義妹1号はすき焼き風定食に。義妹2号と私はしもつけ鶏丼を頂きました。
美味しいものも食べなくちゃね。
職場は東京と郷里を行き来し、そして再び東京の勤務になって、こちらに家を建て10年と少し過ぎる。僕自身は昭和の生まれだけれど、子供の頃は明治生まれのお年寄りたちに歴史そのものを感じさせられた。こと僕の郷里は戦争で手ひどい仕打ちを受けているだけに、その中を生き抜いてきた人々には皆歴史があると思っていた。
その僕が、まあ僕がそう決めたのではないけれど、平成の終わりを告げるニュースや記事見出しが飛び交う過渡期に、いま暮らしている。おいおい、遂に自分自身が、来年の今頃には三つめの元号を生きるのだぜ。
職場でいろいろと根回しと手回しが気ぜわしいのは、そういった時代の移り変わる過渡期だからなのかもしれない。ただ、そんな生活パターンにすっかり馴染んでしまって、さほどの違和感もない・・・
というのは自分に対する偽り。ずっと、このライフサイクルの中に生じている、凝りのような感情から目をそらしていた。
退勤途上の電車内で、スマートフォンに着信が入る。オークションに出品していた、タイヤが2セットとも落札された連絡だ。アルミホイールに組み付けたままのスタッドレスはほぼ新品、オールテレーンの方も・・・これは走る気はあったのだろうな。いずれ履き替えるつもりで買っていた未使用品だ。
純正シートに戻し取り外したレカロのコンフォートも、タンクガードも瞬く間に落札者が決まった。まだこの手のパーツに引き合いがあることで驚くわけだが、使ってもらえる先があるならそれでいい。残ったのは白地のキャンバストップだ。これについては思うところがありというより恐る恐る、手紙を出した。メールではない、封書で。受け取ってくれるならば今度の週末、宮城に伺いたいと書いた。すると即座に電話がかかってきて、こっちに来てくれるという。
だから恐ろしい・・・ああいや、ありがたい。受け止め方によってはうざったいと誤解を招くほど面倒見がよい彼は、車を丸ごと引き受けられずに申し訳ないとまで言ってくれた。
もちろん僕もそこまで寄りかかろうとは思っていない。ただ、この春をもって、長年乗り続けてきた車を処分するにあたって、彼には真っ先に伝えなければと決めていた。
それにしても、彼と連絡を取ったあとに出品したオークション品が、彼と会う以前にすべて売れてしまうという激流のような世の中だ。
それもこれも、インターネットの普及に対して移動体通信機器がこの10年で飛躍的な進化を遂げたことが要因だろう。腕時計型テレビ通信機という画期的な装備を持っていたウルトラ警備隊に憧れていた僕が、あのビデオシーバーよりも多機能高性能の端末を日常生活で使いこなす時代なのだ。
その反面、クルマに対する関心事は、世代が若くなるほど薄れていると言われている。ことクロカン四駆というジャンルは90年代前半に爆発的にブームとなり、そして市場は定着したものの、定着のために捨てるものも捨てSUVなどというよくわからないジャンルへ拡散し、今またクロスオーバーなんとかいうワケのわからない領域に飛び込んでいる。
要はステーションワゴンの洒落たやつへの回帰なのだ。そこには荒れ地をものともしないクロスカントリー性能はコストの上でもじゃまになった。雪道と凍結路をある程度走れれば、四駆としての使命は十分果たす。でも、だ。燃料代やら駐車場代やらも含めた維持費は、若い世代には重荷ではある。僕らだってそうだった。それでも四駆で野山に出かける楽しみがあればこそ、やりくりもできた。今はスマホがあれば部屋にいながらにして世界とつながり何でも見聞できる。
それが仮想現実でも虚構でも、電子化された情報は抵抗なく安価に手に入れられる。それこそ東京や横浜在住だったら、発達した公共交通機関でどこへなりと出かけられるから、次第にマイカーという言葉自体が脳内辞書から削除されていくのは無理もない。
まさかね、僕自身がそうなっていくとは思わなかったさ。
そんなことを逡巡しているうちにプレミアムと冠のついた金曜日は明けてしまい、約束の週末がやってきた。
