石津嵐さんの手厳しい展開でもなく、松本零士さんやひおあきらさんのコミカライズによる大団円の流れでもなく、2199のヤマトはガミラス本星に赴き、イスカンダルに着水し、そして再び約束通りに地球へと帰還してきました。以前のイスカンダル編のツボはそのままに、より明るく希望に満ちた帰還。懐かしい楽曲と美しい背景画と洗練された原画と動画。何よりも「さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち」でこのアニメーションを嫌いになり、なんぼ続編が出てこようと一切支持してこなかった(しなくてもまったく影響ないし)僕を、もう一度「新しいイスカンダル編、いいじゃん」と思わせてくれただけでも、よくぞ作り直したものですと言ってはばかりません。
ラストは数十年前に固まっており、これを変えることはできない。そうなったらもう、イスカンダルを出航した後には何もできそうもない中で、随分と贅沢に2199ならではのエピソードを組み込んだなあと感じました。
あっ、その前に。第7章は小屋まで出かけて行って観ました。なにしろ残り4話分のソフト化が遅れたというし、テレビ放送は追いついてきてしまうし、やっぱりこの辺のスケジュール変更はソフト販売の戦略だとか放送局の都合による戦術だよねえと邪推しながらも、まんまとそれにのっかってしまった自分を否めません。
だからさ、観ていて何とはなしに苛立ったのですよ。
これだけ情報量を増幅して進んできた6章分に対して、7章の後半が決して情報量不足でも飽きさせる展開でもないのに、何処かがスカスカなのです。多分にそれはガミラスの、デスラーの描き方によるもののような気がするのですが、気取った紳士の裏側に秘められていた執念深さのない彼、とでも言えば良いのか、なんかそれ違うだろうという彼の幕引き後、ヤマトの艦内のドラマが微妙に長く感じられました。
ヤマトが大好きでその業界人になったという出渕裕さんは、当時のヤマトを越えるものを作り上げながらも、どこかで、大団円に込められたドラマ作りに関しては、一歩引いたのかなあと考えております。まあン10年前にもう観てしまっている最終話ですから、2度目の感動が薄くなっただけなのかもしれませんが。
上映に間に合わなかった短縮分については、来月の地上波放送を待つにしても
はたしてこのモヤモヤがきちんと解消されるような構成になっているかどうか。
でもデスラー、あの退場はないよなァ。
あれでこの先『一日千秋の想いで…』なんてノコノコ出てきやがったら、
有無を言わさずエアロック開けてやる((笑)。
今回のデスラーって、出てきたときから「なんだか『ヘタリア』のキャラみたいだなあ」と思っていたんですが、恐怖政治をしないと国民を束ねられない実際にへたった独裁者として扱われる。
古代守にスターシャの心を持って行かれた構図もあります。スターシャが守と出会ってからどんな心境の変化に至ったのかが、上映で抜けた部分なのでしょうか。そこがある無いでも、デスラーに執念深さを(彼がそれを知っていればですが)演じさせる根拠になると思うのだけれど。
いずれにせよ、ヤマト艦内でのあれが古代進との邂逅だとすれば、「まるで『さらば』のシーンを古代と雪の状況入れ替えで持ってきただけだよなあ」と。いやそれでは進が今後、盟友となっていく邂逅としては、何の印象もデスラー側に残らないでしょう。
あそこで進には、デスラーが「なんだとこのやろーっ、待ってろお前なんかデスラー砲で灰燼にしてやる」とやけくそになるような正論で突っ込みを入れさせたいですよ。
そのあとヤマトで和気あいあいとしているところへもう一撃で、空間磁力メッキ以外の新機軸で跳ね返されるという展開が、尺の上では可能だったと思います。
新機軸とは、まさに守の・・・と、そこは書いちゃいけないのね。
デスラーの描き方は、どこか迷いがあったんですかねえ。DNAが一緒!?という話もオチがついていなかったり等、もう何話かあればなあという気がしないではないですが、それでもいい作品になったなーと思います!
ところで、来月19日、日帰りで仙台出張になりました~もしお時間合えば、お昼でも!
何故、ガミラス側の登場人物の決着やいくつかの伏線を回収していないのかについては、続編への布石なんだろうなと感じています。
彼らの弱体化で彗星帝国が攻めて来るだろうし、波動エネルギーの処遇を巡って地球ではヤマトとそれ以外の確執も起きるだろうし、なにより守とスターシャの娘という伏線まで張られているわけですから驚きです。
せっかく評価を得たイスカンダル編の成果を台無しにしないような続編にしてほしいです。
19日、空けときますですよー。