外回りの工事お願いした工務店の監督サンが 「全工程終了しました」と 請求書と共に持ってきた冊子。 何かと思ったら、工事過程の写真でした。 留守だった新月サンが帰宅した後見せたら 「これくらいちゃんと残してくれるなら大丈夫だねぇ」 (工務店のお仕事がキチンとしてると言いたいらしい)
外回りの工事お願いした工務店の監督サンが 「全工程終了しました」と 請求書と共に持ってきた冊子。 何かと思ったら、工事過程の写真でした。 留守だった新月サンが帰宅した後見せたら 「これくらいちゃんと残してくれるなら大丈夫だねぇ」 (工務店のお仕事がキチンとしてると言いたいらしい)
1976年10月24日は、F1世界選手権イン・ジャパンとして日本初のF1レースが開催された日でした。初開催にしてニキ・ラウダとジェームズ・ハントのチャンピオンシップを賭けた最終ラウンドだったり、ラウダが危険を訴え自らリタイアしたり、それでハントが易々と年間チャンピオンになったかというとそうでもなかったり、意外にもこのラウンドの優勝者であるマリオ・アンドレッティは71年の初優勝以来の表彰台だったりと、実に沢山のドラマが展開しました。
2周目でフェラーリを停車させたラウダは、それでもハントにはこの雨天のレースでポイントを覆すことはできないと確信していたのか、まさかのいずれ雨は上がるから、ハントはやるだろうと憶測していたのか。それは誰にも分らないことですが、レース終盤には雨雲は去り、路面はドライコンディションになっていました。
ラウダとハントの人生のレースは、奔放な暮らしぶりの末若くして亡くなったハントに対して、火傷の重症から復帰し2019年まで様々な活動と事業を続けたラウダ。こればかりは勝敗を付けられないと思いますが、伏兵というか、アンドレッティは今なおお達者というのがおどろきです。ハントが逝去して、いつの間にか30年が経ちました。