僕はキャンバストップをたたんだ収納バッグを助手席に載せ、家内に見送られて路地裏から赤いコンバーチブルを走らせる。あと数日。休日の数を数えれば、もう何度もこいつを動かすことはないだろう。
※ 後編は「2018 海岸ランナー」として明日発売のスーパースージー106号に掲載します。
ゴールデンウイークに義父が張り切って
「ゴルフ行くぞっ!」
と、息子のうち二人を連れ去ったので・・・
残された嫁ずともう一人の嫁と義母でお出かけ。
「んー、まあ適当にふらふらするかー」と
陶器市やってる益子方面へ。
見て巡るだけでも楽しいもんね♪
とか言いつつ、小鉢とかお皿を少し買ってきました。
売り言葉に買い言葉が巡り巡る
BLUEらすかる修理の間、主治医から借りた代車のアルトはずっと霙が使っていました。家内はうっかり「その経緯」を失念して霙に
「返却するときには燃料を満タンにして返しなさいよ」
と言ったのです。実はアルトの前にミライースを借りていましたが、これが霙の運転中に追突されて使えなくなり、アルトの提供を受けていました。幸か不幸かそのおかげで、僕がぷらすBLUEを使っていて追突には遭わずおしゃかにもならずに済みましたけど、霙自身はひどい目に遭っていたのです。そりゃあ霙は言い返しますな。
「ガソリン入れてこいというなら入れてきますけどね。私はお父さんから代車をあてがわれて乗っていたまでで、私にそういう言いかたするのは理不尽じゃありませんか?」
ごもっともな反論です。そんなことで喧嘩になられても困るので、ここは素直に僕が給油に行って返却するが吉。ということになったのですが、家内は、あらそれはごめんよと、さほど意に介さず話題を切り替えます。
「あたしのクルマも車検に出さなくちゃいけないので、返却のときにいつ入庫させればいいか聞いてきてもらえますか?」
おうよ、それくらいお安い御用よ。と、ガソリンスタンド経由で主治医に代車を返却して、BLUEらすかるを受け取ってきたわけですが・・・
「お父さんが満タンにした代車を次に使うのって、車検で車を借りてくるお母さんということになるんじゃないでしょうか?」
そう霙が言うのです。
んー・・・たぶんそうなんだろうなあ。
突然、釈然としない気分になる自分はまだまだ大人じゃないわ・・・
初期型なんてこんなもんなんだよ
ぷらすBLUEは91年型のコンバーチブル。初代の変遷で言うと2型に相当する、つまり初期型で、エンジンこそ16バルブ化されたマイナーチェンジ版ですが内装は1型と共通(3型までこうだったっけ?)
何が不都合かというと、窓を開けるレギュレーター位置にとって付けたようにパワーウインドーのスイッチユニットがぼこっとはみ出しているため、これがコーナリング時やモーグル走行では右膝あたりにぶつかって痛いのなんのの困らせ設計です。
だから見てくれが悪くとも緩衝材をあてがい、右足が踏ん張るような事態になっても痛いよりはましなのよと、こんな感じで過ごしてきました。4型以降はドアの内張り設計が変更され、こんな必要は無くなっています。
しかし気がつけばこれに乗り出して干支がひとまわりしており、緩衝材も擦り切れてみっともなくなり、それ以前に再びコーナリング時にいててててっとなってしまいました。そんなわけでデッドニング用シートのありえない使用法で対処。
「これなんでくっついてるのかなーと、ずっと不思議だったんですよねー。こんなところに膝なんか当らないし」
と、作業をしながら霙がつぶやくのですが、とーちゃんはそうはいかねーんだよ。
しかしですね、霙は霙でどこをどう走っているのか。右フロントタイヤのショルダー部分が異様な編摩耗ぶりです。まあ車高を上げたせいでキャンパー角が悪さしてもいるんだけど・・・
新帝国ワニ対つくばーど 第二ラウンド
新帝国など恐るるに足らずと思っていた前回の対決。それはそれで僕自身にとってはあんなんでいいのか?という結果でした。
じゃあどれくらいの危険度だったのかというと・・・ いやその、そんなの自分じゃわかんないじゃないですか。そうなんですか実際?
