今のラパ・ヌイには森はほとんどないとも言われているし、凝灰岩にしては白っぽすぎる。しかも、西洋人が上陸した頃にはすべて倒されていたはずの像が立派に佇んでいる。
ということは・・・
霰は、テ・ピト・オ・ヘヌアと呼ばれていた頃のこの島に漂着したのか?
Comments are closed.