そして新帝国ワニのDr.ワニ。
ほらほら、口ほどにもないぜ
これなら世の中安泰だと思っていたのですが・・・
いつの時代でもつい、余計なことをやっちゃう人はいるものなのです。「ウルトラマンガイア」で、地球滅亡をはじき出した量子コンピュータ(それ自体仕組まれた罠だったけど)に驚いた科学者たちがいろいろ回避計算したけどダメ。というなか、地球環境構築要素の中から試しに「人類」を削除したら『ピンポン。それで地球滅亡は回避可能』とか回答出しちゃうわけです。
でもってつい、ある入力の仕方を施してDr.ワニを再度診断したらば
うーむ・・・人はこうしてあらぬ風評に巻き込まれていくのね(俺が言うのかそれを)
そこにはただ風が吹いているだけ
このイベントが盛況だった頃はもう毎日のように攻略レポートが飛び込み、負けじと次の課題の場所を出題していて、日付を書き込んでいなかったことが悔やまれます。
BLUEらすかるがいるので2005年秋以降に始まったことは確かなSレイドの課題の場所71は、湖畔の風車だったのですが、こし亀さんからの連絡で、風車自体が櫓を残して撤去されたと。
あの揚水用風車はSレイドに登場した頃すでに実験研究が終わって残置された状態でしたし、その後このあたりも東日本大震災の影響を受けたし、なにしろ風車ですから吹き曝しで経年劣化もしたでしょうから、撤去されても仕方がない。
「ただ、先月はまだ風車はあったような気がしましたが」
4月末に出かけたこし亀さんの談からすると、ごく最近、解体されたようです。
地元の公共団体の観光資源紹介ページもそのままですから、役所も確認できていないのかもしれません。或いは修理のために一時的に取り外したのかもしれないし。
SレイドもSSレイドもずいぶん年月を経ていますから、過去に出題した場所のいくつかは無くなっています。できるだけ長期的にそのままだろうと思われる地点を選んではきましたが(その割には国道沿いの自販機なんて危ういのもやりましたが・・・やっぱり一番最初に無くなった)、月日のうつろいは避けて通れないですね。
月曜日、もそもそと起きてきた新月サンが
「お腹空いた。超大盛りでよろしく」
と言うので、3人前強のパスタを茹でましたよ。
・・・結局これってつられて私も大食い・・・
(だから太るんだよっ!)
あああ、そろそろ健康診断の申込用紙がくるぅぅぅ
第10回買い出しトライアル開きます
買い物系買い出しトライアルは結構久しぶりなので、出題をどんなふうにお知らせしていたかすっかり失念してしまいました。
ひとまず27日のエスクード誕生30周年ミーティング当日に同時開催する旨は案内を追加してあります。買い出ししていただくのは、笠間市内に所在する小田喜商店が土日に店頭でしか販売していない「栗やが創ったモンブラン50」(540円)です。
先日、小田喜保彦社長に相談し、買い出しトライアル(たぶんクイズラリーだと思われていますが)の目標としてご協力いただけることとなりました。
「それじゃあいつもより多めに用意しとこうかな」
「いいえ、そこまでしていただかなくて結構です。いつも通りに販売しててください」
「いやあどうかなー。売れ行き良いときは午前10時には無くなっちゃうよ?」
だって参加者いなかったらまずいじゃんよ(とはさすがに言えねー)
小田喜商店は午前9時の開店です。買い出しの後天狗の森に到着しても十分に間に合いますので、ぜひ挑戦してください。
ところで社長から聞いてきた和栗の話を一つ。
和栗、つまり日本栗というのはその名の通り日本列島原産の品種で、笠間市界隈の栗は明治30年ごろからだいたいそれに属する数品種が栽培されてきました。地元での生産の歴史は120年くらいですが、言わば縄文の食材です。しかし、2011年あたりから育成状態を維持するのが難しくなっているのだとか。
「日本列島で生息してきた品種だから、気候変動の影響を受けています。栗には四季の気温変化や適度な降水量が必要なんですが、ここ数年夏が長いんだよね」
農家の高齢化や労働力不足も加わってきているそうで、そのような環境下で品質を維持している各地の栗のことは意外と伝わっていないと。
そんななかで、茨城県はまだ栽培面積、生産量とも全国一を保っています。